「超アーティストオーディション」特集| ヒャダインが語る「やってみる人生」を選ぶべき理由 (2/2)

「◯◯の子だよね」と言われることがものすごく重要

──ヒャダインさんはこれまでにいろいろなオーディションやコンテストなどの審査員を務めていらっしゃいますが、その際どういうポイントを見ますか? もちろん趣旨にもよるとは思いますが、共通して重視する評価軸があったら教えてください。

やっぱり、まずはやる気じゃないですか? やる気と、あとは特異性ですよね。オリジナリティにあふれている人はやっぱり応援したくなっちゃいます。逆に、“誰かみたい”になろうとしちゃう人にはあんまり興味が湧かないんですよ。だってその“誰か”はすでにいるわけですから。

──どんなに技術が優れていたとしても、ってことですよね。

はい。あとから指導を受けて方向性を修正できるだけのバッファがあればいいんですけど、あまりにも凝り固まっちゃってる人の場合は、どんなに技術があっても魅力的には映らないかもしれないですね。

──逆に言うと、自分の強みが自分で見えていない人の場合でも、オーディションを受けることで何かを見出してもらえる可能性もあるわけですよね。

ですね。オーディションを受けるのは若い人が多いと思うんで、44歳のおじさんから言わせてもらうと「君たちの魅力なんて自分が一番わかってないんだから、1回その判断を他人に委ねてみようよ」という気持ちがありますね。例えば若いアイドルの子たちがよくSNSに自撮り写真を載せるじゃないですか。でも、みんな全然よくないんですよ。それはなぜかというと、自分の魅力に自分で気付けていないから。

ヒャダイン

──「自分の見え方はこの撮り方が一番いい」と思い込みすぎちゃっている?

そう。本人にとってはそれがすごくいいものに思えているかもしれないけど、往々にして“ほかの誰かみたい”なんですよね。じゃあほかの誰かでいいじゃんっていう。その人にしかない魅力って、その人にとっては隠したいコンプレックスであることがすごく多いんです。でも、みんなそれを隠してキレイに見せようとしてしまう。そうするとみんな似たり寄ったりになって、その人である必要がどんどんなくなっていっちゃうんですよ。「その大きな鼻が君だけの魅力なのに、なんで隠すの?」みたいな。

──コンテストなどの審査をしていて、「あの子惜しいな、俺だったらこうやるのにな」と思う場面などはあったりしますか?

「自分だったら、もっと覚えてもらうために何かしらするのにな」と思うことは多いですね。就職面接とかでもそうだろうと思うんですけど、みんなついつい“こう振る舞うのが正しい”とされている受け答えをなぞろうとしちゃうんですよ。その結果、みんな同じようなことしか言わないみたいな。

──なるほど、それは大いにありそうです。

そうじゃなくて、何か1個でも記憶に残るもの……「◯◯の子だよね」って代名詞になるような何かを残してほしいなと。「◯◯の子」って言われるの、ものすごく重要なんですよ。「すごいベリーショートの子」でもいいし、「バク宙した子」とかでもいいんですけど、そういう引っかかりがないと印象に残らないんで。自分だったらそうします。恥ずかしいですけどね、それを実際にやるのは。

──確かに言われてみれば、ヒャダインさんの作られる楽曲にはいつもそれを感じます。「宿題が終わらない曲」とか、「きのこ派とたけのこ派が争う曲」とか。

いわゆる“フック”と呼ばれるものですよね。僕は“びっくり箱”と呼んでるんですけど(笑)、どんなにいい曲でも、びっくり箱が仕掛けられていないものはスーッと通り過ぎてしまうんですよ。そこは常に意識していますね。

ヒャダイン

──それが“びっくり箱”であることが、わかりやすければわかりやすいほどいいですよね。

そうですね。多少わかりづらかったとしても、審査する側が見抜ける程度のびっくり箱をご用意いただきたいなと。少年少女にはなかなか難しいことだとは思いますが、それを考えるか考えないかだけでも全然違ってくると思いますので……。あともう1つ、若者たちにこれだけは言っておきたい。デコを出せ!

──デコ?

おでこですね。額を出してほしい。最近は男の子も女の子も前髪の重い子が多くて、顔がわかんねえよ!っていう。誰が誰だか覚えにくいし、オーディションのような場ではデメリットにしかならないです。ただでさえおじさんには若い子の顔がみんな同じに見えるんだから(笑)。

人は負けるんです

──オーディションを受けることや勝ち抜くことによって、人生においてどんなものが得られると思いますか?

楽曲を作る仕事においてはコンペというものがありまして、それがまさにオーディションなんですよね。1曲の募集に対して大勢の作家が曲を作って応募して、1人だけ通るという。やっぱりオーディションなんで、当たり前ですけど落ちることのほうが多いんですよ。その落ちたときのメンタルをどう持っていくか。それが人生にものすごく影響すると思います。

──なるほど……!

特に大きいのは、自責と他責のバランス。「自分に能力がないからダメだったんだ」という自責と、「俺を選ばないあいつらには見る目がない」という他責の両方があって当然なんですけど、どっちかに偏ったらダメなんですよ。人のせいにしすぎると客観性を失いますし、自分のせいにしすぎるとやる気が削がれてしまう。まあ理想を言えば50:50がいいんでしょうね。そのバランスの取り方がうまくなればなるほど、生きることがラクになります。

──それによって、いわば“負け方”がうまくなるわけですよね。オーディションなどに限らず、上手な負け方を知ることは確かにとても大事だと思います。

そうなんですよ、人は負けるんです。レジに並んでても負けるじゃないですか。「あ、あっちの列のほうが長かったのにめっちゃ進んでる!」とか(笑)。そういうアンガーマネジメントにも通ずることだと思いますし……逆に、「オーディションに一度も落ちたことがない」はけっこう悲劇だと思いますよ。

──確かに。

負け方を知らない人って、意外に脆かったりすると思うんですよね。負けて歯を食いしばったり、悔しい思いをすることが確実に人を育てますから。今の僕があるのも、作家として食えるようになるまでにひたすら負け続けてきた歴史があるからこそだと思ってます。なので、これからオーディションに臨む人たちは負けを恐れる必要はないと思いますね。負けを知らずに大人になることのほうがよっぽど怖い。

──そう考えると、オーディションなんてものは受ければ受けるほどいい?

と思います。ただ、毎回「俺を選ばないあいつらはバカだ」と反省も改善もなく受け続けるのは違うと思いますけど。ちゃんと負け方を身に付けながらじゃないと、ただただ自己肯定感が下がっていくだけなんで(笑)。

──本当におっしゃる通りだと思います。

ただ、やらずに文句を言うのが一番ダサいんで、やってから言おうよとは思いますね。なので今回の「超アーティストオーディション」が気になっている人には、「やってみる人生とやってみない人生、どっちがいいかい?」ということを一度考えてみてほしいなと思います。ベタな話ではあるんですけど、やったあとの後悔とやらなかった後悔って、後者のほうがはるかにエグいんですよ。

──ヒャダインさんにもそんな経験が?

自分が参加しなかったコンペとかで、選ばれた曲が全然よくなかったときとか(笑)。「俺が出しとけばもっといい曲ができたのに!」と思うと、やっておけばよかったなと思います。もちろん出して落ちていた可能性だって十分ありますけど、出しもしなかったくせにグチグチ言うのってダサいじゃないですか。しかも、やらなかった場合って「ああできたかもしれない、こうできたかもしれない」ってパラレルワールドが無限に生まれちゃうんですよ。それに対して、やったあとの反省後悔は「やらなきゃよかった」の1パターンしか生まれない。心への負担は、はるかにそっちのほうが小さく済むんです。

──なるほど。

だから、まずはあれこれ考える前に応募してみたらいいと思いますね。人って“やらない言い訳”を考えるのがすごく得意なんですよ。「忙しくて準備できないから」とか「自分にはレベルが高すぎるから」とか、やらない理由はすぐにいくらでも見つかる。だけど、「そんなものどうだっていいから、とりあえずやろうぜ」というのは伝えたいですね。

ヒャダイン

SDR Presents 超アーティストオーディション

部門

1. 超ボーカルオーディション
2. 超なんでもオーディション ※新設

募集期間

2024年7月25日(木)0:00~9月30日(月)23:59

詳細・応募はこちら

プロフィール

ヒャダイン

1980年、大阪生まれの音楽クリエイター。本名は前山田健一。3歳でピアノを始め、作詞・作曲・編曲を独学で身に付ける。京都大学を卒業後、2007年より作曲家としての活動を開始。動画投稿サイトへヒャダイン名義でアップした楽曲が話題になる。一方、本名での作家活動で提供曲が2作連続でオリコンチャート1位を獲得するなどの実績を残し、2010年にヒャダイン=前山田健一であることを公表。アイドルソングやJ-POP、アニメソング、ゲーム音楽など多方面への楽曲提供を精力的に行い、自身もアーティスト、タレントとして活動する。2021年9月には、サウナへの熱い思いをつづった「ヒャダインによるサウナの記録2018-2021—良い施設に白髪は宿る—」を、2022年10月には自身が手がけた楽曲をピアノアレンジした楽譜集「ヒャダイン(前山田健一) / ピアノ・コレクション」を発表した。