真面目にやるほどバカにされる禅の世界
ReoNa そんなふうに、「ちひろさん」はすごく根本的なところの自分を作ってくれた作品なので、あの頃に出会えていてよかったなってすごく思います。大人になってから出会っていたらきっとまた違う受け取り方をしていただろうし、当時の私に必要な出会いだったんだろうなって。私にとっては、お守りみたいな作品ですね。
安田 そう言ってもらえるとありがたいです。僕にとってのそういう作品って、何かあるかなあ……あ、1つあるかな。「臨済録」という、禅宗の臨済さんってお坊さんの言葉や会話をまとめた本があるんですけど。禅問答なんです。
ReoNa 禅問答ですか……!
安田 禅宗のお坊さんたちって、めちゃくちゃなんです(笑)。悟りを得ようと教えを忠実に守って勤勉に修行に取り組む人に対して、「その行為のバカバカしさに気づけよお前ら」ってことを言っているわけ。とんでもないでしょ?
ReoNa (笑)。そういえば、何巻だったか忘れちゃいましたけど、単行本のあとがきにも「真面目にやろうとするからダメなんだ」と怒られちゃうお坊さんのお話を書かれていましたよね。
安田 まさにあれがそうなんだけど、言われたことを真面目にやればやるほどバカにされるのが禅の世界なんです。そういう価値観に触れられたことは、僕の中でとても大きかった。あの人たちはもうね、達人同士になってくると相手の質問にちゃんと答えないの。真面目に答えようとした瞬間に殴られたり。
ReoNa 噛み合わない会話のことを「禅問答のような」と言ったりしますけど、そこから来ているんですね。
安田 そうそうそう。「こうしなさい」と言われたことを守ったらダメっていう、そういう世界って素敵じゃないですか?
ReoNa 救われますよね。私自身も、あまり音楽理論とかを学んでこなかったほうの人間なので……「こうしないとダメですよ」と決められていることがきっといろいろあると思うんですけど。
安田 それを習得しなければいけないとされているわけですよね。でも、習うとできなくなることってあるんですよ。絵もそうで、絵の描き方を習ってしまうと、習う前に戻れなくなっちゃうの。
ReoNa なるほど! 確かにそうですよね。
安田 みんな「習って上達するのはいいことだ」と思ってるんだけど、習わなかった頃の絵の魅力というのはすごいものがあって。一度「うまい」と言われる絵が描けるようになってしまうと、もう二度と戻れないんですよ。僕はもう「ショムニ」の頃の絵は描けないから。
ReoNa ああ。
安田 あの暴れてぐっちゃぐちゃの真っ黒い絵は、もう描けない。まあ描けなくていいんだけど(笑)、その頃の絵に価値がないかといったら、決してそんなことはないんですよ。
拙くてもキラキラしたものがある
ReoNa 「ちひろさん」の中にも、カラスの絵のエピソードがありましたよね。カラスを虹色で描いていた小さい子が、大きくなって真っ黒なカラスを“描ける”ようになったみたいな。
安田 「カラスは黒い」という知識を得た瞬間から、虹色のカラスは描けなくなるんですよ。知ったから描けない。そういうの、歌でもあるでしょう?
ReoNa ありますね。私もデビュー当時の音源などを聴き返すと、「ヘタだなあ」と思う半面、「この味は今の私にはもう出せないな」って思います。
安田 技術的には拙くても、何かキラキラしたものがあるんですよね。
ReoNa そうですね。あれは取り返そうと思っても取り返せない。
安田 もちろん上達するに越したことはないんだけど、「あのときにしかなかったキラキラってなんなんだろうな」と考え続けるのはすごく必要なことだと思っていて。例えば、パブロ・ピカソが挑戦したのはその領域なんだよね。あの人は思春期ぐらいの時期に技術的にはもう完成していて、完璧なデッサンの絵を描けたんですよ。そうして手に入れたものと引き換えに失ったものをちゃんと自覚したからこそ、彼はその先へ行くことができたんだと思う。
ReoNa 過去の楽曲を今歌うときに、失ったものに思いを馳せることはよくあります。失ったものしか数えようがないというか(笑)。
安田 はははは(笑)。
ReoNa 歌っている内容は当時生々しく痛かった傷なんですけど、今の自分の中ではある種浄化されているものだったりするので。やっぱり大人になるにつれて、傷つかないことがうまくなっているんです。傷つかない選択肢を選べるようになるし、本当は傷ついていても傷ついていないふりができるようにもなるし。お歌を歌うという、むき出しの自分でいることを仕事にしている以上は、あまり失いすぎちゃいけないなとも思うんですけど。
安田 難しいですよね。右も左もわからなくなっていたときにしか歌えない歌、表現というのは絶対にあるから。かといって、苦しかったあの頃には二度と戻りたくないじゃないですか(笑)。
ReoNa (笑)。そうですよね。
安田 沼から抜け出せたこと自体はもちろんいいことなの。ただ、沼で溺れていたあのときの声はもう出せない、みたいなものはあると思うからさ。
ReoNa 日記みたいに、「あのときこんなことを考えてたな」って足跡をたどる感覚に近いのかなと思っています。あの頃に戻ることはできないけど、あのとき痛んでいた自分は決して嘘じゃないから。
あのときの私が傷つく言葉は選びたくない
安田 ところで、どうして表現形態として歌を選んだですか? 僕はたまたま絵を描くからマンガだったわけだけど……。
ReoNa 歌うこと自体は、物心ついた頃ぐらいからすごく好きだったんです。そこから大きくなっていって、心が柔らかかった時期の私に寄り添って救いをくれたものがアニメやアニソンでした。そこで、ずっと好きだったお歌とアニソンというものが結びつきまして。
安田 なるほど。
ReoNa その後高校に上がって自分の“好き”を表現したくなったときに、親にも言わずにアマチュアのアニソンカバーライブに出演し始めたんです。具体的な活動としてはそれが最初ですね。
安田 親には言えなかったってこと?
ReoNa はい。ちっちゃい頃に冗談混じりに言ったら、「そんなに甘いもんじゃないよ」って力強く否定されたことがあったので。
安田 僕も言われましたよ(笑)。「マンガ家として成功するなんて、宝くじみたいなもんだ」って。「うるせえ!」と思ってたけど。
ReoNa (笑)。幸い、私が高校生になる頃にはインターネットやSNSが普及していたので、家族や友人とは別のところに夢を持っていける環境があったんです。学校に行けなかったり、家族との不和があったりした中で……。
安田 ああ、学校行けなかったんだね。そっかそっか。
ReoNa 小学校4、5年生ぐらいのときにいじめに遭いまして。それまで皆勤賞だったんですけどガタンと行けなくなってしまい、そこから中学、高校もほぼほぼ行かずでした。
安田 そういう、枠からこぼれちゃう人にこそ僕は「ちひろさん」を読んでほしいわけ。
ReoNa まんまとですね(笑)。
安田 こぼれるのは決して悪いことではなくて、むしろ僕はこぼれちゃう子が大好きだからさ。人として真っ当だからこぼれるのであって、そこに劣等感を持ってほしくないんです。逆に「優秀すぎてこぼれ落ちたんだ」ぐらいに考えてくれたらうれしいなと思っていて。
ReoNa 本当におっしゃるとおりで、私がお歌を通して伝えたいのもそういうことなんです。
安田 要は、一番苦しかったときの自分に届けたくて歌っているわけでしょう?
ReoNa まさにそうですね。言葉を選ぶうえでは、過去の自分が一番の指標になっている気がします。あのときの私が傷つく言葉は選びたくない。
安田 伝わる表現ってのは、そういうことなんですよね。昔の自分を助けたいと思って縄を投げるんだけど、実は同じ救いを求めている人がほかにもたくさんいて、その縄をつかんで一緒に助けあげられてしまう。
ReoNa 安田先生がご自分を救うための縄を、まんまと私もつかんでしまったんですね(笑)。
安田 そうそうそう。「お、かかったかかった」って(笑)。
次のページ »
「歌」という言い方は気持ち悪い

