ハナレグミ「GOOD DAY」特集|ハナレグミ×坂本慎太郎、三多摩に流れる独特な空気を語る (5/6)

坂本慎太郎が国分寺に住み始めた理由

坂本 今、おいくつですか?

永積 今年で50歳です。

坂本 じゃあ僕と7歳違うんですね。国分寺は80年代の終わりに駅に丸井ができて、そこから徐々に拓けていったんだけど、それ以前の感じとか覚えてますか?

永積 覚えてます。駅舎が古い時代ですね。西武線が崖から落ちそうな感じで停まってるのがすごく印象に残っています。

1985年の国分寺駅北口の様子。(写真提供:武蔵国分寺跡資料館)

1985年の国分寺駅北口の様子。(写真提供:武蔵国分寺跡資料館)

坂本 僕が住み始めたのは1987年ぐらいだったと思うんだけど、当時は古着屋さんや古本屋さん、喫茶店がいっぱいあって、すごく雰囲気がよくて。国分寺マンションという古いマンションの半地下にカッコいい古着屋とか古道具屋があって、よく見に行ってましたね。国産のビザールギターが安値で売ってたり。

永積 置いてありました! モズライトとか。

坂本 独特な空気が流れていて居心地がよかった。

──坂本さんはそういう雰囲気に惹かれて国分寺に住み始めたんですか?

坂本 高校卒業後に1浪して、上京したときは池袋に住んでたんです。その後、多摩美術大学に入学したんだけど、校舎が八王子の奥のほうだったんですよ。僕はバンドをやるために大学に入ったんで、八王子だとなかなか動きが取りづらくて。

永積 そうですよね。

坂本 それで、なるべく都心に近い場所に住みたいなと思って。とはいえ学校に通える距離じゃないとダメだし、吉祥寺まで行くと家賃が上がっちゃうし、その兼ね合いで国分寺に住み始めました。何よりも雰囲気がよかったんで。

──永積さんは当時の国分寺の雰囲気は覚えていますか?

永積 覚えてます。家族でたまに食事に行く中華料理店が国分寺にあって。

坂本 なんて店? 汚いところ?

永積 (笑)。なんて店だったかな。昔、LITTLE TEMPOの土生(剛)さんが、その並びのレコード店でバイトしてたみたいですけど。

坂本 その中華料理店、俺知ってるかも。でも、めちゃくちゃ汚かったから家族で行くような感じではないと思うけど(笑)。

永積 (笑)。あと、通ってる歯医者が国分寺にあって。僕、歯並びが悪くて矯正で通ってたんです。そしたらある日、先生が「僕には実は夢があってね……」って語り始めて(笑)。

坂本 突然?

永積 はい、小学生相手に(笑)。その先生は株で大損して、その後病院を閉めちゃったんですよ。ほかにも思い出があるはずなのに、なぜかそのときの切ない感じをすごく覚えてるんです(笑)。国分寺は自分にとって、居心地のいい街であると同時に、そういうちょっとしたブルースを感じるような街でもあるんですよね。

武蔵美と多摩美

坂本 当時の思い出で言えば、僕は国分寺の南口の坂を下った先に住んでたんですけど、その坂でロッキン・ジェリー・ビーンやDMBQの増子(真二)くんとよくすれ違ったのを覚えてますね。で、お互い軽く挨拶して。ロッキン・ジェリー・ビーンとは、銭湯でもたまに会いました。あと、南口のちゃんぽん屋さんでバイトしてたとき、そこにバンドをやってるっぽい人がたくさん来てましたね。特に交流が生まれたわけではなかったですけど。

永積 交流は生まれなかったんですか?

坂本 当時、社交性がなかったんで(笑)。周りにミュージシャンが多い環境ではあったけど、仲がいい人とだけ付き合ってる感じでした。

永積 ネタンダーズの塚本功さんもお知り合いなんでしたっけ?

坂本 そうですね。彼は多摩美の1学年下で。

永積 当時、音楽活動とかで塚本さんと交流はあったんですか?

坂本 特になかったんですけど、塚本くんは、いつも毛皮のチョッキみたいなのを着て学校に来ていて。顔が濃くて、雰囲気がジミ・ヘンドリックスみたいだったから、俺とDMBQ(当時はマリア観音)の松居(徹)さんで「マメジミヘン」って呼んでたんですよ。

永積 マメジミヘン(笑)。

坂本 そしたら、ギターがうまいらしいという噂を聞いて。実際、ライブを観たらめちゃくちゃうまくて驚きましたね。

永積 国分寺には武蔵野美術大学もありますよね。武蔵美と多摩美でバンド同士の交流はあったんですか?

坂本 マリア観音というバンドは、ボーカルが武蔵美でギターが多摩美だったりして、そんな感じで交流はあったと思うんだけど、僕はあんまり他校のバンドと仲よくしたりというのはなかったですね。どちらかと言えば当時は周りのバンドを全員敵視していたんで(笑)。

永積 ははは。

坂本 武蔵美と多摩美はどちらも音楽が盛んだったけど、印象的には武蔵美のほうがガレージ系とかおしゃれなバンドが多かった印象ですね。

永積 中高生の頃、明らかにミュージシャンであろう人たちが国立の街を歩いてるのを「カッコイイけど、怖そうだな」って見てました。そういえば10年くらい前に、こだま和文さんと国立の飲み屋でお話する機会があったんですけど、「永積は中学とか高校時代に俺らの界隈に近付かなくてよかったよ」と言われました。ミュージシャン同士で、かなり濃い人間関係が形成されていたみたいで、「このタイミングで会ってよかった」って言われました(笑)。

左から永積 崇(ハナレグミ)、坂本慎太郎。

左から永積 崇(ハナレグミ)、坂本慎太郎。

吉祥寺をボーダーに変わっていく空気感

──先ほど「中央線っぽさ」が話題に挙がりましたが、同じ中央線沿線でも都心に近い高円寺や阿佐ヶ谷と、国分寺や国立では街の雰囲気が全然違いますよね。個人的には吉祥寺を越えたあたりから空気が変わっていくような印象があります。

永積 吉祥寺がボーダーになってる感じは僕もすごくわかります。三鷹あたりから空気の流れがユルくなるというか。あの感じ、なんて言ったらいいんだろう。

坂本 吉祥寺を越えると一気に郊外の感じが強くなりますよね。高円寺とかあのへんに比べて、クルマ文化が加わってくるというか。

永積 ああ、確かにそうですね! クルマ文化が入ってくる感じ。それに伴って街の造りも大きくなっていって。

坂本 イメージ的には新車じゃなくてボロいクルマというか……。

永積 ははは。

坂本 ボロいっていうか、古くてカッコいい中古車。こだわりがある人は、そういうのに手をかけて大切に乗ってるイメージがありますね。あとは米軍基地がある福生が近かったりして、そっち方面からの影響も大きいんじゃないですかね。米軍の放出品としてビンテージの楽器とかが安く流れてきて。

永積 そういう意味では、立川も濃い街ですよね。もともと米軍基地があったし、昔は赤線地帯があったりして。ちょっとザワッとするような暗さがあったのを覚えています。国立在住の自分からすると大人の街という印象があって。1駅しか違わないんですけどね。

坂本 昔の立川はちょっと怖かった。今はだいぶ拓けてるけど。

永積 ただ当時の僕は子供ながらに、立川の暗さにもグッときていたところがあったんです。生身の人間の濃さみたいなものを街から感じる瞬間もあって。そのフィーリングって立川だけじゃなくて、国立や国分寺の街にもうっすら流れているような気がするんです。

2024年10月7日更新