コミックナタリー PowerPush - 「SHORT PEACE」

プロジェクト最終形態 大友克洋1万字インタビュー

ヨーロッパへの志向

大友克洋

──パワードスーツのフォルムについてもう少しだけお聞きしておきたいんですが、「STAR WARS」の帝国軍兵士は白いツルッとしたもの、1979年の「エイリアン」ですと宇宙生物が爬虫類的なフォルムでしたが(※註13)、それらには当時どんな印象を持たれてましたか。

「STAR WARS」は、当時すごい設定資料集が出たんですよ。それで宇宙船を考えたりする人間がすごく増えた。ただあれは、俺にとってはあまり好きなデザインじゃなくて、それに比べたらまだ「エイリアン」のほうがよかったな。「エイリアン」はその前にホドロフスキーが「DUNE(デューン)」をやろうとして、クリス・フォス(※註14)やメビウス(※註15)、ギーガーたちを集めて作ろうとしていたじゃないですか。

──はい。ホドロフスキー版は製作中止になり、集まったスタッフの一部が「エイリアン」に関わるんですよね(※註16)。

その頃なんで俺がホドロフスキーの「デューン」の話を知ってたんだか覚えてないけど(笑)。メビウスを知るか知らないかっていう時代にもよるんだけども。でも「デューン」のほうがカッコよかったですね。ちょうど俺がバンド・デシネっていうか、ヨーロッパのコミックのほうに行く時期になるんで、そのときに入った情報だったのかもしれない。

──この単行本「彼女の想いで…」のあとがきによると、79年、SF宝石10月号でカラー作品「FLOWER」を描かれる直前にメビウスを知ったとあります。

あっ、そうですよね(「FLOWER」を見ながら)。絵がもう、そうですからね。ヨーロッパでは雑誌メタル・ユルラン(※註17)に、そういう人間たちがSFを描き始めていた。(エンキ・)ビラルも描いていたし、(フランソワ・)スクイテンもすごく初期に描いています。そういうのを見てたんで、だんだんヨーロッパのほうに行ってたんですけど、それから軌道修正して自分なりの方向に行くようになる(笑)。

少しずつ絵に目覚めていく

──1973年のデビュー以降、アクションで発表していたような、若者の日常を描くといったところから、いったんSFや西洋のものに思いきり引き寄せられた。

そうです。なんだっけな、連作の「傷だらけの天使」だとか、日常の若者たちのばかばかしさ、自分たちが酒飲みながらバカやってるっていうのをマンガにしてたんで、それは俺の、ほんとに70年代のATG(※註18)の感じです。それから少しずつ絵に目覚め、ストーリーにも目覚めるんですけど、絵に目覚めたのはメビウスとか、メタル・ユルランの作家たちの作品を観たときかもしれないな。

大友克洋

──その頃の日本のマンガ誌は、劇画全盛の時期ですよね。

そう。みんな劇画だった。それがメビウスの最初の「アルザック」とか見るとね、なんだかわかんない場所で、なんだかわかんない生き物がいっぱいいる。リアルに描かなきゃいけないとか、そういうのを離れて、すごく自由な感じがして、ショックだった。それであれを描いたんじゃなかったかな。「ヘンゼルとグレーテル」はその頃?

──78年、増刊ヤングコミック8月20日号での発表です。童話を下敷きにシリーズ化された、描き込みの見事さに驚嘆する短編でした。メビウスを知ったのは先ほどのあとがきですと79年ですが、だいたい78~79年に大友さんのヨーロッパ志向が開花したことになりそうですね。

「ヘンゼルとグレーテル」は1人で描きためて、ヤングコミック(少年画報社)に持っていきました。「若者のどうしようもなさを描くマンガは、もう飽きたな」って感じだった。その次に「こうやって絵をちゃんと描いていくんだったら、ストーリーもちゃんと作んなきゃいけないんじゃないかな」と少しずつなっていった。

──絵をきちんとした後にストーリーも、という順番でしたか(笑)。

あれ、ちょっと待ってね(笑)。もしかしたらストーリーを作るのが先だったかもしれないけど。

(※註13)エイリアンのフォルムはH.R.ギーガーによるデザイン。↑戻る

(※註14)宇宙船のデザインを手がけた。↑戻る

(※註15)コスチュームデザインを手がけた。バンド・デシネの巨匠で、代表作に西部劇「ブルーベリー」(本名のジャン・ジロー名義)、メタル・ユルラン1974年創刊号から連載した「アルザック」、ホドロフスキー原作による「アンカル」など。↑戻る

(※註16)1984年にはデビッド・リンチ監督版「デューン/砂の惑星」が公開された。↑戻る

(※註17)フランスのSFホラーマンガ誌。アメリカではヘヴィ・メタルの誌名で翻訳出版された。↑戻る

(※註18)日本アート・シアター・ギルドの略。非商業主義的作品・芸術作品を数多く配給・制作。若者に熱烈な支持を受けた。1961年設立、1992年活動停止。↑戻る

大友克洋「武器よさらば」 / [コミック] 2014年3月20日発売 / 3150円 / バンダイビジュアル

B4サイズ/160P

収録内容

  • マンガ「武器よさらば」
  • マンガ「武器よさらば」ギャラリー(設定資料などを掲載)
  • 映画「武器よさらば」設定資料
  • 映画「武器よさらば」脚本・絵コンテ
  • 大友克洋×カトキハジメ対談
  • A2ポスター
  • ゴンク撮り下ろしグラビア

コミックス「武器よさらば」は仕様内容の変更により発売日が延期となっております。
変更前)2013年12月25日(水)
変更後)2014年3月20日(木)

大友克洋(おおともかつひろ)

宮城県登米市出身。1973年、漫画アクション(双葉社)にて「銃声」でデビュー。1979年に自選作品集「ショート・ピース」を刊行する。1983年、「童夢」「AKIRA」などを発表。1988年には、劇場版「AKIRA」のアニメーション監督を自ら務め、1995年に「MEMORIES」、2004年に「スチームボーイ」なども制作している。2005年、フランス政府から芸術文化勲章シュバリエを受章。2012年、東日本大震災の復興支援を兼ねた、世界最大規模となる初の原画展「大友克洋GENGA展」を開催し、米国のアイズナー賞においてはコミックの殿堂入りを果たした。監督を務めた短編「火要鎮」は第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、第67回毎日映画コンクール大藤信郎賞を受賞。2013年夏に、その「火要鎮」と原作を提供した「武器よさらば」を含む4編のオムニバス「SHORT PEACE」を発表する。