杏沙子|そこにある感情をそのままに 2020年のノーメイクモード

杏沙子が7月8日に2ndアルバム「ノーメイク、ストーリー」をリリースした。

2019年2月発表の1stアルバム「フェルマータ」に続く今作は、杏沙子の楽曲制作における心境の変化が如実に反映されたアルバムとなった。これまでフィクション的要素の強い歌を多く歌ってきた彼女がリアルな感情に深く向き合い、1つひとつのストーリーへと昇華した10曲を収めた今作には、“ノーメイクモード”な彼女の現状が表現されている。今回のインタビューではこのアルバムの楽曲群が生まれた背景や作曲について、杏沙子に話を聞いた。

取材 / 臼杵成晃 文 / 三橋あずみ 撮影 / 星野耕作 メイク / 髙千紗都

杏沙子

「歌いたい」と「曲を作りたい」の比重

──杏沙子さんの人となりや歌詞について掘り下げたインタビューはこれまでいくつか読みましたけど、僕は「この人、作曲家としてすごくないか?」と常々思っていて。

わあ。

──でも作曲について具体的に話したものは読んだことがなかったので、気になっていたんです。メロディに伴うアレンジやコード進行もけっこう無茶している曲が多いですし。

確かに、そのあたりのことはあまり聞かれたことがないかもしれないですね。

──シンガー、作詞家、作曲家……といった音楽的な属性を考えたとき、ご自身では特にどこに属しているとお考えですか?

やっぱり一番はシンガー、歌うことですね。曲を書き始めたのは20歳くらいの頃ですが、それまでは自分が曲を書けるなんて思ってもいなかったですし。とにかく歌を歌いたくて活動を始めたので、自分の原点は「歌いたい」ですね。

──歌を歌いたい、歌手になりたいという気持ちで突っ走ってきた中で、作曲せざるを得なくなった?

そうですね。「歌うのであれば自分の言葉で歌いたい」みたいな思いが湧いてきて。インディーズのときに初めて「道」という曲を書き、そこから作曲をするようになりました。歌いたいから書いたんですよね、完全に。

──単に歌いたいというだけなら、アーティストデビューするにしても、例えば作家さんと組んで二人三脚で、みたいなスタイルでもよかったですよね。けれど、デビュー後は自作曲がどんどん増えているという。

歳を重ねるにつれて、「歌いたい」と「曲を作りたい」の比重が自分の中で変わってきた感じがあります。だから今回のアルバムは1stアルバムの「フェルマータ」(2019年2月発売)のときとは自作曲の比率が違いますし、「ノーメイク、ストーリー」では曲を書くということに自分の歌う意味を感じ始めたというか。

杏沙子

実際にある気持ちを書きたいモード

──自作曲について、ご自身ではどう思っています? 「私の曲、展開がめまぐるしいな」と思いません?

思います!(笑) めちゃくちゃ思います。私は最初に曲を書いたときから今まで、変わらずに鼻歌で作っているんです。自分が「いいな」と思う言葉を書き留めているメモを見ながら鼻歌を歌って、まずサビを作る。そこから「なんで私はこの言葉にときめいたんだろう?」とかいろいろ考えながら、曲を落ち着かせていくというか。

──聴いている途中で「この展開でどうやってサビに着地するんだろう?」と感じる曲が多いんですよ。計算ずくで作っているのか、自然とそうなっているのか、どっちなんだろう?と。

それは本当にフィーリングとしか言いようがないんです(笑)。メロディと歌詞がほぼ同時にできあがるんですけど、いつも見切り発車で結末はわかっていない、という状態で作っていますね。

──なるほど。作曲段階ではコード感やアレンジの膨らみはどのあたりまでイメージしているんですか?

曲にもよりますが、頭の中で「こんな感じかな」という音は鳴っていて。その中で自分的に一番こだわりがあるのはドラム。リズム系です。頭の中で特に強く鳴っているので、ディレクターさんにはアカペラの歌に指ドラムの音が入ったボイスメモを送るんです。だから「ここでフィルが入ります」とか、そういうリズムのディテールはデモの時点でだいたい伝えていますね。コード理論についてはあまりわかっていなくてフィーリングで作るので、その分ビートをすごく大事にしているというか。

──そういう作り方だと、アレンジャーから「これは理論的に破綻しているから無理だよ」と言われることもある?

あります(笑)。「部分転調してる」とか「ありえない動きをしてる」とかよく言われます。それなのに、すごくありがたいなと思うんですけど……私が持ってきたものを基本変えずに作ってくれるんですよ。どんな球でも受け止めてくださる方たちで、本当に好き勝手やらせてもらっています。

──杏沙子さんの作品の多くに参加している山本隆二さんや横山裕章さんは僕も大好きなアレンジャーで、ほかのアーティストの作品でもよく耳にしていますけど、杏沙子さんの作品では“腕まくり”しているのを感じるんですよね。「これはやりがいがあるぞ」と感じているのか、大胆なアレンジが楽しめる楽曲が多くて。

面白いのが、山本さんや横山さんにアレンジをお願いするときは「こういうイメージで書きました」と、直接アレンジにつながらないような……例えば「何色です」とか「この時間帯です」とか、ざっくりとしたイメージもお送りするんですけど、返ってくるアレンジが自分の頭の中で鳴っているものとは違うこともわりとあるんです。「恋の予防接種」(「フェルマータ」収録曲)なんかは特に自分の想像とは全然違うアレンジでしたけど、私はその化学反応がめちゃくちゃ好きで。自分で「この曲の力量はこれくらい」と思っていたものが、突き抜けて違うフェーズに行ったみたいな、そういう快感があるんです。

──その話を聞いていると、変にコード理論やアレンジの知識を身に付けないほうが面白い気がしますね。

ディレクターさんにも同じことを言われました(笑)。「あまり知らないほうが面白いかもね」って。

杏沙子

──「ノーメイク、ストーリー」は自分自身について書かれた曲が増えた印象があります。「フェルマータ」のインタビューで、故郷である鳥取を題材にした「とっとりのうた」を作ったことで「これからは自分を切り取った曲も書いていこう」と決意したとお話しされていましたけど(参照:杏沙子「フェルマータ」インタビュー)、今作の変化はその発言の流れと言えるのでしょうか。

そうですね。「とっとりのうた」と、そのあとに出したシングル「ファーストフライト」(参照:杏沙子「ファーストフライト」インタビュー)の2曲が、自分の意識が変わる大きなきっかけになりました。これまではフィクション的な、物語的な曲を書くのが好きだったんですけど、自分の中に実際にある気持ちだったり、自分自身のことじゃなくても実在した誰かの気持ちを書きたいというモードになっていって。ただ、現在進行形で変化しているときって、自覚がないんですよ。「フェルマータ」と「ノーメイク、ストーリー」、どっちもアルバムの作り方自体は全然変わっていないんです。そのときに書きたかった曲を書いて寄せ集めたら1つの作品になった、という完成の仕方なので、最後にまとめたときに「あ、私ってこうだったんだ」って気付くというか。アルバムって「自分ってこうだったんだな」と1度立ち止まって理解できるものなんだなと思いました。

──アルバム制作期間という、ある一時期の自分をひと括りして分析してみた結果、こうだったという。

そうなんです。「ノーメイク、ストーリー」というタイトルも最後に付けましたし……アルバムは自分を認識するきっかけになるものなんだなと思います。今回は約1年間をかけて作ったんですけど、ホントに一時期の自分を記録している感覚。1枚ごとに伝わるものがあると思うし、アルバム制作は自分の中ですごく有意義な作業なんです。