透明な水のままでいられることって、それだけで奇跡
──先ほどお名前が出た安部さんもそうですが、奥山監督は今まで写真・MV・CMなどでたくさんのアーティストや俳優の方とお仕事されてきましたよね。表現者として惹かれるポイントで何か共通しているものはありますか?
やっぱり人間らしさだと思います。言い換えると多面的であるということでしょうか。メディアを通して感じ取っていた「こういう人なんだろうな」という先入観が、実際にお会いしていい意味で裏切られるときに「こういう考えや表情、魅力を持っているのに、まだ作品などで目にしたことがないかもしれない」とその人の多面性、矛盾、すなわち“人間らしさ”に触れているという喜びを感じる。それはつまり、自分しか捉えていないかもしれないその人の側面があるということじゃないですか。本人すらも気付いていない魅力を映せてこそ、自分という個人が関わり、互いの考えや表現が乱反射する“創作”という行為の意味が表出すると思っています。ただこの考え方をもとに何か作ると、おのずと互いに時間を要してしまう。ある程度ゆるやかな時間の中で向き合うことが必要になるので、撮影前にその人自身の魅力に気付けるだけの時間と、じっくりと向き合う胆力をお互いに持っていたいと思います。
──「個として関わりたい」という思いが根底にあるんですね。
今作は事務所さん含め、キャストご本人たちもスタッフの皆さんも、丁寧にじっくりと向き合ってくださる誠実な方々だったので、出会えて本当に運がよかったと思いますし、本来の映画作りとは異なる独自の制作過程を温かく見守ってくださり、心から感謝しています。僕のアトリエで本読みや衣装合わせをして、たまたま近くにあったヘアメイクの小西神士さんのアトリエで準備をして、ベンチに行って撮影して、終わったら近くの中華屋でみんなでごはんを食べて……と半径数百mの中で完結させられたのは、本当に皆さんの寛容なご理解あってのことだなと思います。
──ロケ地やアトリエの位置関係は奇跡のようですが、企画から制作過程を聞いていると映画の作り方・人との関わり方として理想的だなと思わされます。
「いい作品にしたい」という思いとは別の目的を持っている人が混ざっていると、大人数のチームって急速にいくらでも濁っていってしまう。透明な水のままでいられることって、それだけで奇跡だと思いますし、今作のような作り方をもう一度同じようにできるかというと、それは運やタイミングも大いに関わることなのでわからない。
──本作のトークイベントでは、弟の奥山大史さんとも一緒に登壇されていました。映画について話したことで、印象的だった言葉はありますか?
大史は観たあとに「第4編が一番面白かったなあ」と言っていました。昔から僕がどういう作品に影響を受けて、世界をどのように捉えてるかを知っているので、特に第4編は「正直に自分が作りたいものを作ったんだな」と安心感を得たんだと思います。僕は、「限定された空間を舞台にしながら、限定的ではない、普遍的なテーマや多層的な物語を描きたい」という思いがずっとあって、高校時代には教室や部室といった閉ざされた空間の中だけで何を描けるのかに注力した自主映画をずっと作っていました。
現実と非現実、両方行き交っていてこそリアルである
──学生時代から創作を続ける奥山監督が、何を観て育ってきたのか気になります。映像作品を作るときに、潜在的に影響を受けていると感じるものはありますか?
チャーリー・カウフマンの脚本やスパイク・ジョーンズの演出の影響がもっとも色濃いと思います。幼少期の衝撃ってその後の人格形成において深く内面に刻み込まれますよね。映画にしてもMVやCMにしても、現実と非現実のあわいで人間を描く彼らの作品に大きな影響を受けました。僕自身、目の前で見えている現実と頭の中で想像している非現実がとても区切れないというか、“両者を行き交ってこそリアリティが成立する”みたいな感覚が幼少期からある。“現実”と呼ばれている物事の所在はどこにあるのだろう?とよく考えるんです。想像という行為が、現実で視認している物事よりも濃度が濃くなり、現実に起きたことと同価値だと思えることがよくあります。物質がそこにあろうとなかろうと、それぞれの認知が関与したうえで“現実”と呼ばれている。では想像と現実は何がどのぐらい異なるのか。認知は想像を含んでいないのか……その混濁する感触が僕にとってのリアルなので、近作だとアリ・アスターの「ボーはおそれている」もとても自然に捉えられたんですよ。あの映画を評するとき、多くの人が「よくわかんない」「どこからが現実?」みたいな感想を話すと思うんですけど、僕にとっては常にリアリティに満ちている作品だった。
「アット・ザ・ベンチ」に限定して言えば、ジム・ジャームッシュの「コーヒー&シガレッツ」「ナイト・オン・ザ・プラネット」、エリック・ロメールの「パリのランデブー」など、ある程度限定的な空間の中で多種多様な人々の日常会話を描く作品の影響が大きいと思います。また、ロバート・アルトマンの「ショート・カッツ」や、その流れを汲むポール・トーマス・アンダーソンの「マグノリア」など、同じ街を舞台に複数の物語が同時進行して、ある1つの大きな出来事がストーリー全体をゆるくつなぐ群像劇的な作品も意識しました。いずれにしても、1990年代から2000年代の作品が醸し出していた空気感が無意識下で色濃く影響していると思います。
──“現実と非現実が混濁してこそリアル”という言葉で、本作の展開や演出が腑に落ちた部分もあります。
今作は最初にある程度、第1編から第5編までのリアリティレベルの変遷を決めていました。第1編でこの作品のリアリティラインをどこに引くのかという基準を見せて、第2編で他人の寿司を食べるおじさん、第3編で姉が路上生活者という設定……と少しずつ虚構性を帯びさせていって、第4編でSFにまで発展したと思ったら途端にメイキング映像のようなリアリズムにもとづく描写へ過剰に戻す。徐々に非現実性を増す流れの中で途端にギャップが生じるからこそ第4編のメイキングシーンに強いリアリティを感じるのと、そこで引き直されたリアリティラインとほとんど地続きに観ることのできる第5編の2人の演技スタイルが、より一層、会話を自然体に見せていると思います。
──今後この作品をどんなところに連れていきたいか教えてください。今のところ、動画配信サービスでは配信しない予定なんですよね?
今のところはそうですね。映画館で観てもらいたいと思っています。連れて行きたいのは、やっぱりあのベンチがあるロケ地ですね。全編通して同じ場所で撮られている映画はなかなかないので、あのベンチ越しに大きなスクリーンで野外上映ができたらうれしいなと思っています。
四季折々の撮影風景を収めた「アット・ザ・ベンチ」メイキング映像公開中!
プロフィール
奥山由之(オクヤマヨシユキ)
1991年生まれ、東京都出身。映画監督・写真家。第34回写真新世紀優秀賞、第47回講談社出版文化賞写真賞を受賞。大河ドラマ「麒麟がくる」のメインビジュアルを手がけたほか、「ポカリスエット」のCM、米津玄師の「感電」「KICK BACK」、星野源の「創造」のミュージックビデオなど映像作品も多数。新海誠の同名アニメーション作品を松村北斗(SixTONES)主演で実写化する「秒速5センチメートル」では監督を務めており、2025年秋の公開を予定している。