横浜流星、清原果耶らが出演した「線は、僕を描く」のBlu-ray / DVDが3月22日に発売される。
「ちはやふる」シリーズの小泉徳宏が砥上裕將の同名小説を映画化した本作。深い悲しみに包まれていた大学生・青山霜介が、筆先から生み出す「線」のみで描かれる芸術・水墨画の世界に魅了されていくさまが描かれる。横浜が霜介、清原が霜介のライバルとなる篠田千瑛、三浦友和が霜介を水墨画の世界へ誘う巨匠・篠田湖山を演じたほか、細田佳央太、河合優実、富田靖子、江口洋介が出演した。
映画ナタリーではソフト発売を記念し、本作のプロデューサーを務めた北島直明にインタビューを実施。水墨画の世界を青春エンタテインメント映画へと昇華させた制作の舞台裏や、横浜・清原の魅力、さらにプロデューサーとして意識していることを語ってもらった。
取材・文 / 奥村百恵
「水墨画には間違いがない」という言葉にハッとさせられた
──砥上さんの原作を映画化した経緯からお聞かせいただけますか。
最初のきっかけは、本屋で原作と出会ったことでした。文章的に正しいのは「僕は、線を描く」じゃないですか。だけど「線は、僕を描く」という変わったタイトルがキャッチーに感じて、とても心惹かれたんです。過去にプロデューサーを務めた「オオカミ少女と黒王子」「ちはやふる」も同じようにタイトルに惹かれた作品でしたね。本作を映画化した理由はもう1つあって、原作に出会ったのがちょうど小泉監督と「次はどんな作品を作りましょうか?」と相談していたタイミングだったんです。原作の表紙のイラストから“青春の匂い”がするのもいいなと思って、そこから映画化の企画を進めていきました。
──本作を観ると、なぜ「線は、僕を描く」というタイトルなのかが理解できるようなストーリーになっていますよね。
そこはすごく意識して作りました。正直、小説を読んだときはタイトルの意味を完全に理解できたわけではなかったんです。でも、本作の監修で入ってくださった水墨画家の小林東雲先生の「水墨画には間違いがない」という言葉にハッとさせられて、“これだ!”と思いましたね。例えば、書道の場合は墨汁が1滴でも垂れてしまったら失敗になりますよね。でも水墨画だと、落としてしまった1滴が画を構成するうえで大事な点になる可能性がある。それは線も同じで、たとえ描き間違えても10年後に“この線はいい線だった”と思えるかもしれない、そんな希望が東雲先生の言葉から感じられたんです。
「小泉監督、さすがだな」と思います
──劇中には江口さん演じる西濱湖峰が水墨画を失敗するシーンがありました。
先ほどの東雲先生の言葉を聞いて、湖峰が「あ!」と明らかに失敗するシーンを小泉監督が追加したんです。今の時代、“失敗が許されない”という殺伐とした空気がなんとなくあるじゃないですか。だけど、“失敗は間違いじゃない”みたいな言葉は誰かを肯定してあげることにもなるので、それはこの作品で描きたかったことの1つですね。
──なるほど。そういったメッセージを込めながら、水墨画にまつわる物語を丁寧に描き、さらにエンタメ映画として成立させてしまう小泉監督の手腕に驚かされます。
「ちはやふる」のときもですが、モンタージュ(編集部注:視点の異なる複数のカットをつなぎ合わせて1つの連続したシーンを作る技法)を用いて登場人物に何が起きていたのか、あるいはどのように成長していったのかを描く演出力において、小泉監督の手腕は日本のトップクラスだと思うんですよね。台本に「梅を描いていく千瑛を熱心に見る霜介」「霜介が千瑛の指導のもとで練習している様子を庭の手入れをしながら見ている西濱」と書かれたシーンが、映像になると霜介の表情から水墨画と真面目に向き合おうと決めた覚悟が伝わってくるし、千瑛が霜介に対して水墨画をちゃんと教えなければと感じているのも汲み取れる。そんな2人を温かく見守る西濱の視線からは彼の人間性もわかるので、本当に素晴らしいなと。そういう映画的なアプローチを見ると「小泉監督、さすがだな」と思います。
“横浜流星の代表作”を作りたいと思った
──主演を務めた横浜さんは2016年公開の「オオカミ少女と黒王子」にも出演されていましたが、当時の横浜さんからはどのような印象を受けましたか?
当時の彼はまだ10代で、特撮ドラマ「烈車戦隊トッキュウジャー」の直後ぐらいだったのですが、とにかく魅力にあふれていたのを覚えています。そこから瞬く間に人気者になっていきましたが、いつかまた横浜さんと一緒に仕事がしたいという気持ちは僕の中でずっとあって。それで、2019年に彼がドラマ「初めて恋をした日に読む話」に出演していた頃に、全国規模公開作品の主演をまだ1本もやっていなかったので、“横浜流星の代表作”を作りたいと思って本作のオファーをしました。もちろんそれだけが理由ではなく、霜介というキャラクターと横浜さんの親和性を感じたことも大きかったですね。
──それはどんなところでしょうか?
10代の頃の横浜さんは、俳優としてどう生きるべきかを悩んでいて、どこかあらがっているような雰囲気を醸し出していたんです。霜介も何かにあらがっているようなところがあるので、そこが10代の頃の横浜さんとリンクしたというか。あと、彼はあらがい、もがいた者だけが知る苦悩も経験しているはずなので、「霜介の成長も表現できる!」と、そんなふうに感じたんです。それでオファーしましたね。
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清原さんなら表現できると確信した