コミックナタリー PowerPush - 「SHORT PEACE」

プロジェクト最終形態 大友克洋1万字インタビュー

「Fire-ball」は「AKIRA」の原型

──1978年までは発表の舞台は双葉社オンリーで、「ヘンゼルとグレーテル」以降、他社のマンガ誌やSF誌へと活躍の場を広げましたね。

その頃「もう1回、昔読んでた少年マンガみたいなやつで、なおかつアクションっぽい雑誌に載せられるような作品」って考えて、「Fire-ball」(※註19)を描いたんじゃなかったかな。

──描く前は「SFなんてだめだ」と言われていたものの、真正面からのSF作品となりましたね。

「Fire-ball」を描いてて、あれは確かに自分でも面白かった。終わんなかったですけど(笑)。未完なんですよね、あれ。もうあんなひどい終わり方はないっていう感じで……。最初載るときは間に合わなくてね、(ストーリーを全部語るには)5ページくらい足りなかった。で、「Fire-ball」のとき、手伝いに来てた人間たちといろんな話をしてたんですが、「エクソシスト」(※註20)の話で盛り上がって。「エクソシスト」はショックだったんで「俺たちもやっぱ、今度はホラーだ!」ってなった(笑)。

──あ、やはり仲間内の話題は映画のことが多いんですね。

「童夢」表紙

大林(宣彦)さんの「HOUSE」(※註21)を再映だかで観て、「うーん、西洋館を出すからダメなんだよ」みたいな話をしていた。ちょうどその頃、高島平で飛び降り自殺がよくあったんで、「ホラーならそういう場所なんじゃないの」「団地がいいんじゃない」なんて話して、それで「童夢」を描くんです(※註22)。

──あっちが洋館ならこっちは団地だと。

そういうことです(笑)。「Fire-ball」を描き足して完結させることもできたんですが、それこそ絵も、すごく変わっていった時期なので、もう1回そこへ戻るのが嫌だったんですよ。「Fire-ball」をやるくらいだったら新しくやったほうがいいなと思って、それで「AKIRA」を始めたんじゃないかな。ですから「Fire-ball」の作品の構成は「AKIRA」の構成とあまり変わってない。自分の中では。

──そうですね。超能力が扱われ、力のある2人の葛藤・対決が描かれる両作品の構成は似ています。

そうそう。まあ「Fire-ball」は兄弟の話でしたけど。(「Fire-ball」の宇宙空間に佇む兄弟の最終見開きページを見ながら)これね、ほんとは、ここでなにか最後のセリフがあったような気がしたんだけどなあ。兄貴と昔話をするんだったか、そんな話で終わろうと思ってた。これが「AKIRA」の最後、金田と鉄雄との昔話になるんです。「Fire-ball」は、自分たちの子供の頃の一番楽しかった話をしながら、壮絶な背景の中で終わってくみたいな最後で。それが「AKIRA」に踏襲されるということですね。自己分析はあんまりしたくないんだけど、たぶんあれの影響かもしれない、「市民ケーン」のローズバッドの話。大新聞王が最後に言った言葉が、昔遊んでたソリの名前だったっていうね。うん、たぶんそれなんじゃないでしょうか(笑)。

──映画冒頭でケーンが「ローズバッド(バラのつぼみ)」と言い遺して死ぬのだが、誰も意味がわからない。最後のシーンで実は、楽しかった子供時代に遊んでいたソリの名前だった、と明かされるという。あ、それでは「Fire-ball」はこのセリフなしの無言の宇宙空間が最終見開きですが、ここに何か物語解決のキーワードを入れようと考えられていたのですか。

うん、そんなふうに子供の頃の思い出話の中でエンディングを迎えるっていうのを考えていましたが……今となると「AKIRA」っぽいですね。すごく舌足らずな感じだった「Fire-ball」をきちんと連載でやろうとしたのが「AKIRA」じゃないですかね。初めて話しましたね、この話(笑)。

「AKIRA」は構成を少し自由に

「AKIRA」1巻

──ちょっとまとめておきますと、ヤングマガジンで80年に「彼女の想いで…」、81年に「武器よさらば」、とSF短編を発表したあと、79年に描いた中編「Fire-ball」のもともとの着想や構成が流れ込んでいった長編「AKIRA」を82年に開始、押しも押されもせぬ代表作になっていったと。

でも「AKIRA」は最初、みんなにボロクソに言われましたよ。「なんで今さら、あんな昔のSFみたいなことやってんだ」って。「AKIRA」は「童夢」のあとだったんで、まあ「童夢」のほうがみんなは不思議な感じがしたんじゃないですか。「童夢」は、ほんとに単行本1冊を、1本の映画みたいにして描こうと思って構成をすごくカチッとやって。でも構成を守るために、完結部の描き下ろしをして、すごく苦しんで、それがかなりストレスだった(笑)。だから「AKIRA」を始めるときは、今度は少し自由にしようかなあと。

──自由というのは、具体的にはどういったことでしょう。

登場人物たちがもう少し勝手に動いて、いろんなストーリーを新しく作っていくみたいな。要するに、ある種の長編の描き方を実践しようかな、と。白土(三平)さんの「カムイ伝」が大好きでしたからね。あれはもう、登場人物たちと時代がどんどんうねっていく。まあ、そこまでは無理だなと思ってたけど。あとは、手塚(治虫)さんの「火の鳥」や「ジャングル大帝」。昔から長編というのはああいう風にストーリーがどんどん展開していくもんなんですよ。

──短編みたいに一直線のストーリーじゃなく。

手塚さんや白土さんの古い長編マンガを見て吸収していくうち、だんだん「AKIRA」の中で話が膨らんでいったんです。ただ、膨らませるのはいくらでもできるんですが、まとめるのが大変になるんですよね(笑)。最初のほうはキャラクターに勝手に動いてもらってそれでよかったけど、だんだん「作品をきちんと閉じなきゃいけないな」って思ってきて……。例えばその白土さんの「カムイ伝」、結局あれは終わってるのかな(笑)。終わってないですよね。

──はい、月刊漫画ガロ(青林堂)での第1部(※註23)と、少年向きの「外伝」を発表されたあと、続きは描かれていますけど。

第1部のあと、ビッグコミックでまた始めるじゃないですか。あれも終わってるんだか終わってないんだかわかんない(※註24)。自分の中ではなんとなく、「カムイ伝」っていうからには「きっとあいつら登場人物はみんな逃散して、北海道へ行くのかな」と思ってたんです。そこで終わるから「カムイ伝」なのかと考えたけど、それがなかった。「作品は一応、まとめなきゃダメだな」っていうのは、そのあたりから来ている。自分でも何本か途中で投げてるやつがあるんで、「なるべくきちんと最後までいこう」と(笑)。たぶん、「AKIRA」3巻(※註25)が終わったあとにそう考えたんじゃないかな。

──なるほど、大友さんはマンガの連載完結前、88年に映画「AKIRA」で長編初監督をされましたが、映画では物語をきちっと終わらせていらっしゃいましたね。今日は、70年代を通じて試行錯誤し、80年代に大掛かりに開拓・花開かせて現在に至った、作家活動の根っこの部分の話を詳しく伺えて、うれしく思います。最後に、今後の活動についてお聞かせください。

マンガでは企画を出しているものがあって、これはまだ発表には至らないんですけれど。アニメーションでは、もっと「描く」っていうか「作品を作るべき」人間がいたのがわかったんでね、「SHORT PEACE」の“2”ができればいいと思っています。

──それは本当に楽しみですね! 本日はありがとうございました。

映画「SHORT PEACE」Blu-rayスペシャルエディションのインナージャケット。

(※註19)1979年、アクションデラックスNo.1に掲載された。執筆は78年に行われた。↑戻る

(※註20)1973年に公開、80年にTV放送。映画「エクソシスト2」は77年に公開された。↑戻る

(※註21)1977年に公開されたホラーコメディ映画。↑戻る

(※註22)1980年から1981年に連載。描き下ろしを加え1983年8月に発行された。↑戻る

(※註23)1964年から1971年に連載された。↑戻る

(※註24)外伝第2部、本編第2部、2009年に「外伝」読み切りが描かれ、中断中。本編は開始当初より全3部作の予定。↑戻る

(※註25)1986年9月に発行された。↑戻る

大友克洋「武器よさらば」 / [コミック] 2014年3月20日発売 / 3150円 / バンダイビジュアル

B4サイズ/160P

収録内容

  • マンガ「武器よさらば」
  • マンガ「武器よさらば」ギャラリー(設定資料などを掲載)
  • 映画「武器よさらば」設定資料
  • 映画「武器よさらば」脚本・絵コンテ
  • 大友克洋×カトキハジメ対談
  • A2ポスター
  • ゴンク撮り下ろしグラビア

コミックス「武器よさらば」は仕様内容の変更により発売日が延期となっております。
変更前)2013年12月25日(水)
変更後)2014年3月20日(木)

大友克洋(おおともかつひろ)

宮城県登米市出身。1973年、漫画アクション(双葉社)にて「銃声」でデビュー。1979年に自選作品集「ショート・ピース」を刊行する。1983年、「童夢」「AKIRA」などを発表。1988年には、劇場版「AKIRA」のアニメーション監督を自ら務め、1995年に「MEMORIES」、2004年に「スチームボーイ」なども制作している。2005年、フランス政府から芸術文化勲章シュバリエを受章。2012年、東日本大震災の復興支援を兼ねた、世界最大規模となる初の原画展「大友克洋GENGA展」を開催し、米国のアイズナー賞においてはコミックの殿堂入りを果たした。監督を務めた短編「火要鎮」は第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、第67回毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞。2013年夏に、その「火要鎮」と原作を提供した「武器よさらば」を含む4編のオムニバス「SHORT PEACE」を発表する。