ファッションの民主化
メンズ服の改革
唯一無二なビジネスセンス
芸術への情熱、そして恋
当初は建築家を目指していたカルダンだが、ジャン・コクトーが手がけた映画「美女と野獣」の衣装制作に参加したことでファッションデザイナーの道へ。自らモデルを務めることもあり、優雅な美しさで男女問わず魅了してきた彼に女優ジャンヌ・モローも恋い焦がれた。ココ・シャネルの紹介で出会い、映画の衣装を手がけたカルダンにモローが猛アタックした末、2人は交際を開始。約4年の交際期間において「天使の入江」「バナナの皮」「マタ・ハリ」「ビバ!マリア」などの作品をともにした。モローの出演作にとどまらず、ジェーン・フォンダ主演作「獲物の分け前」やバルドーの「セシルの歓び」など多くの映像作品に参加。また1970年には劇場を買収し、芸術文化支援を目的としたエスパス・ピエール・カルダンを開設した。
日本とカルダンの縁は実に深い。初めて来日したのは1958年、東京・文化服装学院が立体裁断を教える授業のために彼を招いた際のことだ。2000人以上もの若者が集まった彼の講義には、のちに世界的デザイナーとして名を馳せる高田賢三や森英恵も参加していたという。これ以降、カルダンは50回以上の来日を果たすこととなる。
日本が国際的マーケットを支配する可能性を敏感に感じ取っていたカルダン。1959年に髙島屋とのライセンス契約を結び、ニューモードな商品の数々を日本に紹介してきた。その後も日本のみならず、社会主義国であった中国やソビエト連邦などにもヨーロッパのブランドとして初めて進出し、自由に装うファッションの楽しさを世界中に広めた。
また忘れてはならないのが、日本人モデル松本弘子の存在だ。カルダンは人種や性別にとらわれないモデルの起用にも定評がある。彼が初来日した際に見出された松本は、1960年に渡仏。エキゾチックなビジュアルがパリのモード界で新鮮に受け止められ、カルダンブランドのミューズとなる。パリコレモデルでもあり、後年は日仏ファッション業界の架け橋になった。
さらに1975年から1976年にかけて放送され、山口百恵、三浦友和、岸惠子が共演したドラマ「赤い疑惑」で衣装協力するというコラボレーションも。パリに住む主人公の叔母(岸)がピエール・カルダンのデザイナーとして働くという設定もあり、日本とカルダンの友好的な関係性が垣間見える。
──本作を制作することになった経緯を教えてください。これだけ功績を残してきた人物なら、ほかにも「映画を作りたい」という人がたくさんいたのでは?
カルダンとカフェで45分間だけ会う機会に恵まれて、僕たちは「大ファンのピエール・カルダンに挨拶できる! SNS用に記念写真を撮ってもらおう!」と出かけたんです。カルダンに「このデザインが大好きです」とか「これをコレクションしています」と写真を見せたりしていたら、いきなり「何をどう撮るの?」と言われて驚きました。彼は僕らがドキュメンタリー監督だと知っているうえで聞いてきたのです。2人で顔を見合わせて「僕たちの新作はカルダンなの??」と(笑)。でも本当に魅力的な人物だから、イエス!としか言えない。カルダン自身が自分のレガシーを残す心の準備ができたタイミングだったんじゃないかな。作り手も熱い思いがある人がいいと考えていたはず。だから僕たちがファッションのみならず家具や自動車など、彼の熱烈なファンだと知って、ぴったりハマったのだと思います。
──制作にあたり、本人にリクエストしたこと、されたことはありましたか?
特にリクエストしたことも、されたこともなかった。ヘアメイクは必要ですか?とお聞きしたら「いらない」と言われたから、一度も彼の髪にくしを通してないよ(笑)。全体の構成に関しては、ラフに編集した3時間バージョンをプロデューサーとセールスエージェントが観たときに、時系列にせずテーマ別に編集することを提案してくれたのが大きかった。「ファッション」「デザイン」「グローバル化」「パーソナル」とかね。おかげで時系列を気にせず面白いエピソードを入れられるし、記録映像もうまく使えるようになりました。
──時系列通りではない構成でも、まったく気になりませんでした。
すべてをまとめてくれたのは、進化し続けながらも芯の部分がぶれないカルダンの存在でした。もう1つ構成的に大きかったのは、彼について他人が語るインタビューをたくさん入れ込んではいるけれど、カルダン自ら自分について話してもらうことを意識しました。他人が彼の物語を語るのではなく、彼の言葉で彼の物語を語ってほしかったのです。
──なるほど。とは言え、インタビュー出演者もそうそうたる人物ばかりで、カルダン氏の顔の広さに驚きました。取材対象のキャスティングに苦労はありましたか?
リサーチをしていく中で、この人の話を聞いたら面白そうだという好奇心から始めました。ファッション業界の人以外というのは意識しましたね。例えば、カルダンの世界観はグローバルなので、イタリアの家具工場や日本のネクタイ工場など、彼のデザイン美学に表れている広き世界を表現したいと思っていました。シャロン・ストーンはカルダンと初めて会ったときの話をしてくれました。アリス・クーパーも、Googleでマネージャーのアドレスを調べてメールしたら30分で出演OKの連絡をくれました。残念ながら、ジェラール・ドパルデューには2回も断られました。カルダンと仲良くて、つい先日も一緒に食事していたのに(笑)。取材が嫌いなのかな。ブリジット・バルドー、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターも「出演したい」と言ってくれたのですが、スケジュールが合わなくてどうしても駄目でした。
──出演NGだった人たちも豪華ですね。それでは最後の質問です。「ピエール・カルダンとは何者か?」と聞かれたら、どのように答えますか?
「映画を観てね!」と言いたいところだけど(笑)。インタビューした皆さんも彼のことを的確にシンプルな言葉にしてくれていました。
P・デヴィッド・エバーソール 僕は「ジェントルマン」ですね。
トッド・ヒューズ 僕は「革命」です。
- P・デヴィッド・エバーソール&トッド・ヒューズ
- プライベートでもカップルである2人は、映画やテレビ番組の制作会社、ザ・エバーソウル・ヒューズ・カンパニーを設立している。日本でも公開された、スタンリー・キューブリック監督作「シャイニング」を検証するドキュメンタリー「ROOM237」では2人でエグゼクティブプロデューサーを務めた。