タナダユキが監督、永野芽郁が主演を務めた映画「マイ・ブロークン・マリコ」が、9月30日に全国公開される。
平庫ワカの同名マンガをもとにした本作。亡くなった親友の魂を救うため、遺骨を強奪して旅に出る会社員・シイノトモヨの姿が描かれる。原作は2020年の単行本発売後に大きな話題を呼んで即重版が決定し、「輝け!ブロスコミックアワード2020」大賞、「この漫画がすごい!2021年オンナ編」第4位、文化庁主催のメディア芸術祭マンガ部門新人賞に輝いた。
単行本の刊行を機に、原作に触れたタナダは「読み終えた瞬間、何かに突き動かされるように、後先も考えず映画化に向けて動き出した」という。そして制作された映画では、主人公のシイノに永野、親友のイカガワマリコに奈緒が扮し、窪田正孝もキャストに名を連ねた。
映画ナタリーでは、マンガ好きで知られるお笑いトリオ・パンサーの菅良太郎に本作をひと足早く鑑賞してもらった。原作をWeb連載時から読んでいたという菅は、このたび封切られる映画をどう観たか? また、永野が主演を務めることについて「意外でした」と語っていた彼が、「シイちゃんだ」と感じたシーンを明かしてくれた。
取材・文 / 青柳美帆子 撮影 / 向後真孝
インパクトとエネルギーに圧倒された「マイ・ブロークン・マリコ」
──菅さんが「マイ・ブロークン・マリコ」の原作を読んだのはいつ頃でしょうか?
僕の記憶では、Webで連載が始まった2019年に、第1話がSNSですごく話題になっていたんです。その盛り上がりを見て作品を知ったような。1話を読んで「すごい入りだな」と驚きました。
──第1話は、主人公のシイノが、友人マリコの死をテレビで知るところから始まります。
そのシーンもそうですが、物語としての“入り”が印象的だったんですよね。親友の死を知って、彼女の親の家へ行って、遺骨を奪って窓から飛び降りて逃げる。物語の起承転結の「起」として、すごくインパクトがあった。「これ、どうなっちゃうんだろう?」と。そのあと単行本が出たと知って、全部通して読みました。
──原作のコミックスが発売されたのが2020年1月、2021年の「このマンガがすごい!」でも4位にランクインするなど、大きな反響がありました。コミックスで通して読んだ際の感想を伺いたいです。
エネルギーが乗っているお話。全4話で、長い話ではないけれど、この短さに魂が乗っている。「なんか、すげえものを見たな……」と感じました。同時に「これはこういうお話です」と言語化するのが難しい作品でもあるなと。あえて言うならロードムービーものに近いなと感じるけど、シイちゃん(シイノ)の旅に目的はない。かなり衝動的に動いているのがシイノというキャラクターなんですよね。
──マリコの死を知ってから、転がるように遺骨を奪取し、旅に出ます。
「そういえばあの頃、海が見たいって言ってたよな……」と思い出して海に行く。海に行って何をするか決まっているわけでもないし、確かな約束を果たすための旅というわけではない。シイノの衝動的な行動と感情のエネルギーが、作者の平庫ワカさんのペンに乗っているような感じがしました。読み進めながら、読者としてその衝動とエネルギーに必死で食い付いて行きました。
──付いて行く。
はい。この物語は、めちゃくちゃ共感できる人と、全然共感できない人がいると思うんです。こういう言葉を使っていいかはわからないですが……シイちゃんとマリコは、親友を超えた、特別な関係。言葉にはしづらいけど、こういう関係性って、実際に存在していますよね。きっとそういう相手がいた人にはすっげえ刺さるだろうし、2人のことが本当にわからないと感じる人もいると思う。
──菅さんはどちらかというと後者だったということでしょうか?
どちらかと言えばそうですね。しかもこの作品は「そういう相手がいる」のさらに先の話なんですよ。親友を超えた相手がいて、そんな相手に1人置いていかれるという。ただ、僕自身には正直そういう経験がないのですが、だからこそ、理解して、シイノと同じ感情で進んでいきたいと思いながら読んでいました。そういう意味での「付いて行く」です。「どうしてシイちゃんはマリコを見捨てなかったんだろう?」とか、「どうしてマリコは何も言ってくれなかったんだろう」とか、たくさんの気持ちが浮かんできました。
怒鳴った瞬間に「シイちゃんだ」
──主人公のシイノについて、どんな印象を抱きましたか?
シイちゃんのキャラクターは、なんて言えばいいんですかね? 柄が悪くてものすごくサバサバしている。10代の頃からたばこを吸っているし、やさぐれているようにも見えるんだけど、いわゆる不良の感じでもない。マリコとは全然違って、凸凹のコンビ感がよかったです。
──9月30日に公開となる映画では、永野芽郁さんがシイノを演じます。このキャスティングを聞いた際はいかがだったでしょうか。
いやー、意外でしたよ! 永野さんがこれまで演じてきた役って、おとなしめだったり、清楚だったり、天真らんまんだったりのイメージがありました。しかも、永野さんの声ってめちゃくちゃかわいらしいじゃないですか。シイノの声は低いイメージだったので、合うのかなと思ったところがありました。でも永野さん、今回は「ダチ」と言うわ、たばこは吸うわ、牛丼かっこむわ……ああいう役柄を見たのは初めてだったので、新しい感じがしました。永野さん、人生で「ダチ」って初めて言ったんじゃないか? 男でも今なかなか言わないですよ。まさに「新境地」だなと感じました。
──「初めて」で言うと、永野さんは今回役作りのためにたばこを吸う練習をしたそうです。
そうなんですか! いや、でもわかりましたよ。僕もたばこを吸うんですが、映画やドラマの中で喫煙シーンがあると、「吸えてるな」「これは吸うフリだな」とめちゃくちゃわかるんです。永野さんはちゃんと吸えてた! 引きのシーンで、ちゃんと吸った煙を鼻から出してるんすよ。相当な技術……。俺が監督だったら「今のアップにしろ! 鼻から出してるから!」と言ってただろうというくらいうまいです。
──菅さんのお墨付きが(笑)。
喫煙の練習をする際に、僕にアドバイスを聞いてほしかったですね。鼻から出す演技を指導できます(笑)。
──映画を観ていく中で、キャスティングを意外に思った気持ちに変化はありましたか?
マリコの親父をシイノが怒鳴った瞬間に、「あ、大丈夫だ。シイちゃんだ」と感じて、そこからずっとシイちゃんでしたね。怒りの演技って、かなりうまさがわかるし、人生が出る。永野さんの演技、シイノとしての感情の爆発はすごかったです。
──マリコを演じる奈緒さんはいかがでしたか?
本当に原作通りでした! マリコが持っている不安定な感じや、壊れてしまっている感じを、すごくうまく表現されていたなあと。
──映画をご覧になって、印象的だったシーンを教えてください。
シイノが、マリコからもらった手紙を読みながら夜の道を歩くシーンですね。冒頭でシイノはマリコの死を知って、どんどん行動していくけれど、実はあんまり現実として受け止められていない。夜の道を歩きながら一句を詠んで、そこで初めて泣くんですよ。「シイちゃん、やっと泣いたんだな」と。それからバスの移動と、クライマックスの海でのシーンですね。どれも原作にある場面で、原作の時点でも印象的だったのですが、映像のきれいさとナレーションで改めて印象に残りました。
──タナダユキ監督は原作の大ファンだとコメントしていますが、原作の空気を感じる演出でしたね。
キャラクターとキャラクターが重なって見えるとか、切り替わって見えるとか、記憶の中の存在が現実の自分に寄り添うとか、けっこうマンガ的な表現、マンガだからこそできる表現だと思うんです。それを実写でも印象的な表現にしているなと感じました。シイノとマリコが同一人物のように見えるときもあれば、まるで親子のように見えるときもあって。映像の雰囲気がすごくよかったです。
──原作との違いを感じることはありましたか?
相当忠実だったなと! あ、窪田正孝さん演じるマキオの部分は、より丁寧に描かれていたように思います。マキオは、シイノを止める人。マキオがいなかったら、シイノは感情の爆発のままにいなくなっていたかもしれない。そこを変えずに、原作ではさらっとしていた、マキオの重みのあるいい言葉を際立たせているなと。
──旅先で出会って、マリコの旅を見届けることになるマキオ。窪田さんは存在感がありました。
普通のお話だったら、シイノとマキオがなんかこう……始まりそうな感じがしますよね。例えば連絡先を交換して東京で会うんじゃないかとか、今はなくともこの先何かありそうだとか。でも、あの出会いによって、マジでなんもないじゃないですか。あのマジでなんもない感じがすごくよかったです。そこが変わってしまうと原作通りではないし、なんもないことで、現実味のあるお話だと感じる。そういう感じをちゃんと出してくれてありがとう!と思いました(笑)。
シイノの旅を「のぞかせてもらう」85分
──ネタバレにならない範囲で、ラストシーンの印象も伺いたいです。
映画だと、日常に戻ったあとのシイノを原作よりも少し長めに描いているんですよね。マリコがいなくなっても、シイノが旅をしても、ほかの人にとっての日常は普通に続いている。観客は、現実の世界では、きっと「あっち側」……他人に何が起こっているかを知るよしもなく、何事もなく動いている側の人たちなんですよ。だから観客は映画の85分間を通してシイノの旅をのぞかせてもらって、でもシイノだけに残されたものを知ることはない。その終わり方がすごくよかったです。
──エンディングテーマ、Theピーズの「生きのばし」はいかがでしたか?
「意外とロックで来るんだ!」と。でもシイノのやさぐれ感に合った曲ですよね。話に忠実な印象があったので書き下ろしだと思ってしまったくらいぴったりでした。たぶん監督の中で、「この曲だ!」とすっと決まったんでしょうね。歌詞の「死にたい朝 まだ目ざましかけて 明日まで生きている」は、みんなわかる気持ち。そういうのが続いていく中で、きっとマリコはどこかで切れちゃったんだろう。でもシイノが「しょうがねえ、まだ踏ん張っていくしかねえ」と言っているような、シイノのキャラを感じるノイジーなロックだと思います。
──映画を最後までご覧になって、菅さんはどんな気持ちを抱いたんでしょうか?
決して明るい話ではないですよね。まず大事な人がいなくなってしまうのはつらいことですから。一方で、シイノはこれからも前に進んでいくわけで、そういう意味では明るい終わりでもある。マリコもある意味では解放されたのかもしれない。でも、本当の本当に正直に言うと、「どこかでボタンを掛け違わなかったら、シイノとマリコは今幸せでいられたんじゃないかな」と思う自分がいます。おばあちゃんになって、一緒に住んで、猫を飼う2人を、どうすれば見れたんだろう……という気持ちが残りました。
──どこかに心残りがあるような。
やるせない……じゃないんだよな、後悔でもなくて。難しい。単語だけだとマイナスに見えるかもしれないけど、決してネガティブではない、言語化できない不思議な感情になります。はっきり言えなくてすみません! 映画を観た人にはきっとこの感じが伝わるんじゃないかと……。でも、ラストシーンを観て、「この映画はハッピーエンドなんだな」と僕は思っています。
──言語化しづらい感じ、きっと原作ファンの方や、映画を観た方には伝わると思います。
そもそも、大事な人がいなくなったときって、正解がないですよね。何をしてあげられただろうとか、どうすればよかったろうとか。まだいてくれたら、会話やコミュニケーションの中で答えが出る。でもいなくなってしまったら、考えても考えても一生答えが出ない。寂しいし、「そんな難問を突きつけて残していかないでくれ!」と思う。映画でも、シイノの一連の行動を、マリコがどう思っているかは、僕を含め映画を観ている人にはわからない。マリコがシイノに残した“あるもの”によって、もしかしたらシイノだけには答えがわかるかもしれないし、わからないかもしれない。でも、シイノには1つの答えが出ているといいなと僕は思うんです。そうであればハッピーエンドで、自分たち観客はそれをのぞかせてもらった。「マイ・ブロークン・マリコ」はそういう映画ですね。
プロフィール
菅良太郎(カンリョウタロウ)
1982年4月7日生まれ、東京都出身。NSC東京校の9期生で、お笑いトリオ・パンサーのメンバー。特技はパラパラを踊ることで、“パラパラおじさん”というキャラを生み出しSNSを中心に話題となった。現在、テレビ東京「デカ盛りハンター」、日本テレビ「有吉の壁」、TBS「よるのブランチ」などに出演中。
コミックナタリーで公開中
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