石黒正数「天国大魔境」|四季賞から18年、“モロ好みの女”をひっさげ帰還! ルーツを辿る、1万字超えインタビュー

2000年に四季賞でデビューした石黒正数が、約18年ぶりに月刊アフタヌーン(講談社)に帰還し、同誌初連載「天国大魔境」をスタートさせた。美しい壁に囲まれた施設で暮らす子供たちと、壁の外の世界でサバイバル生活をするマルとキルコ、ふたつの世界を縦横無尽に行き来する冒険譚だ。

コミックナタリーでは「天国大魔境」1巻の発売を記念し、石黒のインタビューを実施。作品ができるまでの経緯や、初連載をスタートさせるまでのプロセスについてはもちろん、マンガへの向き合い方やアプローチの仕方に迫った。石黒がどんな人生を歩み、なんの影響を受け、現在に至ったのか。「天国大魔境」が生まれるまでのルーツを解き明かす。石黒の素顔が明かされる(かもしれない)プロフィール帳も必見!

取材・文 / 淵上龍一 撮影 / 島袋智子

四季賞を獲っても連載が持てるまで18年かかる、すげえ雑誌

──石黒さんは、アフタヌーンが主催する四季賞を受賞したのがデビューのきっかけですよね。「天国大魔境」第1話の扉ページには「四季賞から18年。堂々帰還」と書かれていましたが、帰還しての思いは?

「天国大魔境」連載第1話の扉ページ。

5年で戻ってきたら帰還かもしれないけど、なにせ18年ですからね。今の読者が当時の俺を知ってるわけないし、ほとんど新人みたいな心境です。なんせハードルの高い雑誌なもんで、プレッシャーしかないですね。

──18年も間が空いてしまったというのは不思議ですね。受賞後すぐに連載という話になりそうなのに。

そこはもうシンプルな話で、単純に面白いネームを描けなかっただけですね。担当編集さんからは「受賞作のようなテイストで、連載もできる読み切りを描いてくれ」と言われていたんですけど、そんな器用なことが新人の頃の俺にできるわけがなく……。マンガ家になってずいぶん経ちますが、いまだに俺は「連載を見越した読み切り」ってのがよくわからない。

石黒正数のデビュー作「ヒーロー」。

──読み切りを連載形式でやるということではなく。

違いますね。読み切り短編を描いて、それの評判が良ければ同じキャラや設定で長編を描くということです。

──読み切りで描いたものを連載用に描き直すということですか?

短いものを長く直すというわけでもなく……ほら、わからないでしょ? そもそも俺は1話完結の読み切り短編と長編連載では作り方が全然違うと思っているんです。編集さんにも気を付けてもらいたいんですけど、新人に「連載を見越した読み切り」を描かせるのは非常に無理難題だと思うんですよ。

──当時は具体的にどんなネームを描いていたんでしょう。

うーん、例えるなら……。そうだな、シャッター商店街の話を描こうとして「ネット通販に客を取られてもうやっていけないし、店を閉めよう」っていう内容にしちゃってました。要は言いたいことをそのまんま描いてしまっていたわけです。のちに「それでも町は廻っている」で同じテーマを扱ったんですけど、そのときは商店街の近所で育った女子高生の立場から、お店が1つ潰れるってことに対する身勝手な感想と現実というふうに、全然違うアプローチの仕方ができました。今なら、面白くかつ言いたいことがきちんと伝わるように描けるんですけど、当時はそんなことできなかったんですよ。

──それではダメだと、見せ方を考えなくちゃいけないとわかったのはいつ頃なんでしょうか?

アフタヌーンを離れて、他誌で短編を描いていた頃に覚えましたね。

──そういった経緯があって18年も間が空いてしまったんですね。

ただ当時は自分がどういうマンガを描く人間かもよくわかっていなかったので、何かのはずみで連載が始まったとしてもすぐに打ち切られて続かなかったと思います。いろんな場所で読み切りを描くっていう修行期間を持てたのは、結果的にはよかったと思っています。巡り巡って、こうして連載をやらせてもらうところまで来れたのですし。アフタヌーンは四季賞を獲っても連載ができるようになるまで18年かかる、すげえハードルの高い雑誌なんだってことを強調しておきたいです。

父親と2人、台所のテレビで見た「AKIRA」

──デビュー前からアフタヌーンは読まれていたんでしょうか?

月刊アフタヌーン2018年3月号

憧れの雑誌でしたよ。当時のマンガ雑誌って少年誌かヤング誌、それかガロ系という感じに棲み分けができていたと思うんですけど、アフタヌーンはそのどこにも属していない無法地帯みたいな感じでした。もうね、自由なんです。こんなになんでもやっていい雑誌って当時はほかになかった。だから自分自身をジャンルで縛れない自分みたいな連中は、みんなアフタヌーンに投稿してたんです。

──確かにアフタヌーンに載っているマンガをジャンルで一括りにするのは難しい気がしますね。石黒さん自身も、いろいろなマンガを読んできたんでしょうか。

実はあんまりマンガは読まないんですよ、昔から。「ドラえもん」でマンガにハマって、そこから藤子・F・不二雄作品ばっかり読んできたんです。1つ気に入ったものがあると、それを深掘りしていくタイプなので。

──藤子・F・不二雄作品とアフタヌーンに載ってるマンガって、少し遠い気がするんですが。その間を橋渡しする何かがあったんですか?

その間に大友克洋作品があるんですよ。中学生のときに親父とレンタルビデオ屋で「AKIRA」を借りてきて、それを2人で台所のテレビで観ているときの「たぶん、一生この作品の影響から逃れられないんだろうな」っていう感触は、今も覚えています。

──「AKIRA」にハマって、それまでの価値観がひっくり変えるような衝撃を受けたと。

石黒正数の仕事場には趣味のフィギュア棚があり、その中にはもちろん金田のフィギュアも。

あまりに好きで、パロディマンガを描いてましたからね。友達を鉄雄にして、自分が金田で、バイクには乗れないから自転車にまたがって「やっとチャリンコのチェーンがあったまってきたところだぜ」とか言ってるやつを(笑)。

──鉄雄って情けない役っていうか、リーダーシップを持つ金田にコンプレックスを抱いているキャラクターですよね。そんなふうに描かれたら友達はショックだったんじゃ。

中学生から見たらカッコよかったですよ鉄雄は。だって髪の毛が逆立った、片腕が機械の超能力者ですから。そういうビジュアル的なインパクトがまず最初にあって、鉄雄という人物は根底に弱さを抱えてるんだっていう物語の裏付けみたいなものも、自分が年を重ねていくにつれてわかってきて、ますます「AKIRA」にハマりましたね。

──新作「天国大魔境」も、文明が崩壊した未来の日本が舞台。マルとキルコという男女が廃墟を練り歩くという設定は「AKIRA」っぽく見えますね。もしかして、これは石黒さんなりの「AKIRA」だったり……。

いや、全然! 似てるって言われるのはしょうがないと思うんですけど。手塚治虫先生のマンガで育った人間が未来を描いたら、高速道路がチューブ型だったり、原発が壊れて放射能が出ていたり、どこか「火の鳥」で見たような世界に寄ってしまうと思うんです。大友克洋先生の影響を受けて育った俺が崩壊した未来を描いたら、どうしたって「AKIRA」に寄ってしまうのは、それと同じなんです。

──自分でも、寄っちゃってるという意識がある?

思う思う! 描いていて、めっちゃ思います。どこもかしこも寄ってます。

──寄せないようにしよう、とは思わないんですか?

してますしてます! 寄せないようにして、これなんです! そんなね……おこがましいですよ「AKIRA」をやるなんて。お前どんだけだって思います。「俺は神になる」って言っているようなもんですよ。よう言わんですよそんなこと。

──こういうふうに描くと「AKIRA」になり過ぎるからやめようという、意識的に避けた描写とかはありますか?

第4話より、茶碗と箸でご飯をかきこむマルとキルコ。「AKIRA」マニアの皆さんには、共通点がおわかりいただけるだろうか。

いっぱいあります。例えばですね、「天国大魔境」の世界観の中で、重くて長い武器を持つとなると、その辺にあるパイプとかを使うわけです。そのパイプに、さらに釘を打ち込んじゃうともう大友装備になってしまう。「天国大魔境」の第2話で、主人公たちを見つけたおじさんたちが「女だ!!」っていう場面があるんですが、盗賊的な連中が「女だ」って言っただけでもう「AKIRA」なんですよ。学ランを着た暴徒がケイを見つけて「ほーれ見ろォやっぱ女(メンタ)じゃねーけ」っていうシーン。どうしてもあそこになってしまう。

──考え過ぎでは?

いやいや、もはや荒廃した世界で茶碗とお箸でご飯食べてるだけで「AKIRA」ですから。ただ言い訳させてもらうと、ご飯を勢いよくかきこんでるだけでだいぶ「AKIRA」なんだけど、そのときの食べる音を「ぐァつぐァつぐァつ」にはしていないんですよ。

──それをやってしまったら「AKIRA」になってしまう。

「AKIRA」の罠はどこにでもあるんです。

人が失敗することで自尊心を守るようになったら、
もう人じゃなくなりかけている

──過去にアフタヌーンに掲載された鶴田謙二さんとの対談(参照:本日発売の「アフタヌーン」5月号に掲載された【鶴田謙二×石黒正数 四季賞出身作家特別対談】を公開! - アフタヌーン公式サイト - モアイ)で、石黒さんの描くマンガは性善説の世界と語られていました。先ほどお話に出てきた盗賊のおじさんたちも、立場的には敵なのに憎めないキャラクターでしたよね。

第2話より、キルコたちを見つけて「女だ!!」とはしゃぐおっさんたち。

盗賊のおじさんたちは悪に見えますけど、あれは「愚か」なだけであって。世間一般に悪と思われてるものって、だいたいは愚かなだけなんです。ただ、そうじゃない本当の悪っていうのもたまにおりまして、「天国大魔境」では、何が悪なのかということをきちんと描きたいなと思っています。

──石黒さんの考える悪って、どういうものなんでしょうか。

例えば「それ町」に出てきた中でハッキリ悪なのは、放火魔だと思います。自分の境遇に不満があるから他人の財産に火をつけるっていう行為や思想は完全に悪。あと通り魔とか。自己完結や承認欲求に無関係の人を巻き込むやつを俺はもはや人間と思えないんです。人の不幸や失敗で自尊心を守るようになったら、すでに人じゃなくなりかけてると思っています。「天国大魔境」では、そういう悪をきちんと描きたい。

──そういう悪人にも救われる道はあると思いますか?

現実ではどうかはおいておいて、俺のマンガの中ではきちんと報いを受けることになると思います。「天国大魔境」は崩壊した世界ですから、法律も権利団体も機能していないので、より顕著になるんじゃないかな。

──お話を聞いていると「天国大魔境」と「それ町」は、かなり違ったテイストの作品になりそうですね。

そうですね。だからと言って「それ町」の読者をびっくりさせてやろうと思って違う世界観のものを描いているわけではないんです。「天国大魔境」や「外天楼」だって俺のマンガだし。「それ町」の読者にも「天国大魔境」を読んでほしいです。

──自分の描きたいものを素直に描いた結果なんですね。雑誌のカラーや読者ニーズみたいなものは、あまり気になりませんか?

いえいえいえ、どっちも大事ですよ! 編集さんの言うことはめっちゃ聞くし、読者の反応もちゃんと受け止めるし。それプラス、自分の描きたいものを描くのが正解ルートです。あんまり自我ばかり出してもよろしくないと思います。それだったら1人で描けるじゃないかと。やっぱ雑誌で連載する、出版社で仕事をさせてもらうというのは、読者さんのほうも編集さんのほうも向くということなんですよ。大人だなあ僕は!


2018年7月24日更新