imaseインタビュー|「ラフにやってみればいい。」夢がなかったあの頃から、偶然たどり着いた現在地

「アフターコロナ」と言われる昨今。世間にポジティブなムードが漂う中、「やりたいことがわからない / 特にない」と感じている若者は少なくない。読者の中にも新生活のスタートを迎えるにあたり、不安や焦りを感じている人もいるのではないだろうか。

FRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」は、そんな中で新たな一歩を踏み出すフレッシャーたちを応援するプロジェクトだ。音楽ナタリーでは気鋭のアーティスト・imaseに、過去の自分に宛てた手紙を書いてもらい、それをもとにインタビュー。「特にやりたいことがなかった」という高校時代、感じていた不安やプレッシャーとは? 話を聞いていくと、軽やかに音楽活動を楽しむ今の彼を形成する、ブレない価値観が見えてきた。

取材・文 / 張江浩司撮影 / 曽我美芽

高校時代の自分へ

小学生の頃はサッカー少年で、プロサッカー選手を目指して毎日練習していましたね。でも、中学生の時に入ったチームがとても強くて、当時体格が小さかった自分が活躍することは難しく、中学3年生に上がる前に諦めてしまいました。

高校生になってからは、夢や目標がなくなり、この先どうしていこうかと悩んでいましたね。


手紙の序文。imase直筆の手紙全文は4月11日(木)から東京・下北沢BONUS TRACKで開催されるFRISK「#あの頃のジブンに届けたいコトバ展」で展示される。

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サッカーの夢からきっぱり退場

──書いていただいたお手紙を読みましたが、中学3年生まではサッカーに打ち込んでいたんですね。

始めたのは小学5年生と遅めでしたが、プロサッカー選手を目指していました。メッシやクリロナ(クリスティアーノ・ロナウド)に憧れて、将来はバルセロナでプレーしたいと思っていましたね。

imase

──部活以外にもチームに入っていたんですか?

中学校ではクラブチームに入っていました。県内でもかなり強いチームだったんです。Jリーグの下部チームなどとも試合をしていましたが、チームメイトや対戦相手と自分を比べたときに圧倒的な差を感じたんです。当時は身長も160cmないくらいだったので、体格的にも限界を感じてプロになるのはあきらめました。

──体格に関しては努力だけではどうにもならないですし、それに見切りをつけるのはつらい経験だったんじゃないですか?

そうですね。でも、きっぱりあきらめがついたんです。差がありすぎてしんどかったので。

──肩の荷が下りたというか。

それに近いですね。中学生になってからは練習も厳しかったので、シンプルにサッカーを楽しめていた時間もそんなに長くなかったんです。つらい思いのほうが強くなっちゃったのかもしれないです。

楽しいがゆえの将来への不安

──高校生活はいかがでした?

めちゃくちゃ楽しかったです。特に打ち込んだものはありませんでしたが、友達とゲームをしたりたくさん遊んだり。ストレスなく学生生活を送っていました。一応サッカー部にも所属していましたが、「全国大会を目指すぞ!」という感じではなく楽しんでやる感じでした。

──一方で手紙には「この先どうしていこうかと悩んでいた」と書かれています。

楽しいがゆえの悩みだったかもしれません。当時は学生として守られていたけど、卒業して社会人になったら自分の人生に責任を持たなければいけない。友達とも頻繁には会えなくなるだろうし、新しい場所で仕事も始まるわけで。結局家業を継ぎましたが、それも特にやりたいことがなかったから、というのが一番の理由だったので、常に将来に不安はありました。

imase

──現在と未来がつながっていないような感覚ですね。

地元が田舎ということもあり早く結婚する人が多かったですし、24、5歳で安定した職に就かずにいると周りから白い目で見られると思っていたんです。そういったことも含めて、さまざまなことにチャレンジしづらい環境でした。「就活する必要がなくていいね」と言われることもありましたが、ちゃんと家業を継げるのかというプレッシャーもありましたし、そこにどれほどの熱量を注げるか難しく感じていた部分もありました。

──端から見れば恵まれていても、「もしかしたら親の敷いたレールに乗っているだけなんじゃないか」という葛藤があったと。

それが自分のやりたいことと一致していればいいんですけどね。でも、そもそもみんながみんな好きな仕事に就けるわけでもないですし、今後どうするかというのは常に悩んでいました。

音楽という道に進んだ、自分にとっての“いい選択”

──そうやって日々を過ごしながら、音楽活動を始めるわけですね。

趣味を探していた時期があって、友達とキャンプをしたり、DIYで秘密基地を作ったり、フットサルや野球をやったりしていたんです。その中で、友達がギターを買っていたので自分もやってみようかなと。

imase

──いろいろやったうえで、ギターは手応えがあったんですか?

シンプルに、やっていて楽しかったんです。趣味の1つとして。

──たまたま音楽でアウトプットしただけで、「友達とのキャンプを撮ってYouTubeにアップする」みたいな方向にいっていた可能性もあるんですかね?

それも全然あったと思います! YouTuberになっていたかもしれない。本当に今も音楽を続けられているのは奇跡みたいなものなんです。最初に投稿した動画の反応がよかったのが大きいですね。そうじゃなかったら、続けていないかもしれない。

今23歳の自分は、20歳の秋に新たにチャレンジした“音楽”に打ち込んでいます。音楽は全くの未経験でしたが、諦めずに挑戦したことで、今や国内のみならず海外でも多くの人に自分の音楽を聴いてもらえるようになりました。

<imaseの手紙抜粋(「#あの頃のジブンに届けたいコトバ」presented by FRISK より)>

──お話を聞いていると、imaseさんの人間性に鬱屈したところを感じないんです。それが音楽性にも表れているなと。

いしわたり淳治さんも、そうおっしゃってくれていました。僕に限らず最近のミュージシャンは、ナチュラルな「音楽を作りたい」という気持ちだけでやっている人が多いのかもしれないですね。それが楽曲にも反映されている気がします。

──「俺には音楽しかないんだ……!」みたいな切迫感ではなく、サッカー選手とか家業とか、たくさんある選択肢の中からたまたまミュージシャンとしての未来があったという感じですよね。

何が自分にとって大事な選択になるかわからないので、時にはあきらめることも大切だと思うんです。1つの夢をずっと追いかけるのももちろん素敵ですが、ある程度の期間やってみてダメだったら別のことをやってみる、というのが自分の性格には合っていました。そのおかげで今こうやって音楽をやれているので、いい選択をしたなと思っています。

──音楽活動が本格化した時期は、コロナ禍の真っ只中でした。制限が多くて歯がゆい思いだったのか、それともゆっくりしたスピード感が逆によかったのか、どちらでしょう?

大変なことも多かったですが、自分にとってはあの期間は重要だったのかなと思います。みんながSNSを見る機会が増えた時期だったので、楽曲が聴かれやすいタイミングだったと思いますし。そういう意味では、コロナ禍というのはマイナスの面ばかりではなかったと思います。僕自身、SNS上でショート尺の楽曲が増えてきたことに影響されてTikTokに投稿を始めたので、このタイミングじゃなければSNSを意識した楽曲の作り方はしていなかったかもしれません。

imase

──メジャーから声がかかった2021年時点では、フルサイズの曲を作ったことがなかったそうですね。そのままデビューしたというのも、あの時期ならではだったように思えます。

コロナ禍の影響でライブハウスでの発掘の機会が減ってしまい、SNSから発掘されることが多かったと思うので、時代にマッチしたんだと思いますね。

──急に注目度が上がって状況が変わっていくことに不安はなかったですか?

ありました。レーベルから声がかかったときも最初はお断りしていたんです。当時は曲を作り始めて5カ月くらいだったので2、3年は自分だけの力でやってみたいとも思っていて。でも熱心に話してくれるスタッフさんがいたので、一緒にがんばることを決めました。もしあのときに決断しなかったら、タイミングを逃して音楽をやめていた可能性もあるので、思い切ってよかったです。