「アット・ザ・ベンチ」監督・奥山由之インタビュー|実在のベンチを舞台にした“濁りのない”物作りを語る

映像監督・写真家として知られる奥山由之が監督を務めたオムニバス映画「アット・ザ・ベンチ」が2024年11月15日に公開され、全国で拡大上映が続いている。

変わり続ける街・東京の中に変わらず佇むベンチを舞台に、人々の何気ない日常が紡がれる本作。キャストには広瀬すず、仲野太賀、岸井ゆきの、岡山天音、荒川良々、今田美桜、森七菜、草彅剛、吉岡里帆、神木隆之介が名を連ね、脚本は生方美久、蓮見翔(ダウ90000)、根本宗子、奥山がそれぞれ執筆した。

東京、大阪の3館から全国60館以上への拡大上映を記念し、映画ナタリーでは監督・奥山のアトリエにてインタビューを実施。舞台となったベンチへの思いや、広瀬、仲野らと築いてきた信頼関係、“濁りのない”物作り、スパイク・ジョーンズに影響を受けたという現実と非現実の捉え方について、たっぷり語ってもらった。

取材・文 / 脇菜々香撮影 / 梁瀬玉実

映画「アット・ザ・ベンチ」予告編公開中

「アット・ザ・ベンチ」とは

変わり続ける街・東京の中に変わらずあるベンチで、さまざまな人物の思い出の時間を紡ぎたいという奥山由之の願いによって始まったプロジェクト。二子玉川の川沿いに佇む古ぼけたベンチを舞台に、人々の何気ない日常が切り取られていく全5編のオムニバス作品だ。1編ごとに異なる脚本家がシナリオを執筆し、監督はすべて奥山が担当した。

第1編 残り者たち

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

ある日の夕方、そのベンチには久しぶりに再会する幼なじみの男女が座っている。

脚本:生方美久
キャスト:広瀬すず / 仲野太賀

第2編 まわらない

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

ベンチで別れ話をするカップルに、とあるおじさんが割り込んでくる。

脚本:蓮見翔(ダウ90000)
キャスト:岸井ゆきの / 岡山天音 / 荒川良々

第3編 守る役割

「アット・ザ・ベンチ」第3編より

家出をした姉と、彼女を探しに来た妹は、ベンチの前で大喧嘩を繰り広げる。

脚本:根本宗子
キャスト:今田美桜 / 森七菜

第4編 ラストシーン

「アット・ザ・ベンチ」第4編より

役所の職員たちは、ベンチの撤去を計画する。

脚本:奥山由之
キャスト:草彅剛 / 吉岡里帆 / 神木隆之介

第5編 さびしいは続く

「アット・ザ・ベンチ」第5編より

幼なじみの男女の、その後。

脚本:生方美久
キャスト:広瀬すず / 仲野太賀

監督・奥山由之 インタビュー

小さい頃から「普通ならベンチが置かれないようなところに佇んでいるな」と思っていた

──本作は2023年9月に第1編、2024年4月に第2編がVimeoで無料公開後、新たに3編を加えて2024年11月に劇場公開が始まりました。全5編通して二子玉川の川沿いのベンチが舞台になっていますが、実在するこのベンチがもともと監督にとってどういう場所だったのかお聞きしたいです。

実家や今の住まい、そしてアトリエも近く、幼少期から今に至るまでよく散歩の途中に立ち寄っている、思い入れの強い場所です。小さい頃から「普通ならベンチが置かれないようなところに佇んでいるな」と気になっていたんです。芝生の広場の真ん中にぽつんと配置されているのですが、その周辺がコンクリートの地面なので、どことない“ステージ感”が醸し出されていて。通常、公園のベンチだと空間を囲うようにして端に並んでいるケースが多いのですが、このベンチはどういった目的であの場所に設置されたのかわかりづらく、それが故に物語性を感じる。設備としてのベンチを超えて、何か人格や個性のようなものを感じていました。

奥山由之

奥山由之

──小さい頃からずっと引っかかっていて、いつかご自身の作品に使いたいと思っていたんですね。

そうですね。哀愁のある佇まいで、古ぼけた座面がどこか頼りなくて。もとから着目はしていましたが、今から2年ほど前にその近くで大きな橋の工事が始まったとき、「いつ撤去されてしまうかもわからないから、今のうちに作品として残しておかないと後悔しそう」という心持ちになったのは転換点として大きいです。変わりゆく東京の景色の中で、変わらずそこにいるベンチを舞台に、ある日のある人たちの会話を四季折々紡ぎたいと思いました。

──そこから具体的に自主制作で映像を作ることになり、何から始めたのでしょうか。第1編の脚本は、奥山監督ではなく生方美久さんが担当されていますよね。

このベンチの魅力を最大限引き出すために、一面的ではなく多面的に捉えたい、同じ場所だけれど違う場所のように見える物語の集合体にしたい、という思いがあって、オムニバス作品にすることは自分の中で決まっていました。1つのベンチがあったときに、僕とほかの人では捉え方が違っているように、物事の多面性にしっかりと向き合いたいという思いが創作の根底にありました。そのうえで、第1編=「アット・ザ・ベンチ」全体の入り口として、まずは作品を観る人がこのベンチや場所、人物も含めた情景に対して愛着を持ってもらえると、ベンチを中心に展開する作品の軸がしっかり定まるような気がして。生方さんが脚本を手がけたドラマ「踊り場にて」と「silent」を観ていて、登場人物や物語、その情景へのまなざしから、まるで背中に手を添えるような優しさと同時に、人間の抱える矛盾に対して丁寧に向き合う姿勢を感じたんです。人間が持つ多面性をしっかりと引き受けるような、精神力・体力を必要とする作り方をされている印象で、これはもう生方さんしかいないだろうと思いお願いしました。第1編の脚本を受け取った時点で、莉子(広瀬すず)と徳人(仲野太賀)がその後どうなったのかを観たいと思い、第5編も依頼しました。同じ人物が同じ場所で同じように座って会話しているけれど、物語の設定も撮影期間も、第1編と第5編の間に約1年という月日が流れています。同じ画角で定点的に撮影していることで、莉子と徳人の距離感の変化、関係性の変化がより鮮明に見えてくるかと思います。

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

──物語と同じだけ撮影期間が空いたのは、演者にとってもいい環境だったのかなと思うのですが。

第1編と第5編の間で、莉子と徳人にどんな出来事が起きていたのか、設定案みたいな形式で生方さんが書いてくださったので、演出もしやすかったです。生方さんの脚本って、画を想像したときに、正面から撮るより、背中や横顔から見たくなるような感覚があるんです。そのことに加えて、全5編を通してベンチが主軸であることが伝わるように、始まりである第1編と終わりである第5編では、ベンチにとっての“顔”とも言える背面から撮影しています。後ろからの姿がもっともベンチの表情を感じ取れると個人的には思っています。

脚本家には、書いてもらう前に“撮り方”を伝えた

──後ろから見るベンチや、キャスト2人の横顔を見つめる時間がすごくぜいたくでした。2~4編はまた1・5編と全然違う撮り方をされていますが、“変える”という意図だったのか、脚本によって自然とそうなったのか気になります。

脚本家の皆さんには、執筆していただく前にある程度撮影手法をお伝えしていました。例えば生方さんには「ベンチのラインよりも前にカメラが出ないようにする」と伝えたうえで書いていただき、実際に最初の電話シーン以外は背中側から撮りました。第2編は同じように男女が座っているけれど、ポジティブな方向に向かうであろう第1編とは対照的に別れ話をしているので、その2組の関係性の違いを画角にも反映させようと思って、ベンチを基準にしたときのカメラ位置を相対関係にしています。第1編で真後ろから撮っていたら、その距離と同じ分だけ第2編では真正面から撮る……というようにです。

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

第3編は作品全体の中盤にあたるので、観ているお客さんがそろそろベンチの周辺も含めた空間の全体像を広く把握したくなるのではないかと考えました。第1・2編のように画角の種類を絞り、シンプルで削ぎ落とされたカット割が続くことで安定感のあるナラティブを実現できる。一方で、今作のように同一の場所を舞台にしている場合、中盤を過ぎてもその撮影手法が続くと、次第に視野が窮屈に感じるうえに、周囲を把握しづらい。そのため、広角レンズのカメラで流動的に捉えることで風が通ると言いますか、状況把握に加えてこれまでの2編とは異なるベンチの側面を映し出せるようにしました。また、脚本を書かれた根本宗子さんが普段作られている演劇からは、登場人物が空間を広く使う疾走感、爆発的衝動といった魅力を感じていたので、キャストの今田美桜さんと森七菜さんにはその時々の感情に任せて自由に動いてもらったのですが、動線の予測がつかないことも相まって、広角レンズが適していたと思います。

第4編は、ベンチの撤去を計画する役所職員たちの会話からSF的様相に発展していく奇想天外な話なのですが、「ベンチが、ある誰かにとっては実はベンチではなかった」「誰かにとっての“幅”は、誰かにとっての“奥行き”かもしれない」などの展開も含め、世界の多面性を表現したいと思っていました。すべての物事は、誰がどの視点からいつ捉えるかによって異なって見える、多面的な存在だと言えます。存在している時点でそこには面があり、表があれば裏があり、奥行きを持たせて捉えればそこには側面が立ち現れる。そういった視点の転換を繰り返すことで、世界は無数の面を持つ多面体であることに気が付きます。一概に「これは絶対的に100%のAである」と言いきれる物事は存在し得ない。Bの可能性もCの可能性もあり得る……そうやって常識だと思われている前提を剥がしてくれる出来事や作品に出会いたいという思いが常にあります。なので、現実と非現実のレイヤーを行き交う中での“視点”がテーマにある。結果的に、必ず誰かの目線から撮影することになりました。「ベンチ目線」「UFO目線」そしてメイキングはカメラマンとの身体性が近い関係にあるので「カメラマン目線」と言えます。こういった具合で、各編の撮影手法などは最初にある程度決めたうえで脚本家の方と一緒にベンチを見に行きました。

──全員行かれたんですか?

そうです。皆さんそれぞれと一緒に見て、「こういう撮り方をしたいと思っていまして」と話して、設定も1行ぐらいでお伝えしました。第1編では「ある男女が思いを伝えようとしているけれど、話せば話すほど微妙に食い違っていく。その一種のじれったさやもどかしさみたいなものが愛おしく見えるといいな」みたいなことをなんとなく話して。

──「こうなるといいな」という伝え方なんですね。

プロットでもないし、原案にもならないようなものです。第2編は「カップルが座っているベンチを、いつも座っている常連のおじさんがさりげなく奪おうとする会話にしたい」みたいなことをお伝えして。そこから十分に広げられるような余地を残しつつ、キャストは決まっている状態で当て書きをお願いしました。

奥山由之

奥山由之

広瀬すず、仲野太賀は「もっとも信頼関係を築き上げてきた2人」

──キャストは、豪華なのはもちろん、配役が絶妙だなと思いまして。イメージ通りで「ハマり役」だと思う方も、意外なキャスティングもありましたが、全員に納得感がありました。どう決めていったんですか?

第1編は、企画全体の走り出しでもあったので、後悔のないよう「自分の中でもっともご一緒したい俳優さんにまずはお声掛けしてみよう」と思ったとき真っ先に浮かんだのがこのお二人でした。広瀬すずさんと仲野太賀さんは、これまでの僕のキャリアの中で特に強い信頼関係を築き上げてきた2人でもあったので、自主制作のイレギュラーな作品に対しても、僕の個人的な思いを真摯にストレートに受け取って、誠実に向き合ってくれる方々なのではないかと思いました。広瀬さんとは写真集をはじめ、いろんな媒体の撮影もご一緒してきましたし、太賀くんはプライベートの友人でもあり、普段から互いに相談し合う関係性でもあります。みんなが組織や会社を背負って集まるわけではなく、“個”としての思いを持ち寄ってベンチに集まってもらいたいと思ったときに、まずあのお二人しかいないなと。それと、2人の声にはいつも役柄に対しての実在感や説得力があると思っていたので、会話が主体の作品であるうえでその声が欠かせないと感じていました。

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

「アット・ザ・ベンチ」第1編より

第2編は、(岸井ゆきの演じる)菜々が(岡山天音演じる)貫太に抱いてる不満や発言の内容自体はリアリティや共感に根付いていますが、それを寿司に例えるところに蓮見翔(ダウ90000)さん特有の飛躍、ツイストがある。演劇やコントといった舞台空間においては背景美術が部分的であることも相まって、「フィクションを見ている」「目の前で人がお芝居をしている」という前提が作り手と観客の間で暗黙の了解として交わされている感覚があるのですが、映画はあくまで「実在感を伴ったフィクションを見ている」「観客が没入できる世界を構築している」という前提で、作り手も観客も“現実らしさ”を追求する特性があると思います。なので、蓮見さんの脚本の魅力を損なわずに、映画的リアリティに落とし込むには、絶妙なバランス感覚が求められると思っていました。

──キャストや演出によっては映画館の観客が置いていかれる可能性もあるということですね。

岸井さんと岡山さんは、僕の中では映像的なブレスの使い方が非常に卓越している俳優さんという印象だったので、蓮見さんの書くセリフをどのように発話すれば映画というリアリティの中に引きとめ続けることができるのか、直感的につかみ取ってくださるだろうなと思ったんです。一方で、ベンチの席を奪おうとする国枝というおじさんは、物語への関わり方からして、存在そのものがある程度の虚構性を帯びているじゃないですか。存在感にリアリティのある俳優さんがあの役を演じると、役柄のリアリズムとの乖離からどうしても“お芝居をしている人”に見えてしまうと思うんです。荒川良々さんは、どことなく異次元にいるかのような、固有の浮遊感があって、常に唯一無二の存在感を醸し出している俳優さんだと思います。“他人の寿司を横取りしてしまう”という非現実的な行動をすることに納得がいくような佇まいでいられるのは荒川良々さんしかいないのではないかと思いました。彼自身が持っているチャーミングさと一種の超現実性によって、国枝が怖い人にはならないギリギリのバランスで人物像を保っている。第2編は演出する人・演じる人が異なるだけでまったく違って見えてくると思いますが、映画としての安定感を持って成立できたのはこの3人の力だと思っています。

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

「アット・ザ・ベンチ」第2編より

──劇場で一番笑い声が多かった印象なのも第2編ですが、その分繊細な作品でもあるんですね。第3編、第4編のキャストはいかがですか?

第3編の今田さんと森さんは、感情に深く訴えかけるようなお芝居をされる方々ですが、それぞれのスタイルやアプローチが大きく異なる印象を受けていました。今田さんは丁寧に一歩一歩を踏みしめるようにお芝居されている印象で、森さんはその時々の感情のうねりを、持ち前の瞬発力と身体性でパッと捕まえるような流動的なお芝居をされている印象がありました。そんなお二人が同じ作品の中で、根本さん脚本の感情を爆発させるような情動的お芝居をしたときに、スタイルの違い故にどんな化学反応が起きるのか想像できなかったので、個人的にも見てみたくてオファーしました。僕が脚本を担当した第4編は、「見たことのない神木隆之介さんが見てみたい」という純粋な思いがまずあって。もちろん大作の中心で組を率いて胸を打つお芝居をしていらっしゃるのも魅力的ですが、それと同時に僕らがまだ見ていない、見たかった神木隆之介がいるんじゃないかと常に思わせてくれる。どこにも属していない特別感と底知れなさを感じるし、あれだけのキャリアを重ねている神木さんが「どう演じようかな」と戸惑う瞬間を目の当たりにしたいという思いもあって、無茶なお願いをしてしまいました。

──つまり、当て書きどころか“神木さんをどうしたいか”だったんですね。

神木さんは、スクリーンやテレビで観ていても、ご自身そのものも、人間として揺るぎなく信頼できる感触があるじゃないですか。だからこそ、「なんかこの人怪しいな」と思わせる不穏さや不信感を抱かせる役を演じるとどう見えるのか気になりました。(草彅剛・吉岡里帆の2人のシーンから一転して、その撮影現場のメイキング風に切り替わるパートでは)どこまで撮影現場としてのリアリティを担保して撮れるのかが課題ではあったので、登場してすぐに神木さんだとわかるよりは、「誰なんだろう」と思ってもらうほうがいいかなと。

草彅さんと吉岡さんが演じる役所職員は、観客を非現実の世界へと誘う“扉”のような存在です。そのうえ宇宙語で会話するパートもあるので、コミカルになりすぎないようにコントロールの手綱を離さない集中力があり、その制御の範疇で解放的に振り切れる緩急鋭いお芝居もできる2人でなければ成立しなかったと思います。神木さん含めお三方ともに、仕上がりが想像しづらいあの脚本を見事に演じ切ってくださったと思います。

「アット・ザ・ベンチ」第4編より

「アット・ザ・ベンチ」第4編より

──第4編で言うと、青いボーダーの服を着て、草彅さん・吉岡さんを差し置いてベンチに座っていたスタッフ役の方が、セリフはないものの気になる存在でした。あの方は……?

あの人はnever young beachの安部(勇磨)くんです。今作の劇伴を担当してくれているので、カメオ出演してもらいました。撮影現場で「この人、何も発言しないわりにどことなく気だるそうで不満そう」「何かしら納得いってないんだろうな」という人を演じてもらいたくて、ただただ座り続けてもらいました。