A9|ヴィジュアル系シーンの異端児、15年間の変遷と変わらないもの

15年ぶりに会ったら、すごく素敵な女性になっていた感じ

ヒロト そのあと、何人か師匠と呼べるような人に出会って、少しずつ技術や方法論を学んで。そのときの状況がなければ生まれなかった曲ばかりだし、15年を経て、今回の再録ベストが作れたのは、すごくいいストーリーだと思います。

 その時々でキーポイントになる曲がありますからね。例えば「タイムマシン」はこの5人でバンドをやるかどうか未確定のときに作ったんです。「このメンバーなら絶対にすごいことができる!」という勢いだけでスタジオに入って、「こういうドラムなんだ」「こんなベースを弾くんだ」と感じながら、全員でジャムりながら曲を形にしていって……とにかくガムシャラだったし、思い出も強いです。のちにネオヴィジュアル系という枠組みができて、その中でもがきながら活動を続けて。そのアンチテーゼとして作ったのがプログレを取り入れた「GEMINI」(「風月ノ詩」収録の「GEMINI -0-eternal」「GEMINI -I-the void」「GEMINI -II-the luv」)なんですよね。当時は反骨精神で作ったところが大きかったんだけど、今回は超ハイクオリティのオーケストラを従えて、納得いく形でパッケージできました。

虎(G)

 再録した「GEMINI」の完成形を聴いて、「なるほど、こういう曲だったんだ」と思いましたね(笑)。理論がわからない状態でやってる曲のカッコよさもあるんですけど、そのよさもありつつ、今の感じで表現できたのかなと。

ヒロト 「FANTASY」も印象的ですね。自分のことになっちゃうんですけど、初めて組んだバンドのメンバーが初ライブの前に亡くなって。「次に“これでいこう”と思えるバンドが組めたら、そいつのことを曲にして残したい」と思っていて、それが「FANTASY」なんです。当時は剥き出しの感情でレコーディングしたし、バラードでありながら、痛々しい感じがすごくありました。それをライブでやり続ける中で、曲に対する気持ちやアレンジも変わってきて、今回の完成形には優しい雰囲気が音の中にあったんですよね。自分自身も温かい感情でプレイできたし、しかも曲自体の出力は上がっている。そういう変化はすごくいいなと思います。

Nao 振り返ってみると、確かに変化は大きいですね。特に2006年にリリースした1stアルバム「絶景色」のレコーディングはめちゃくちゃキツくて、「もう2度とやりたくない」と思っていたんです。さっき沙我くんも言ってましたけど、とにかくスケジュールがタイトで、当日にデモが届いて、その場でアレンジして録ることもあって。それから15年かけていろんな経験をして、自分たちのスタイルで制作できるようになって……。今回の再録ベストは小さい頃に一緒に遊んでいた従妹に15年ぶりに会ったら、すごく素敵な女性になっていた感じでしょうか(笑)。制作に気持ちよく臨めたのもよかったです。

沙我 制作もそうですけど、活動全体が自由になってるんですよね。以前はバンドに関わる人の数も多かったし、何か1つ決めるにしてもいろんな人のジャッジが必要で。その結果、中途半端なものになってしまうって、ありがちな話だと思うんですよ。今はフットワークが軽いし、そこはラクなのかなと。まあ、どっちにもよさがあるんですけどね。事務所にいたときはいい楽器を用意してもらったり、有名なプロデューサーを紹介してもらえたり、すごくサポートしてもらえていましたし。今は誰も尻ぬぐいしてくれないし、すべて自分たちで動かせる分、誰のせいにもできないので。

バンドは家族みたいなものだから

──15年のキャリアの中でもA9にはいろんな変遷がありました。まず、アリス九號.として活動をスタートした2004年は、ネオヴィジュアル系が始まった時期と重なりますね。

 僕たちがバンドを始めた頃は、ヴィジュアル系がまったく流行ってなかったんです。お客さんは10人とか15人くらい。中にはTSUTAYA O-WEST、マイナビBLITZ赤坂などで大勢動員するバンドもいましたけど、それは本当にごく一部で、基本的には超氷河期で。ただ、その中に「本当にすごいな」と思う先輩のミュージシャンもいっぱいいて、そこに新しい可能性を感じていたんです。そういうバンドと対バンして、「負けない」という気持ちで活動を続けているうちに、気付いたらネオヴィジュアル系という枠が生まれていたんですよね。世の中的にネオヴィジュアル系を盛り上げる動きもあったんですけど、さっきも言ったように、僕らはその枠の中でもがいていて。

Nao(Dr)

──実際、ネオヴィジュアル系のシーンは一部のバンドを除いて、かなり衰退してしまいました。その中でA9が15年間、メンバーチェンジもなく活動を続けられたのはどうしてだと思いますか?

 そうですね……まず根底にあるのは、結成当初にNaoが「バンドは家族みたいなものだから、なんでも話そう」と言ったことかなと。

Nao 以前組んでいたバンドも、そういうスタンスだったんです。周りにはメンバー同士の仲が悪いバンドもいたんですが、僕は仲よくやりたくて。「楽しいことも悲しいことも共有できる、いい関係性のバンドでありたい」という、ただそれだけなんですけどね。

 個人的に悲しいことがあったときに、メンバーに話せるってすごく楽なんですよ。メンバーが誰と仲がいいかも大体わかるし、沙我くんがあんまり友達を作らないことも知ってます。

沙我 ははは(笑)。

 そういう関係性でバンドをやれるって、すごく大事なことなんですよね。

──音楽的な部分はどうですか? 当初は和の要素を取り入れていましたが、キャリアと共にかなり変化していると思います。

沙我 それはたぶん、“やりながら”ですね。A9の活動を続ける中で成長してきたという言い方が一番合ってるのかなと。最近のバンドって、最初から完成度が高いじゃないですか。勢いだけでなんとかなるという時代ではないし、そういうバンドは売れないですよね。ターゲットを決めて、そこに向けてしっかり活動しないと成立しないというか。自分たちは無の状態だったし、お客さんに育てられながら成り上がってきたバンドだと思うんです。そういうやり方ができる、ギリギリの時代だったのかなと。本当に何も知らなかったし、ゼロからのスタートだったから、やっていく中で考え方もどんどん変わって。だから音楽性も変化したんだと思います。

ヒロト バンドを結成した頃は、YouTubeやTwitterもなかったですから。例えば音楽制作のソフトにしても、調べようと思えばすぐにわかるじゃないですか。「知りません」というのが許されない時代だし、そこは自分たちがバンドを始めた頃とは全然違いますよね。