「海の闇、月の影」が一番上手に描けた
──続いて、1987年に始まった「海の闇、月の影」について聞かせてください。この作品が生まれたきっかけは?
「闇パ」が好評だったので、編集さんに「またサスペンスかホラーで、ハラハラする話で連載を起こそう」と言われた気がします。最初は「1年くらいの連載で全4巻くらい」と言われて、これもちょっとずつ連載が伸びていった形ですね。
──結果的に、連載は4年続き全18巻の長編になりました。古代のウイルスに感染して超能力を身につけてしまった流風(るか)が、同じく超能力に目覚めたうえに残忍な性格に豹変した双子の姉・流水(るみ)から、同じ男に恋した恋敵として命を狙われるミステリーサスペンスです。
主人公の流風と悪役の流水を双子にしたのは、「闇パ」の悪役・曽根原先生がきっかけなんですよ。
──と言いますと?
「闇パ」で、ストーリーを引っ張っていくには悪役がいると楽だということに気がつきまして。でも曽根原先生、自分で描いておきながらと皆さんお思いでしょうが、描きにくい髪型なんです。6回くらいで終わるはずだったからあんまり考えてなかった。だから「海闇」では、ヒロインと悪役が同じ顔だったら楽なんじゃないかと。
──それで双子に(笑)。私は子供の頃に読んだときは流風を応援していたんですが、大人になってから読み返してみるとあんなに悪魔のようだと思っていた流水に共感できるし、すごく好きになったのが印象的でした。
そうそう、流水のほうが人間的には魅力的なんですよ。流風って周囲の状況に流されてるだけなの(笑)。初めの頃は「流風がかわいそう」って反応をもらっていたんですが、連載が続くにつれて流水に好意的なファンレターが増えてきて。
──妹思いで勝気ないい子だったのに、ウイルスの影響で大好きな克之に愛されている流風に対する憎しみが抑えられない。邪魔者は皆殺しにしたりと行動はあまりに残虐なんですが、同じ顔と声の流風が克之に守られているのを見ながら「克之さんが手に入るなら何もこわくない」と一心に叫ぶ姿は一途で切ないです。
ありがとうございます。私の作品では「闇のパープル・アイ」と「天は赤い河のほとり」がいろんなところで取り上げていただける印象なんですが、自分的に一番上手に描けたと思うのが「海の闇、月の影」なんですよ。実際の出来不出来は置いといて。今同じエピソードを描くとしたら、間延びしてもっとページ数が増えるでしょうね。この頃は本当にネームを描くのが楽しかったですし、描くスピードも速かった。
──1987年から1991年というまったく同時期に、少コミで「海闇」、ちゃお(小学館)で「陵子の心霊事件簿」の2本を同時連載されています。かなりの月産ページ数だったかと。
その頃が一番真面目に仕事をしてました(笑)。大変でしたけど、この時期はコンスタントに締め切りも守ってましたし、毎月どこか旅行に行って遊んでもいましたし、マンガを描くのも楽しかった。ノってた時期だったんでしょう。
──同時連載になった経緯は?
「闇パ」の終わりが近くなったときに、連載を一緒に起こした担当さんがちゃおに異動したんです。それで「ちゃおでも何かやらない?」と声をかけていただきまして、「やってみようかな」と。「海闇」は少コミの新しい担当さんと立ち上げたんですが、たまたま「陵子」とタイミングが合って。
──少コミは女子中学生、ちゃおは女子小学生を対象としたマンガ雑誌ですが、その特色は意識されましたか?
それが全然! 「そういえば、ちゃおって少コミより年齢層低いよね」と後から思いました。でも「海闇」はちょっと大人っぽいセクシーな描写も描いたんですが、「陵子」はキスするとしても飼い猫のポウですしね(笑)。それで多少、恋愛表現が和らげられていたと思います。
「蒼の封印」は、鬼ではなく河童を描きたかった
──「海闇」が1991年の少コミ15号で完結し、すぐさま22号からスタートしたのが「蒼の封印」です。美しい高校生・蒼子の正体が実は人食い鬼の一族を統べる「東家の蒼龍」で、蒼龍を殺せる唯一の存在「西家の白虎」の西園寺彬と恋に落ちます。
本当は主人公を鬼じゃなくて、河童にしたかったんです。
──それはまた、ずいぶん印象が変わりますね。
私の中では美しいイメージだったんですけど、編集さんたちがこぞって「少女マンガで河童はちょっとね」と(笑)。ずっと後になってBetsucomi(現:ベツコミ、小学館)で連載した「水に棲む花」で、このときに描きたかった河童のビジュアルを使いました。
──そうだったんですね。「蒼の封印」はどんなきっかけで生まれたんでしょうか。
基本的には「闇パ」「海闇」と同じ路線で……ということで始めたんですが、さすがにネタ切れしまして(笑)。「闇パ」も「海闇」も、少しずつ伸びていった連載だったから、最終的にどこに辿り着くか本当にわからなかったんです。なので担当さんと「最後の最後、本当に困ったら富士山爆発か日本沈没だね」って話をしてて、それを実際にやったのがこの「蒼の封印」でした。
──確かにラストでは日本に深刻な被害を与えるであろう富士山噴火を止めるため、登場人物たちが動きます。クローン羊のドリーが一躍有名になった1997年より前の時点で作品のキーにクローンを据えたり、蒼子、高雄、緋子の関係に驚きの秘密があったりと壮大な和風伝奇でした。
ありがとうございます。ただ、前2作の路線は継承しつつ、それとは違うものにしたいという思いが強すぎて、だんだん物語が破綻していってしまって……。富士山噴火に集約されるんですが、話を広げすぎたのかも。もっと蒼子たちの葛藤を人間ドラマとして描くべきだったのかもしれません。
──1999年に刊行された「篠原千絵ワールドガイド―1981-1999」に掲載されている篠原先生のインタビューでも、「蒼の封印」について「後遺症が残る」「いまだにあとをひいている」とおっしゃっていますね。
さすがにもう完結からもそのインタビューからも結構時間が経っているので、「後遺症」とまでの感覚は忘れているんですけど。「もっとうまく描けた」という言い方はしたくないし、そのときの私が最善を尽くしたはずだからできないです。でもやっぱり“これじゃない感”は残っている気がします。
集中力が生んだ「天は赤い河のほとり」の伏線
──続いて、少コミでの最後の長編連載となる「天は赤い河のほとり」のお話を伺っていければ。1995年から2002年まで全28巻が刊行された、現時点で先生の最長シリーズです。「闇パ」をはじめとした過去作はラストを決めずにスタートしたというお話でしたが、「天河」だけはラストシーンが最初から思い浮かんでいたとか。
ええ。28巻の最後で描いた遺跡のシーン。トルコ旅行でハットゥサに行ったときにこのラスト数ページが浮かんで、その場面に辿り着くための物語でした。
──では現代日本の少女であるユーリがヒッタイト帝国の皇妃(タワナアンナ)になるというストーリーは、どのように組み立てていったのでしょうか?
これも本当に行き当たりばったりで(笑)。そもそもヒッタイトを舞台にした作品を描きたいと編集さんに伝えてから8年くらい、ペンディングになっていて……というか「少女マンガでヒッタイトものなんてウケない」と言われていたんです。だからそもそも全28巻で主人公が皇妃になるまで描けるようになるなんて思っていなくて。主人公も現代の少女ではなく、古代ヒッタイトの少女で考えていたんですが、編集さんから「タイムスリップものだったら」とOKが出て、今の形になりました。
──「天河」では、中盤までユーリが日本に帰るか帰らないかが大きな問題だったので、古代の少女が主人公だとまた違った物語になりそうですね。
結果的に、すごくいいアドバイスをいただけたと思っています。やっぱり等身大の女の子が知らない世界に行ってどうするかを描けたので、読者が付いてきてくれたんだと。それに8年ペンディングになっていたのも、マンガの資料や描きたいエピソードがたまったので、カッコよく言えば醸造期間でした。ただ編集さんには最初から「タイムスリップさせてヒッタイトに行っちゃったら、もう現代は一切出てこないよ」とは伝えていて。帰るか帰らないかなんて、問答無用で帰らないですよ(笑)。
──タイムスリップものではなく、ヒッタイトの歴史ものが描きたいという強い気持ちの表れですね。先ほどストーリーは「行き当たりばったり」とおっしゃっていましたが、連載が始まった当初はどのくらいまでのストーリーを考えていたのでしょうか。
遺跡のシーンがラストということだけは決まっていましたが、主人公がどういう終わり方をするかは本当に漠然としてましたね。ただカイルの弟のザナンザが死ぬシーンまでは、自分の中にありました。
──ザナンザが死ぬのは7巻の終盤ですから、そのあとの20巻以上はライブ感のある描き方をしてこられたと。でも例えば長期にわたる伏線はどうやって作っていったのでしょうか? 一例を挙げると、7巻でミタンニの黒太子からもらった黒ガラスのイヤリングをユーリはずっと身につけていましたが、それを22巻で黒太子の姉であるネフェルティティに返したのは美しい伏線だと思いました。実在する「ネフェルティティの胸像」に右目しか瞳がないことも相まって、「本当にこういうことがあったのかもしれない」と思わせてくれる、歴史で楽しく遊ぶようなエピソードだと。
あれは本当に偶然で、最初から計算しているわけでは全然ないんです。今から考えると「えらいぞ! 私!」って感じ(笑)。エジプト編に入り始めてから「これは使えるな」と思って入れたんですけど、ミタンニ編でイヤリングを描いたときはまったくそんなことは考えてませんでした。
──計算せずにこんなにきれいにまとまるものなんですね。
少コミ時代は集中力があったので、たまにそういうことが起きたんです。
──スポーツ選手は感覚が非常に鋭くなったり、第六感が働いたり、いつも以上の力を出したりできることを「ゾーンに入る」とか「究極の集中状態」とか表現しますが、そういったことでしょうか?
たぶん近いと思います。少コミって月2回連載だから、車で言えばアイドリングですらなく、毎日ずっと走っている状態なんです。遊びに行ったり旅行に行ったりしても、頭はどこか休んでなくて途切れることなく連載のことを考えてる。その頭の回転から生まれた集中力が、ミタンニ編のときに「黒太子のイヤリングをユーリに渡そう」と思いつかせたのかもしれません。そういえば、少コミ時代は連載作を読み直さなくてもだいたい内容が頭に入ってたんですが、今の「夢の雫、黄金の鳥籠」が隔月連載だから、もう前号を読み返さないと「どういう話だっけ?」ってなっちゃって(笑)。
──月2回と2カ月に1回では、集中力が違うかもしれませんね。伏線が計算ではなく集中力から生まれるとなると、話運びの巧みさ、みたいなものは何から生まれるんでしょうか? 例えばユーリが自分の背中に刺さった矢を抜かせて犯人の証拠をつかんだり、普段は子供っぽいですが着飾ると周囲が驚くほど美しかったりと、読者の心をつかむ見せ場がとても多い印象です。スカッとしたりうれしくなったり、先生が作るエピソードは読んでいて気持ちよくさせるツボを突いていると思っていて。
そんなふうに思ったことはないけど、ありがとうございます。その辺は私の底辺にある、子供の頃から読んでいたマンガやら小説やらアニメやらの刷り込みじゃないかな。少女マンガってもう使い古されたネタがいっぱいあるんですが、どこに入れるか、どういうふうに見せるかで違ってくる気がするんですよね。私、マンガは早いうちからあんまり読まなくなっちゃったんですけど、小説だけは人一倍……とまでは言いませんが、人並みには読んできたつもりです。
──インプットが大切ということですね。
ええ。でもインプットしたものを面白い作品として生み出すには、やっぱり集中力も必要だと思っています。集中力って、結局自分の持っているものを探し出す作業だと思うんです。情報を山ほど引き出しに入れておいて、アウトプットしたいときに自分の伝えたいことと融合してうまく利用する。だから引き出しが空っぽだと、集中できても作品は生み出せない。
──先生は40年近くマンガをアウトプットされてきた方ですから、インプットの量もすごそうです。
いえ、今のは自分に向けて言った、ほぼ自己反省みたいな言葉です(笑)。引き出しが空に近いので、インプットしなきゃ。
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“動いている途中”を描きたい
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- 1981年、コロネットにて「紅い伝説」でデビューした後、同誌や少女コミック(ともに小学館)でサスペンスやホラー作品の短編を精力的に執筆。1984年に「闇のパープル・アイ」で長編デビューを飾る。同作は1996年に雛形あきこ主演でTVドラマ化されるなど人気を博した。その後も「陵子の心霊事件簿」「海の闇、月の影」「蒼の封印」とヒット作を生み出す。1995年に少女コミックにてスタートした「天は赤い河のほとり」は全28巻で刊行され、単行本累計発行部数1800万部を誇る。2018年には宝塚歌劇宙組により舞台化。現在は姉系プチコミック(小学館)で「夢の雫、黄金の鳥籠」を連載中。
2018年12月20日更新