杏沙子|最後のピース「とっとりのうた」を手に入れて完成させた“私のアルバム”

「とっとりのうた」が最後のピース

杏沙子

──曲作りの背景を聞けば聞くほど、“杏沙子さんじゃない誰か”を歌っているんですね。

松本隆さんの「1曲が1冊の本のように感じられる歌詞」に影響を受けているので、自分も1冊の本を作る感じで取り組むほうが楽しいし、それに憧れて曲作りを始めました。松本さんが「物語は誰かのものになればいい。あえて余白を作って、どんな人でも寝転べるハンモックのような言葉選びをしている」とおっしゃっているのを何かで読んで、私もそういう言葉選びをしたいなと思ってます。ただ、だんだん自分のことを歌いたくなってきて。

──自分のことですか?

これまでは1冊の小説を作る感覚で曲を作ってきたんですけど、今回いろいろと自由に制作させてもらって「自分がどこにもいないんじゃないか」と思ったんです。実は10曲のアルバムにする話も出ていたんですよ。だけど、曲がそろったときに「これは本当に私のアルバムなんだろうか」と疑問が湧いて。それで急遽「もう1曲書きたいです」と言って期間を延ばしてもらって作ったのが「とっとりのうた」でした。

──「とっとりのうた」は当初作る予定じゃなかったんですね。

杏沙子

「とっとりのうた」は去年の夏に鳥取へ帰ったときに、誰のためでもなく私がいいと思う曲を書こうと思って作ったんです。いろんな人に当てはまるようなタイトルでもいいかなと思ったんですけど、“これは自分のための曲”と主張するために故郷の名前を入れたタイトルにしました。この曲ができたときにやっとアルバムが完成したと思ったんですよ。これからは自分を切り取った曲も書いていこうかなと思えたことが、自分の中で大きな変化でした。

──自分が主人公の歌を書こうと。

「花火の魔法」をリリースしたとき、自分の曲が自分だけの曲じゃなくなって、誰かの曲になるのを目の当たりにしたんです。聴く人によって思い描く画が違うというか。

──杏沙子さんはそれを目指してきたんですよね?

うれしかったんですけど、同時に「もっと自分の曲に責任を持たなければ」とも思ったんです。無意識に自分を縛っていたというか、「みんながいいと思う曲を書かなきゃ」という意識が自分自身を追い詰めていて。それで原点に立ち返って、自分だけのために自分の曲を書かなきゃと思いました。

──いざ自分のことを歌にしてみていかがでしたか?

やっぱり最初は不安でした。今まではみんなに当てはまるような小説という感覚で歌詞を書いていたけど、自分の中だけで思っていることを出すのは怖かった。だけどスタッフさんや周りの人たちからすごく反応がよかったんですよ。言ってしまえば誰のためにも書いてない曲なのにそれに共感してくれたり、「心が動かされた」と言ってもらえたりしたときは自分自身が肯定された気がして。そうやって私以外の誰かの心に届いたことは歌手ならではのことじゃないのかなと改めて気付きました。

──ちなみに杏沙子さんにとって故郷の鳥取はどんな場所ですか?

杏沙子

高校卒業までいたんですが、ずっと鳥取を出たくてしょうがなくて大学進学を機に一人暮らしを始めました。でもあんなに出たかった場所なのに、いざ離れてみると戻りたいと思うこともあって、「なんでだろう?」と考えたらこの曲が浮かびました。「ここには何もない」「鳥取じゃ何も叶えられない」と地元を飛び出したんですけど、戻ってきたら欠けていたものがどんどん補充されて。改めて私にとって鳥取はかけがえのないところだと思いましたね。それに気付いたときに生まれたサビの歌詞は、自然に自分の中から出てきたのでツイートしようとしたくらい。

──「『ここにはなにもない』そう言って離れた先で もしわたしどこか一部欠けても この場所にだけあるなにかで たしかに誰でもないわたしにもどる」ですね。

そうです。うまく言えないんですけど、つぶやきのような感じでぽろっと出てきたんです。確かに東京へ行ったら鳥取にないものばかりがあって、都会には何でもあるなと思ったんです。でもそれとは逆に鳥取へ帰ったら東京にないものが全部あるということに気付きました。

──当たり前にあったものが、自分の生活からなくなってわかる大事さというか。

そうなんですよね。離れてみて気付くことはいっぱいありました。ずっと通っていた田んぼ道とか、空の広さとか、当たり前に見てた湖山池とか。私、すごいところで育ったんだなと東京に行ってからわかりましたね。

──今まで誰かにスポットを当てた作品を紡いできた杏沙子さんが、今作のラストで自分を主人公にした曲で締めるのは泣けますね。

完成して、これが最後のピースだったなと思いましたね。「これが足りなかったんだ」って。自分がどこに立っているのかを知りたかったんだなあ、と思いました。

杏沙子

「どこかで監視されてる?」みたいな

──そして前作と同じく、今回も新進気鋭の作家・幕須介人さんが楽曲提供されています。幕須さんの曲についてはどのように感じてますか。

幕須さんはインディーズ時代に知り合った方で、メジャーになってからも書いていただいてるんですけど、メールのやりとりだけでいまだにちゃんとお会いしたことがなくて。曲に関しても「こんな曲を書いてほしい」と言わずに幕須さんにお任せでいつもお願いしているんです。

──じゃあ、できあがるまでどんな曲かわからないんですね。

だけど、毎回その時々の私自身を歌っているような曲を作ってくださるんです。まるで「どこかで監視されてる?」みたいな(笑)。いい意味で自分で書いたんじゃないかと思うような錯覚すらします。すごく印象的だったのが「着ぐるみ」で、これも今の話とつながるんですよ。私はいつも誰かの顔色を伺って、その人が嫌なんだなと思ったら自分の言いたいことをストップして、相手の気持ちを優先してしまうことがあるんです。それで自分の本音を言えなかったり、やりたいことがやれなかったり、そういうことが多くて。「着ぐるみ」ってみんなをハッピーにする存在ですけど、それって本当の自分じゃないわけで。誰かに批判されたとしても、自分じゃないから直に傷を付けられることはないんですけど。曲を聴いたときに「これは私のことだ」と思ってびっくりしました。多少傷付けられたとしても、素肌でいないと本当の自分の幸せは得られないから、そういう気付きをくれた曲でしたね。

杏沙子

──目を背けていた部分を指摘されているみたいな感じですね。

そうそう、本当にそうなんです!

──曲を聴いて胸が痛くなりませんでしたか?

ある意味、清々しかったですね(笑)。私のことを代弁してくれすぎてて気持ちがよかったというか、答え合わせができた感じ。この曲を聴いたことで、モヤモヤの時期があったからこそ、着ぐるみを脱いで自分の言葉に責任を持とうと思えた。もし失敗だと言われても、それを受け入れて自分の幸せを追いかけていくことができるようになったと思います。だからこそ「とっとりのうた」にもつながって。

──改めて「フェルマータ」は、杏沙子さんの作家としての顔も見せつつ、ドキュメンタリー性もある作品になりましたね。

本当にそうですね! このアルバムは幕須さんが提供してくださった「着ぐるみ」をはじめ、過去の恋愛を比喩した「恋の予防接種」、映画からヒントをもらった「チョコレートボックス」があったり、自分の知らない新しい自分に出会えた「ダンスダンスダンス」や、その一方でインディーズ時代から歌っている「アップルティー」や「おやすみ」もあったり、「とっとりのうた」では現在の自分も歌ったり、今まで以上にいろんな面を感じてもらえる作品になっていると思います。

杏沙子
杏沙子ワンマンライブ「fermata」supported by JTB
  • 2019年3月15日(金) 大阪府 OSAKA MUSE
  • 2019年3月30日(土) 東京都 TSUTAYA O-EAST