映像業界の人材育成を目的とした教育サービス“Production Camp”は、これまでに映画プロデュース、美術、演出、衣装、制作などで映像業界に幅広く携わってきた会社dexiが運営・監修するスクール。dexiならではのノウハウをもとに、現場の実態を効果的に学べるカリキュラムが開発され、現役で活躍するプロフェッショナルたちが講師を務めている。
映画ナタリーでは、Production Campで学べる内容を全3回の特集で紹介。第2回では、「おくりびと」や「東京リベンジャーズ」シリーズなどに助監督として携わり、「金子差入店」で長編映画監督デビューを果たす古川豪と、Production Campの卒業生である助監督の花園あさひ、浅葱凜へのインタビューをセッティングした。同スクールで学んだことや、研修後から仕事が途切れないという業界事情を語ってもらったほか、20年以上のキャリアを持つ古川が「金子差入店」に込めた思い、これからの映像業界に求めることを聞いた。
文 / 脇菜々香撮影 / ツダヒロキ
映画やドラマといった映像制作者を育てるための養成スクール。オンライン講座とオフライン研修を組み合わせ、知識の習得だけでなく現場での動き方やルール、立ち振る舞いを身に付けることに主眼を置いたカリキュラムで構成されている。
講座内容は、映像制作におけるプロセスや役割分担を学べる基礎講座のほか、制作・演出・美術の専門知識に特化した専門講座、そしてプロと一緒に短編映画制作に参加できる研修を用意。講座は好きなタイミングから受講が可能で、短編映画制作研修はオンライン講座を修了した人を対象に年4回実施される予定だ。
スクールというよりは業界への入り口(古川)
──今回は、さまざまな映画の助監督やドラマの監督として活躍されてきた古川豪さん、Production Campの卒業生である花園あさひさんと浅葱凜さんにお越しいただきました。皆さん初対面ということで、まずはそれぞれ自己紹介をお願いします!
古川豪 2003年にこの業界に入りまして、初めての現場は映画「釣りバカ日誌」シリーズでした。そこから助監督としていろいろな映画やドラマを経験して、滝田洋二郎監督の「おくりびと」にも参加し、オスカー像を掲げたこともあります。近年では「東京リベンジャーズ」シリーズや海外作品でチーフ助監督を担当したり、深夜ドラマの監督もやっていたりするので、助監督としてのキャリアは幅広いです。5月16日に、自分の長編監督デビュー作の映画「金子差入店」が公開されます。
花園あさひ 私がこの業界に入ったのは、Production Campがきっかけです。2022年に1期生として1カ月研修を受けたあとすぐ実際の現場に入り、助監督のキャリアは今年の春で丸3年になります。今まではドラマの現場が多くて、「silent」「海のはじまり」、今年の秋に配信されるNetflixシリーズ「今際の国のアリス」シーズン3などでサード助監督を経験し、今準備に入っている10月クールの連続ドラマで初めてセカンド助監督を担当しています。
助監督の種類
- チーフ
撮影や準備などの全体のスケジュール、演出部の人選などを担当
- セカンド
衣装・メイクとのやり取りや、エキストラの演出などを担当
- サード
美術、装飾、小道具などを担当。作品内で使用される文字情報を考えることも多い
──浅葱さんはProduction Camp2期生とお聞きしました。
浅葱凜 はい。大学1年生の夏休みにProduction Campに参加しました。1カ月間研修を受けたあと、大学に通いながらインディーズ映画などの現場を中心に演出部のサード助監督として参加する、ということをしてきました。
──ちなみに古川さんはこのProduction Campについてどんな印象をお持ちですか?
古川 スクールの代表であるdexiの伊藤(正美)さんの紹介で知りました。業界の人材不足や、育てる環境がなかなかないということが、20年以上この業界にいる僕としても由々しき事態だなと。だからこういった取り組みには賛同します。僕自身はそんなに強い思いでこの業界に入っていないけど、いろんな監督からすさまじい英才教育を受けてきて、気が付けば映像作品を撮ることが自分の仕事になっていた。そういう人間でも監督になることもあれば、もっと強い思いがあったのにいろんな理由でできなかった人もいるはずです。スクールというよりは業界への入り口ですよね。入ったあとは現場で実践して自分でどうのし上がるか考えるしかないですが、その1段階前の素晴らしいプロジェクトだと思います。
──「強い思いで入っていない」とおっしゃいましたが、そもそも古川監督はなぜこの業界に入ったのでしょうか?
古川 僕はもともと松竹にあったシナリオ学校(松竹シナリオ研究所)に通って脚本家を目指していたんです。週に2回ほど夜に授業がある学校で、そこで脚本の勉強をしているときに「釣りバカ日誌」の確かパート12を現場見学したんですよね。当時は僕も卒業間近の学生で、就職活動するのは面倒くさくて(笑)。会社組織についてもよくわかっていなかったので、「楽しそうだし現場をやってみたい」と学校に伝えたら「じゃあ来月から行って」みたいな感じでした。今となったらこの業界にも映画会社や投資会社などいろんな会社があって、その人たちの大変さもわかりますけどね。
──花園さんと浅葱さんのお二人は、なぜProduction Campを選んだのでしょうか。
花園 私はそれまでフリーターをしながらダンサーとして活動していて、自分でダンス作品を作ったりしていたんです。振り付けや選曲をして、照明も自分で考えていたんですけど、ダンスの活動に見切りをつけようと思ったとき、最初は衣装の仕事をいろいろ探していました。普通のアパレルはつまらないなと思っていたところ、たまたまdexiを見つけて、それがProduction Campが始まるタイミングだったんです。伊藤さんと面談をして「ダンスもやってたし、すごいアクティブな感じがするから、映像作品の現場の仕事はどう? 衣装だけにこだわらずいったんProduction Campを受けて業界を知るのも面白いんじゃない?」とお声掛けいただいきました。初めての試みに興味があったし、自分がすごく変わりたい、新しいことに挑戦したいタイミングでご縁があったので、少し勇気を振り絞って飛び込んでみた感じです。
──ダンス作品も、総合芸術ですもんね。
花園 はい。でもまた舞台とは違う、“映像の嘘のつき方”がすごく面白いなと思い、今は映像を通した表現を支える仕事ができているのがうれしいです。
──浅葱さんはなぜProduction Campだったんでしょうか?
浅葱 もともとアルバイトで訪問介護のお仕事をしていたんですが、ALSという筋肉が徐々に衰えていく患者さんが映画やドラマを観ているのを目の当たりにして「こういう方に直接届いているんだ」と知ったのがこの業界に興味を持ったきっかけです。普通の大学に通って介護のアルバイトをしていた私が、映像の現場に行くにはどうすればいいんだろうと考えて、最初はボランティアエキストラとしていろんな作品に参加していました。そこからインディーズ映画の方々とお会いする機会が増えて、たまたまパイロット版でキャストとして参加した作品の監督に、終わってから「出役じゃなく裏方のお仕事を知りたい」と伝えて現場をお手伝いさせていただくようになりました。その中で一度ちゃんと座学でも学びたいと思ったときにInstagramの広告に出てきてProduction Campを知りました。
──なるほど。ちなみに古川監督は“現場で学んできた”という感じでしょうか。
古川 そうですね。僕も、最初はどういうふうに作品が作られているのかまったくわからず、カメラ機材も触ったことがなかったし、照明をはじめ技術機材には疎かったです。衣装も実際どこでどうやって借りるのかなど、入ってから全部学びました。
事前知識は「助監督は大変」ということだけ(浅葱)
──花園さんと浅葱さんは、それぞれ対面で研修を受けたとのことですが、その1カ月はどういうスケジュールだったんですか?
花園 本当に学校みたいでしたね。私のときは1日5時間分ぐらいの授業が月曜日から金曜日まであって、それが4週間。最後の2日間が実際に外に出て短編映画を撮る研修で、翌日にフィードバックもありました。私はその1週間後ぐらいには実際の現場に行っていましたね。
一同 (驚きの声)
──浅葱さんは現場を経験して学びが必要だと思い、Production Campに参加したとおっしゃっていましたが、その前後で何か変化はありましたか?
浅葱 そもそもスクールに行く前は助監督という仕事を知らないまま、美術助手みたいなことをしていたんです。「助監督は大変」「助監督は忙しい」という事前知識だけ得た状態でProduction Campに行って、各部署がどういうお仕事をしているのかを知りました。のちに師匠的なポジションとしてお世話になった助監督の方が、「助監督は道具を持たないから、君ができることは現場で声を出して、いろんな人にお願いしながらお手伝いをすることだ」と言っていたのですが、Production Campに行っていなかったら、仕事を手伝うにも何を手伝えばいいかわからなかったり、逆に邪魔をしてしまっていたかもしれない。各部署の動きをわかった状態で現場に入ることで気が利く対応ができるようになったので、役に立ったと思っています。
花園 やっぱり、現場に誰がいるかを知っていたほうがいいですよね。「この人はお弁当を用意してくれる人だ」「この人は偉い人だ」とか(笑)。浅葱さんが言うように、助監督は監督の意向を全部署に発信して、いろんなことをお願いする立場なので、誰がどういうふうに裏で・現場で動いているかを事前に知れて(実際の現場に)すごく入りやすかったです。
古川 僕が若い頃はいろんな映画専門学校があったけど、今はほぼなくなって、どんどん大学化している。大学で映画を学んだ人が全員この業界に来るのかというとそうでもないですし、大学に行くお金がない人たちはどうするの?という話にもなりますよね。花園さんと浅葱さんは話すのが嫌いじゃなさそうだから向いていらっしゃるだろうけど、実際にやってみて向き不向きもありますし。
浅葱 あと、私は現場でセクハラを受けた経験がありまして。これも1人だったら何もせずにもんもんと過ごしていたと思うんですけど、Production Campを出たあとでも伊藤さんがお話を聞いてくださったり、手厚くサポートしていただけたので、そこもすごい強みだなと思いました。
研修の1週間後から「仕事が途切れない」(花園)
──最後の短編映画制作の研修では、2日間でどうやって映画を作ったんですか?
花園 台本は1週間前くらいにいただいて、みんなで読んで香盤表を作って、という準備の段取りから教えていただきました。
古川 香盤表を作るのは基本中の基本ですよね。その作り方も教えてくれたんだ。
花園 はい。「こうやって台本を整理していくんだよ」ということから始まって、「じゃあこのシーンにはこういう小道具が必要だね。買いに行こう」みたいな。監督が常にいてくださったので「このシーンはこういうかばんにしよう」という指示があったし、衣装合わせもしました。撮影の2日間は始発で現場に行って、講師でもある制作部の人が作ってくれた撮影スケジュール通りにみんなでなんとか乗り切りました。「みんな何やりたい?」と役職の振り分けからやったんですが、「じゃあ大変そうだし私は助監督やってみます」という感じで経験してみたら楽しくて、そこから今に至ります。
浅葱 私のときはホラー映画だったので、夜集合で丸1日撮影しました。ほかの映画学校の実習と違う強みは、「わかんないけど自分たちでやってみよう」じゃなくて、実際に現場で活躍している先輩方のサポートとして、アシスタントで入らせてもらえること。わからないことがあったら聞いてもいい、という実習だったので、私は照明部や制作部のお仕事をさせていただき、知らない業界用語は全部メモして、すごく楽しかった記憶です。
──お二人とも、「楽しかった」と言えるのがすごいですよね。
古川 うらやましいです(笑)。
──花園さんは「研修の1週間後には実際の現場に行っていた」とのことですが、これはどういうことですか?
花園 2日間の撮影とフィードバックを終えて、実際に現場に行こうとなりました。いくつか作品候補があったのですが、伊藤さんから「一番下の助監督を募集してる作品だから行ってみる?」とご紹介いただき、その作品のプロデューサーさんとも一度面談をして、ドラマ「合コンに行ったら女がいなかった話」の現場に入ることになりました。研修が4月末ぐらいに終わって、ゴールデンウイーク明けから現場に入り、1カ月間準備して1カ月間撮影。研修での撮影よりもはるかに大変だったんですけど、そのとき一緒に働いた人に恵まれたのもあって、続けていけそうだなと思いました。それ以降は、その現場で知り合った先輩のツテで参加したり、別の助監督の方に仕事を紹介してもらう形で、絶えず現場に入っています。
──紹介し合って仕事が途切れないのは、業界ではよくあることなんですか?
古川 フリーランスはみんなそうですね。メディアが増えに増えている中、配信系はバジェットもスタッフの数もとんでもなくて、1作品に助監督が7、8人付いたりする。そうなると深夜の連ドラとかで人を探すのは大変ですから、「あそこで誰か入ったよ」という情報はあっという間に広がります。僕らの時代よりも情報網がすごいし、みんないろんなネットワークを使って人を探していますね。
花園 まさにそうです。仕事がないことがなくて、基本的に2、3作品から同タイミングで声が掛かっている状況。サード助監督など、下になればなるほどいないのが現状ですし、現場によってはサードが2人ぐらいいないと回らないところを1人でやらなきゃいけなかったりすることも。できる限り自分の下にはそういう思いをさせたくないので、私もProduction Campを広めていけたらと思っています。