「ユーレイデコ」佐藤大×霜山朋久、最新ガジェット×ジュブナイルで描きたかった「嘘」と「本当」の物語 (2/3)

ビジュアルイメージにもこだわった「超再現空間」

──コロナ禍を思わせるような学校描写などもあったりしますが、これは現実を反映して追加されたりもしたんでしょうか?

佐藤 いえ、コロナ前に考えていたものが、そのままアニメになっています。だから作ってるあいだに、学校の授業を対面でやるか、やらないかみたいな議論がどんどん現実になって、リアリティが変わっていくのは、作業中にずっとドキドキしながら見ていました。設定が現実に追い抜かれちゃったら嫌だな、と。ただ、ガジェットを描きたいわけじゃなかったでしょ?と霜山監督に指摘されたことで、そのあたりの迷いはクリアになりましたね。1回、その方針を見失いかけましたが。オチもとんでもないものにしかけて……。

生徒たちは仮想空間に集まって授業を受ける。

生徒たちは仮想空間に集まって授業を受ける。

霜山 さすがに止めましたね(笑)。

佐藤 本当に、止めてくれてよかった。あのままやってたら、ヤバかったです。ともあれ、現実の学校の風景と作中の描写がリンクしたのは、あくまで結果論です。

──その授業風景もですが、ビジュアルイメージの構築には霜山監督の力が大きかったのではないかと思います。トムソーヤ島をはじめ、舞台設定を具体的に固めていく段階では、どういった着想から広げていかれたんですか?

霜山 まず第一に、みんながデコをインプラントとして使っているので、「現実世界でも、どんな景色でも作れる世界である」というのが前提としてありました。で、先人たちの作り上げてきた表現と差をつけるために、何かできることはないのかな?と考えた結果が、派手さを前面に出す方法だったんです。街中にARでいろんな情報が浮かんでいる未来都市というビジュアルは、それこそ「ブレードランナー」を筆頭にいっぱいありますけど、あそこまでド派手な色遣いにしているものはないはずなので、そこを目指そう、と。

──「ブレードランナー」のタイトルが挙がりましたが、ほかにも先行作品で意識されていたもの、ある種オマージュ的に参考にされたものはありましたか?

霜山 偉大な先人の足跡はすべて参考にしているのですが、最もこの作品に近いものだと、やはり「電脳コイル」ですよね。電脳メガネとデコは、ギミックの使い方はほぼ一緒だと思います。でも、あれだけ偉大な先人なので、もはやジャンルとして確立された表現だと考えて、そこは無理に差をつけようとしませんでした。「ユーレイデコ」に特有な表現としては、先ほど話した派手な蛍光色のAR情報を含めて、空間内の質感による描き分けですね。現実にある物質的な建物は岩のようなゴツゴツした描写をし、「超再現空間」は景色だけではなく、キャラクターもすべて情報で作られている世界として描く。ビジュアルだけではなく、音楽もそれぞれの世界で雰囲気を変えて、違いを表現しています。今の世界でもVRを使えば、現実ではできないことができる。ちょっと生身の拘束は残るけれど、飛躍した体験ができるじゃないですか。そういう面白みが映像の中でも出せないかなと考えて、そこの見せ方にはこだわりました。

街中にはカラフルなAR情報が溢れている。

街中にはカラフルなAR情報が溢れている。

超再現空間は、住民が仕事や授業などを行う仮想空間。聴覚、嗅覚、味覚、触覚まで再現される。

超再現空間は、住民が仕事や授業などを行う仮想空間。聴覚、嗅覚、味覚、触覚まで再現される。

オリジナル作品は“そこまで考えてある”ということが重要

──今作の世界の階層構造をきっちり管理して描くのは本当に大変そうです。

霜山 でもあれでも簡略化したほうで、初期設定はもっと大変だったんですよ。完成した本編でも設定として完全になくなっているわけじゃないんですけど、視聴者が観ている映像はあくまで主人公のベリィの主観なんです。本当は、ベリィとベリィのお父さん、お母さんでも見ている世界がそれぞれ違うんですね。個人個人にカスタマイズされてるんで。

──フィルターバブルと呼ばれる検索エンジンの検索結果が、望む望まざるにかかわらず人によって変わるみたいなことが、あの世界では、それぞれが見る景色にも表れている。

佐藤 そうです。企画を練っていた当時、もうフィルターバブルの存在がいろいろなところで問題視され始めていて、それを取り込んだ面もありつつ、「そもそも現実ってそうじゃない?」という気持ちもあったんです。子供たちに見えている世界と、我々大人が見ている世界は違うんじゃないか?みたいな問題設定は、昔からありますよね。デコはあくまで、それをそのまま設定化しただけともいえます。となると、全員に違う景色が見えてないとつまらない……と考えるのは当然で、どちらかというとフィルターバブルよりは、そちらから発想した面の方が大きいかもしれません。

目に映るのAR情報は個人個人がカスタマイズできる。

目に映るのAR情報は個人個人がカスタマイズできる。

──古典的な発想を、現代の技術に重ね合わせるような。面白いです。

佐藤 例えば細田守監督の「サマーウォーズ」だったり、「(デジモンアドベンチャー)ぼくらのウォーゲーム!」も、「グーニーズ」のような物語をデジタル技術が普及した世界でやるためにはどうしたらいいのか?という発想がまずあったんじゃないかと、僕は理解しているんです。先ほどから名前の挙がっている「電脳コイル」や、同じ磯光雄監督の最新作である「地球外少年少女」にしても、少年少女冒険ものというジュブナイル作品のジャンルを、デジタルネイティブの世代を主人公にしてどう作るか?がまずあった。だからあくまで、江戸川乱歩だったり、マーク・トゥエインだったりの児童向け作品と描こうとしている根本的なものは同じで、ガジェットはあくまで、それを伝える物語表現のレベルの話なのかな、と思いますね。

霜山 そうして作ってもらった設定を厳密に映像に反映すると、個人の行動に最適化されて世界のスキンが変わってしまうので、同じ場所でもカットによって景色が変わってしまう。それはさすがに見ている人たちが混乱しそうだったんですよね。ショートフィルムで、そういうギミックを楽しませる作品としてなら作れるけど、長編の物語でやるのは無理がありそうだったので、今回はベリィの視点に固定したんです。

佐藤 実際にやれるかやれないかの判断は置いといて、そこまで考えてあるということが、オリジナルの企画を考えるときは重要なんです。オリジナル作品は、例えば、その世界の食べ物がどうなっているのか?くらいまで細かく考えておきたい。今作だと、デコで食べ物の味までは変わりません。そういうふうに世界のルール付けをするだけしておいて、それを描くか描かないかは、物語に必要かどうかで監督たち映像を作る人に判断してもらうべきだと考えていますね。

2022年8月5日更新