Amazon Prime Video「ミッション:インポッシブル」特集|今こそイッキ見!大ファン・入江悠がトム走り解説&名物指令をイラストでおさらい

Column:「おれ、走る」とトム・クルーズは言った。文 / 入江悠

「ミッション:インポッシブル」より、トム・クルーズ演じるイーサン・ハント。

「ミッション:インポッシブル」シリーズと私

「ミッション:インポッシブル」より、シリーズを象徴するアクションシーン。CIA本部に潜入し宙吊りになったままパソコンを操作するイーサン・ハント。

「『スター・ウォーズ』シリーズとともに私の映画体験があった」、と言える人は幸せだ。
「『マーベル・シネマティック・ユニバース』とともに俺の映画体験はあった」、と言える人も幸せかもしれない。
同じ意味で、私が世代的に自慢できることは、「『ミッション:インポッシブル』がともにあった」ことだ。
「ミッション:インポッシブル」(以下、「M:I」)の第1作が公開されたのは、いまから23年前の1996年。
私は16才だった。
映画の道を志そうと思い始めた頃、テレビでは白い部屋に宙吊りになるトム・クルーズの予告編が流れ、それ以降ずっと「M:I」シリーズは私の人生とともにあった。

ハリウッド映画を代表する主演俳優トム・クルーズ

「M:I」シリーズは、映画俳優トム・クルーズの主演作だ。
地球上に流通しつづけるハリウッド映画において、主演俳優の地位に長年立ちつづけることは難しい。
本邦の主演俳優の変遷と比べるべくもない。
ひと握りの俳優が、そのたぐいまれな才能と想像を絶する努力を擁しても難しい。
その難しさのなかで、許されたひとだけがハリウッド映画の主演俳優でありえる。そのなかでも、トム・クルーズはさらに最高峰にいる。

「M:I」シリーズ、プロデューサーとしてのトム・クルーズ

「M:I-2」冒頭より、バカンスを使って命綱なしのロッククライミングをするイーサン・ハント。

トム・クルーズは「M:I」シリーズのプロデューサーとして、裏方の役割も担っている。
スタッフや共演者の人選をし、物語を開発し、作品ごとのクオリティ・コントロールを徹底する。
プロデューサー業や監督業に乗り出す俳優はあまたいれど、23年間ひとつのシリーズをプロデュースしてきた俳優は、ほかにいない。
それだけトム・クルーズがこの映画に賭けているということである。
バカっぽい言い回しになるけど、「M:I」シリーズを観ていると、「俺、この映画が好きなんだ!」というトム・クルーズの熱い吐息というか、宣言のようなものが聴こえてくる気がする。
以下、大きく二つの要素から本シリーズの魅力を分析してみたい。

「M:I」シリーズの多彩な映画監督たち

「ミッション:インポッシブル」メイキング写真。左からトム・クルーズ、ブライアン・デ・パルマ。

記念すべき第1作の監督は、ブライアン・デ・パルマ。
いまやアメリカ映画に欠かせない巨匠の一人だが、よく考えると当時はかなり思いきった人選だったはず。
「M:I」は、そもそも「スパイ大作戦」という1960年代に始まったドラマの映画版リブートで、かなりのメジャータイトルである。
一方、デ・パルマは大作映画も撮っているとはいえ、本質は「キャリー」(1976年)、「スカーフェイス」(1983年)、「ボディ・ダブル」(1984年)という映画の人で、言ってはなんだが、くせ者だ。作家性を変な方向にこじらせた映画もたくさん作っている(だからこそ面白いんだけど)。
もし当時、僕がトム・クルーズの共同プロデューサーだったとしたら、「え、マジで? デ・パルマ?」と言っただろう。

「M:I-2」メイキング写真。左からジョン・ウー、トム・クルーズ。

次の「M:I-2」の監督は、香港映画で人気を博したジョン・ウー。
アクション演出に定評があるとはいえ、アメリカの、アメリカによる、アメリカンスパイの物語を、中国生まれ香港育ちの監督に撮らせる。
フリッツ・ラング監督やアルフレッド・ヒッチコック監督などの前例を出すまでもなく、移民監督に理解あるハリウッド映画の懐の深さもあるかもしれないけど、それにしても思いきった抜擢だ。

「M:i:III」メイキング写真。水郷古鎮として有名な中国・西塘(シータン)で演出中のJ.J.エイブラムス。

以降、「M:I」シリーズはシリーズを重ねながら、「この監督にこの規模を任せるの?」と驚くような若き才能の抜擢をつづけていく。
ここにはまちがいなくトム・クルーズの意志が見られる。
つい最近まで毎回監督を変えていたのも、「つねに新しい作品を、新鮮に」という想いがあったからではないか。
ちなみに私は、クリストファー・マッカリー監督の「アウトロー」(2012年)という映画が大好きで、彼がのちに「M:I」5作目の監督に抜擢されたときは、心底歓喜し、そしてトム・クルーズの目に感服した。

アメリカ映画の正統な継承者トム・クルーズ

「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」より、シリーズおなじみの“トム走り”を披露するイーサン・ハント。

「トム走り」と呼ばれる有名な走行法がある。
背筋はピンと正して、腕を垂直に高くあげ、太ももを地面と平行に上下させる。
トム・クルーズ独特の走り方だ。
この走行法は「M:I」シリーズの名物のひとつだが、最初からあったものではない。
ジョン・ウー監督による2作目では、ほんの数秒しかトムは走っておらず、あとはバイクや車が多い。
J.J.エイブラムス監督による3作目で「トム走り」は華ひらき、上海の河川沿いの疾走をカメラは横移動で長時間とらえた。
以降、4作目「ゴースト・プロトコル」、5作目「ローグ・ネイション」、6作目「フォールアウト」と「トム走り」はますます加速度を増し、稀有な映画俳優の稀有な疾走をスクリーンに映し出すことになった。
なぜ、「トム走り」はシリーズの途中から観客に提供されるようになったか。

「M:i:III」より、“トム走り”が華ひらいたシーン。

「おれ、走る」とトム・クルーズが言ったからである。
スパイとして、車やバイク、ヘリ、モーターボートを駆使するのは、当たり前。
他のスパイ映画でもやっているし、むしろ乗り物や武器のインフレはシリーズに飽和状態を生み出す。
かつて「007」シリーズが軍事衛星からの光線攻撃という、もう誰にも止めらない武器の使用を許し、目に見えない車という透明人間化の寸前まで行ったとき、観客は「なんでもあり感」を抱いた。

「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」より、地球上でもっとも高い建物ブルジュ・ハリファから危うく落下しそうになるイーサン・ハント。

真に価値があるのは、俳優の身体性のほうなのだ。
映画がスペクタクル性を確保するのは、ドバイやモスクワの空撮映像ではない。大規模な爆破でもない。
アメリカ映画の昔の偉人たちが発明したアッと驚く身体性である。
「M:I」シリーズの「高いところへの昇降運動」は、高いビルの時計に宙吊りになったハロルド・ロイド(1893-1971年)の「ロイドの要心無用」(1923年)にのっとっているし、「暴走する乗り物との共闘」はバスター・キートン(1895-1966年)の「キートン将軍」(1926年)などの伝統を正統に引き継いでいる。
この伝統を継承する才能ある子どもは、トム・クルーズのほかにもうひとり、香港映画で生まれた。
その名をジャッキー・チェンというが、65才をむかえた偉大な映画人に疾走叶わぬいま、伝統はいまのところただトム・クルーズだけが担っている。

「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」より、イーサン・ハントがビルとビルの間を大ジャンプするシーン。この撮影で足首を骨折したトム・クルーズは医師から9カ月の安静を告げられるも、わずか6週間で現場に復帰。本編でも実際に骨折した際の映像が使われている。

だからこそ、「M:I」シリーズを観つづける歓びがある。
東西冷戦が終わったといえ、映画のスパイは死なない。トム・クルーズ演じるイーサン・ハントもまた死ぬわけにいかない。
映画の正統なスペクタクルを若い観客に届けるために。
彼がかつて愛し、いまも愛しつづける映画というものの魅力を、世界中に伝えていくために。
だから、トム・クルーズは若かった頃よりも、いまのほうが必死に走っているのだ。
(最近作「フォールアウト」では怪我をしたらしいけど)。

トム・クルーズとともに、そして彼の代表作「M:I」とともに、年を重ねていける同時代人である私たちは幸せだ。
映画史のひとつの伝説、あるいは神話が形成されていく過程を目撃できるのだから。
いま「M:I」を観ない理由なんてひとつもないのだ。

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入江悠(イリエユウ)
1979年11月25日、神奈川県生まれ。映画監督・映像作家。2009年に「SRサイタマノラッパー」で多数の映画賞を受賞し、一躍注目を集める。そのほか主な監督作に「ジョーカー・ゲーム」「日々ロック」「太陽」「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」「ギャングース」など。大沢たかおを主演に迎えた近未来SF「AI崩壊」の公開を2020年に控えている。