「坂道のアポロン」「月影ベイベ」「青の花 器の森」などで知られ、今年画業25周年を迎えるマンガ家の小玉ユキ。彼女の作品は、読めばいつも、心のどこかをじわりと温かい気持ちにさせてくれる。画業25周年を記念して展開するコミックナタリーの特集記事では、そんな小玉ユキ作品の魅力を4つの項目で紹介。どの作品にも息づく“小玉ユキワールド”の魅力を、4つのキーワードとともにじっくり紐解いていく。本記事では月刊flowers(小学館)で連載中の最新作「狼の娘」もピックアップ。小玉が紡ぐ真摯な物語の数々に、改めて浸るきっかけの一助となれば幸いだ。
なお小学館のWebサイト・フラコミlike!では、画業25周年を記念して「狼の娘」や「坂道のアポロン」を無料で試し読みできるキャンペーンを実施中。「狼の娘」が気になった人や、読み返したい作品がある人は、この機会にこちらもチェックしてみては。
文 / 岸野恵加
小玉ユキ作品には、心根が優しく真摯な登場人物があふれている。たとえ初登場時はつっけんどんであったり、印象があまりよくなかったりしても、描写が深まっていくにつれて、奥にある人間性に魅了されるキャラクターばかりだ。例えば「坂道のアポロン」に登場する大柄なバンカラ少年・千太郎は、粗野な第一印象から、転校したての主人公・薫を戸惑わせる。しかし2人はジャズを通じて次第に心を通わせ、唯一無二の親友となっていく。
また「月影ベイベ」のヒロイン・蛍子は、東京から転校してきた当初は無愛想な態度でなかなか周囲に馴染めなかったが、抱えていた過去が明らかになるうちに、不器用な彼女のことがどんどん愛おしく思えてくる。こうしたキャラクターたちが織りなす小玉ワールドに浸った後は、いつも胸の中にじわりと温かい余韻が残るのだ。
また恋愛ドラマもしっかりと描写されるが、登場キャラクターの多くは恋愛に盲目にはならず、自分のやるべきことに打ち込む職人気質な顔を持つ。「坂道のアポロン」ではジャズ、「月影ベイベ」では伝統芸能の“おわら”が、物語を動かす重要な要素として描かれた。そして「青の花 器の森」では、窯元で働く青子と龍生の器づくりへの情熱が、しっかりと描写されている。ペアで器作りをする際はそれぞれが本気で自分の仕事に打ち込んでいるがゆえに、意見をぶつけながら作品を完成させていくこともしばしばだ。
また「坂道のアポロン」の薫や「月影ベイベ」の光のように、男性キャラクターが主人公として据えられている作品も多数あり、男性ファンも多い。小玉は少年マンガを愛読して育ち、過去のインタビューでは「男性主人公のほうが感情移入して読める」と語っていた。登場人物の心の動きが繊細に描かれているので、性別や年齢を問わず幅広い読者が共感できるはずだ。
そして蛍子や龍生のように、序盤でミステリアスに登場した人物の謎が次第に解き明かされていくことも、小玉作品の魅力のひとつと言えるだろう。最新作「狼の娘」でも、主人公の月菜は狼人という自分の正体を知ってから、自らのルーツにどんどん迫っていく。「このキャラクターはなぜこんな行動を取るのだろう」と気になったが最後、その背後にある物語が次々に描写されていくので、最後まで物語の行方を追わずにはいられない。
佐世保、八尾、波佐見、山梨……。小玉作品の舞台では、地方の街がリアリティを携えて描かれる。それを支えているのは、小玉の徹底した取材力。歴代の担当編集者は「取材中の小玉先生の集中力はすごい」と口々に話す。作画は現実の街並みに忠実で、ページをめくりながら「実際に足を運んでみたい」という欲求を高めていく読者も少なくないだろう。
リアルなのは作画のみではない。小玉は文化や風習までをもしっかりと学んだうえで、その土地への敬意を込めて作品を生み出している。登場人物のセリフに方言が用いられているのもそれゆえだ。「坂道のアポロン」で舞台となった長崎・佐世保は小玉の故郷だが、時代設定は1960年代。カトリックが息づき、米軍基地のある佐世保ならではのジャズとの親和性の高さを、小玉は当時の文化・風俗を調べ上げて活写した。
「青の花 器の森」の舞台は、同じく長崎県の波佐見。小玉は窯元の光春窯やstudio waniを訪れ、分業制が息づく波佐見の制作現場を何度も丹念に取材し、作品に反映した。リアリティへのこだわりは相当なもので、青子と龍生が焼肉屋で打ち上げをするシーンは現地で聞いた話を参考に、あえて隣町まで行く設定にしたのだとか。光春窯では、主人公・青子のイメージに重なる“リアル青子”な女性スタッフとの出会いもあったそう。完結から3年が経った2025年にも、波佐見ではスタンプラリーやサイン会など「青の花 器の森」のイベントを開催。小玉は波佐見を“第二の実家”と語っており、相思相愛な関係性が築かれている。
「月影ベイベ」執筆においても、小玉は舞台となった富山県八尾へ、多いときは月1回ペースで足を運んだ。笠で顔が隠れるからこそ生まれるドラマ性や、男踊りと女踊りの違いなどのディテールも、取材によって作中に反映されたものだ。
そして「狼の娘」では、月菜が心の拠り所とする場所として、山梨のぶどう農園が登場。颯の実家が経営するワイナリーは、小玉がもともとファンだった勝沼の「くらむぼんワイン」を参考にしており、作中ではぶどうがどのように栽培されるのか、ワインはどのように作られるのかなどが丁寧に描写されている。劇中に登場する丹波山村の「舞茸祭」も実際に現地で開催されているイベントで、小玉の妥協しない姿勢は健在だ。
なお、こうした取材の裏話や小玉による現地のマップなども各作の単行本のおまけページに掲載されていることが多いので、本編と併せてチェックしたい。
「恋愛に盲目にならないキャラ揃い」と前述したが、小玉作品における恋愛の描写は、胸がほろ苦い気持ちで満たされるような“切ないキュン”の宝庫。特に三角関係が描かれることが多いのは特徴だろう。「坂道のアポロン」では薫が律子に一目惚れをするが、律子は幼なじみの千太郎を思っており、薫は千太郎との友情を深めていくにつれて、友情と恋愛感情の間で大いに悩むことになる。一方で千太郎は百合香に出会い恋心を加速させていくのだが、百合香は千太郎が兄のように慕う淳一に惹かれていき、恋の矢印はどんどん複雑化していく。
「月影ベイベ」では光が蛍子に惹かれるも、蛍子は光の叔父である円に思いを寄せているという、歳の差のトライアングルが物語を大きく動かしていく。また円と蛍子の母・繭子、その幼なじみの漸二の間にもまた、若かりし頃に切ない三角関係があった。終盤で明かされる、繭子と円の切ない物語には必ず心を揺さぶられるはずだ。上の世代から受け継いで進化を続けてきたおわらと共鳴するように、世代をまたいだ濃密な人間ドラマが展開される。
そして「狼の娘」では、灰色狼の月菜と黒狼の颯、そして白狼の霧斗という3人の狼人が、三角関係を形成する。自分のありのままの姿を優しく受け入れてくれる颯にどんどん自分を解放していく月菜だが、人間社会のルールにとらわれない霧斗は、出会ってすぐ月菜に「俺のつがいになってもいいってことだな?」と迫り、霧斗のストレートな振る舞いに月菜は翻弄されてしまう。
三角関係と聞くとドロドロとした展開を想像するかもしれないが、小玉ワールドの住人はいずれも誠意を持って向き合うキャラクターばかりで、一過性の“惚れた腫れた”の関係性では終わらない。気づけば全員を応援したい思いで、恋心の行く末を見守っていることだろう。
洗練されたスタイリッシュな絵柄も、小玉ユキ作品における大きな魅力。太めの主線や白と黒のコントラストが生かされた画面構成が読み心地のよさを生み出し、黒髪のキャラクターの髪の毛や瞳の中身はベタで塗りつぶされているのも特徴的だ。一方でバランスよく背景が描き込まれているので、登場人物の置かれたシチュエーションがリアリティを持って立ち上ってくる。こうした部分にも、舞台となる土地への小玉の愛情が込められているといえよう。
すっきりとした画面でありながら、動きのあるシーンではエモーショナルな表現に目を奪われる。「坂道のアポロン」では薫と千太郎の演奏シーンで心が通う過程を見事に描き、「月影ベイベ」ではおわらの踊りを流麗に表現。目で見ることができない音楽を、小玉は原稿用紙の中で巧みに鳴らしている。
さらに「青の花 器の森」では、龍生が作った器を手に取った瞬間、青子の頭の中に図案が広がっていくさまが、まるで魔法のように表現されていた。“静”がベースにありつつも、“動”の描写で想像力を広げてくれる。そんな感覚が、小玉作品を読む際の大きな喜びである。
「狼の娘」は、これまで説明してきた小玉ユキらしさを内包しつつ、新境地も見える作品だ。物語は高校3年生の月菜が、陸上部を引退した日の夜に真っ白な狼を見かけたことから始まる。1歳の頃に現在の両親に引き取られ、生肉を見るとゾクゾクしてしまったり、人より夜目が利いたり、跳躍力が高かったりと、自分の中に他人と違う部分を感じていた月菜は、バイト先で出会った颯から「君は僕たちと同じ、狼に変身できる狼人だ」と告げられる。「私はおそろしい化け物なのかもしれない」と困惑しながらも、自分の出自をしっかり知りたいと考えた月菜は、颯の家族が暮らす山梨のぶどう農園に通うことに。そこで彼女は本来の自分を取り戻せたような心地よさを覚えるが、「普通の人生を送ってほしい」と願う両親と対立してしまい……。
ジャンルとしてはファンタジーだが、日常を切り取るような小玉作品ならではのリアリティをしっかりと帯びており、現実と地続きの読み心地が印象に残る。そして、ひょっとしたら「坂道のアポロン」以降の長編を主に読んできた読者には意外かもしれないが、小玉は初期作や短編では、ファンタジックな作品を数多く描いてきた。短編集「光の海」には人魚、「ちいさこの庭」には小人、「羽衣ミシン」には人間になって現れた白鳥が登場。「坂道のアポロン」の単行本に併録されている短編「バグズ・コンチェルト」や「エレベーター・チャイルド」などでも、いわばSF(すこしふしぎ)な世界観が展開されていた。小玉本人は「狼の娘」について、「原点回帰」と語っている。
月菜が「自分とは何者か」を知りたいと願い、時に危険な目に遭いながらも必死でもがくさまは、自分のアイデンティティと向き合ったことのある多くの人々に響くはず。5巻からは鳥居の向こう側へ飛び込んでしまった月菜が、白狼の里で厳しい現実に直面。6巻以降は物語がさらに狼人を取り巻く世界の真相に迫っていき、緊迫感を増す展開から目が離せなくなる。自ら道を切り拓いていく月菜の勇気の物語を見届けながら、画業25周年を迎えた小玉ワールドの魅力にぜひ浸ってほしい。
「狼の娘」が気になった人はこちらをチェック
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友情と恋と音楽の青春群像劇
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「坂道のアポロン」
1966年初夏、横須賀から九州へと転入した高校1年生の西見薫。幼い頃から転校を繰り返していた薫にとって、学校は苦しいだけの場所になっていた。そんな薫は“札付きの不良”と恐れられる破天荒なクラスメイト・川渕千太郎と出会ったことで、ジャズの世界へと導かれていく。アメリカ文化の漂う海辺の街を舞台に、友情、恋、音楽が交錯する青春群像劇だ。2012年にはフジテレビの「ノイタミナ」枠でTVアニメ化。渡辺信一郎が監督し、音楽は菅野よう子、アニメーション制作はMAPPA/手塚プロダクションが手がけた。2018年には実写映画が公開。三木孝浩が監督し、西見薫役を知念侑李、川渕千太郎役を中川大志、迎律子役を小松菜奈が務めた。
伝統芸能のおわらを巡る恋と謎
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「月影ベイベ」
伝統芸能の「おわら」を守り継ぐ、情緒溢れる地方の町。東京からその町へと転校してきた蛍子は、踊ることに興味がない素振りを見せ、体育祭でのおわら発表に向けて一致団結するクラスから浮いてしまっていた。しかしクラスメイトの光は、偶然にも、彼女が誰もいない教室で見事なおわらを踊るのを目にする。そんな蛍子は、光の伯父・円との間に触れてはいけない秘密があり……。おわらを巡り、少年少女の恋と謎が紡がれていく。
反発しながらも惹かれ合う、
器に魅せられた男女の恋模様
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「青の花 器の森」
波佐見焼きの窯で絵付けの仕事をしている青子。ある日その窯元に、海外で作陶活動をしていたという無愛想な青年・龍生が加わる。人を寄せ付けない空気をまとった龍生に、自身が大切にしている絵付けを「興味がない」と切り捨てられた青子は、自分の生き方まで否定された気持ちになってしまう。苛立ちを覚えながらも、龍生の作った器にどうしようもなく惹かれていく青子は……。長崎県の波佐見を舞台に、器に魅せられた男女の恋模様が描かれていく。
小学館の女性向けマンガのWebサイト・フラコミlike!では、小玉ユキの画業25周年を記念し、長編・短編作品の無料公開キャンペーンを実施。「坂道のアポロン」から最新作「狼の娘」まで、読み返したい作品や見逃している作品があればこの機会にぜひチェックしてみよう。さらにフラコミlike!では、これまで同サイトでは未配信だった小玉のエッセイも併せて公開。「坂道のアポロン」「青の花 器の森」「狼の娘」の取材時の様子や制作秘話が垣間見える内容となっている。また単行本には収録されていない「アニメ坂道のアポロン制作舞台裏レポート」も期間限定で配信中だ。
無料公開キャンペーンのスケジュール
長編・短編作品
- 2025年5月1日(木)~31(土):「狼の娘」2巻分無料
- 2025年5月1日(木)~16日(金):「狼の娘」待てば4巻分無料
- 2025年5月2日(金)~15日(木):「青の花 器の森」待てば全話無料
- 2025年5月3日(土)~16日(金):「月影ベイベ」待てば全話無料
- 2025年5月4日(日)~17日(土):「坂道のアポロン」待てば全話無料
- 2025年5月16日(金)~22日(木):「ちいさこの庭」毎日1話無料(アンソロジー収録話と単行本未収録話を含む)
- 2025年5月17日(土):「Beautiful Sunset」前編 公開日限定無料
- 2025年5月18日(日):「Beautiful Sunset」後編 公開日限定無料
- 2025年5月22日(木)~27日(火):「羽衣ミシン」毎日1話無料(27日更新分は番外編)
- 2025年5月23日(金)~27日(火):「光の海」毎日1話無料
- 2025年5月28日(水):「インターチェンジ」公開日限定無料
トリビュート作品およびエッセイ
- 2025年5月1日(木)~31日(土):「キテレツな彼のこと」(「藤子・F・不二雄トリビュート&原作アンソロジー F THE TRIBUTE」収録)
- 2025年5月1日(木)~31日(土):「アニメ坂道のアポロン制作舞台裏レポート」
- 2025年5月1日(木)~:「私の推し窯」(増刊flowers2021年冬号掲載)
- 2025年5月1日(木)~:「狼探しの旅」(増刊flowers2023年秋号掲載)
プロフィール
小玉ユキ(コダマユキ)
9月26日生まれ、長崎県出身。2000年にマンガ家デビュー。2007年から2012年にかけて月刊flowers(小学館)で「坂道のアポロン」を連載し、同作は2009年に「このマンガがすごい!」のオンナ編で第1位、第57回小学館漫画賞で一般向け部門を受賞した。また2012年にはTVアニメ化、2018年には実写映画化されている。そのほかの作品に「青の花 器の森」「月影ベイベ」などがある。2022年10月号からは月刊flowersで「狼の娘」を連載中。