「セシルの女王」は、16世紀イングランドを舞台にした宮廷ドラマだ。結婚と離婚を繰り返した君主ヘンリー8世に翻弄されて、断頭台の露と消え、表舞台から去っていった男女に光を当てながら、その娘・エリザベス1世が女王となり、黄金期を築くまでのスリリングな人間模様を描き出す。
今回コミックナタリーでは、第6集の発売を記念して本作を特集。作者であるこざき亜衣たっての希望で、コラムニストやラジオパーソナリティとして幅広く活躍するジェーン・スーとの対談が実現した。互いに読者でファンである女2人が縦横無尽に語り合うのは、「セシルの女王」が描き出す、運命に揺さぶられながらも諦めない女たちの姿と、濃厚な人間ドラマの魅力、そして舞台裏。人間の生き方を飽かず見つめ、考え尽くす2人の言葉からは、今を生きる私たちの“しんどさ”を打開するヒントが、見つかるかもしれない。
取材・文 / 片平芙蓉撮影 / 武田真和
心に刺さった「人間、たいがいクソだから」
──今回の対談は、こざき先生がジェーン・スーさんのファンであることがきっかけで実現しました。スーさんとの「出会い」や、意識するに至った経緯を教えてください。
こざき亜衣 最初は、X(旧Twitter)でフォローしてもらってスーさんのことを知ったのですが、本格的に意識するようになったのは、3年前ぐらい。私生活で非常にひどいトラブルがあって、ある人のことを、「絶対に許せない、殺してやる!」くらいに思うようになってしまって。
ジェーン・スー そうだったんですね。
こざき どうしても許せなくて、2年くらいの間、毎日とても苦しんでいたんです。そんなときに、私の悩みを全部知っている編集担当の生川さんから、スーさんのラジオ(TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」)を「聴いてみてください」って教えてもらって。聴いたら、まさに私と似たような悩みを抱えている人がスーさんにお悩み相談をしている回でした。そのときのスーさんの回答が「人間、たいがいクソだから」。それを聞いて、「確かに!」「私もクソだったわ」と思いまして。
スー (笑)。
こざき 人を「許す・許さない」ということに関して、考えさせられたんです。私がこのまま「許さない」って立場を取り続ければ、自分がずっと人をジャッジし続ける立場にいなきゃいけないことになる。それが一番しんどいんだと思ったんです。自分がジャッジする側だと、間違いが犯せないじゃないですか。それに、自分の子供もそのうちとんでもない間違いをしでかす日も来るだろうなと思うし、そのためにも「許せる人」になっておかなきゃなと思った。そう思えたことで、自分のなかでスッとロジックが通ったんですよ。
スー よかった、お役に立てて。そこから「OVER THE SUN(※)」を聴いてくださるようになったんですね。(※TBSラジオのポッドキャスト「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」)
こざき これも担当さんから「拠りどころをたくさん持っていたほうがいいですよ」と教えてもらって聴くようになりました。「互助会(※)というのがあってですね……」と聞いたときは「は?」ってなりましたけど(笑)。そのときも私は大変苦しんでいたので、確かに、しんどい者どうし連帯していかなきゃいけないと思うようになりました。(※番組のリスナーは、お互いの助け合い精神から「互助会員」と呼ばれ、番組内では失敗談やお悩み、妄想などが共有される)
スー 今は、その人とはしゃべっていらっしゃいますか?
こざき すべての問題が解決したわけではないですけど、なんとかやっていく方向を模索している、という感じですかね。
──「人間、たいがいクソだから」という言葉が当時のこざきさんにクリーンヒットしたということでしたが、当のスーさんはその言葉を覚えていますか?
スー これまでに2000件ぐらいお悩み相談を受けているのでひとつひとつを詳しくは覚えてないんですが、「ジャッジメンタルになるのは、結局自分が苦しいよ」というのは、よく言っていると思います。
──「ジャッジメンタル(judgmental)」。「一方的な判断をする、決めつける」という意味ですね。
スー そうです。ただ、生きていくうえで、自分が自分に対しては絶対に約束を守る、ということは誰でもあると思う。特にこざきさんみたいなお仕事ならなおさらで、「ここだけはごまかさない、嘘つかない。ここだけはがんばる」っていうところ。そのポイントが揃っている人と一緒にいたほうが楽は楽だとは思います。逆に、そこが違う人と一緒にいると、お互いジャッジメンタルになる部分が出てしまう、とは思いますけどね。
こざき 難しいですね……。
スー 声に力がないですよ!(笑)
簡単には諦めない女たちが好き
──「セシルの女王」第5集の帯の推薦文はスーさんによるものです。「女に生まれたことが呪いになるような時代は、果たして完全に終わったのだろうか? エリザベス、どうか生き延びてほしい。できることならあなたらしく」。女性たちが、国家、宗教、男性という権力の陰で翻弄されながら、それでも懸命に歴史をつむぎ、運命を切り拓いていくさまが見事に描かれている「セシルの女王」の魅力を言い当てていると感じています。この文に込めた思いを、詳しくお聞かせください。
スー はるか昔から連綿と続く、「女の人がどういう扱いを受け、どういうふうに社会のコマになってきたか」は、世界史では習わない。習うのは、王位がどう移っていったかだけ。そこにたどり着くまでの話は習わないじゃないですか。「セシルの女王」はもちろん史実に基づいた創作ですが、ヘンリー8世が実際にたどった人生を調べれば、同じように話が動いていることがわかる。つまり、実際にもその陰で語られなかった女の人がたくさんいることは、想像に難くない。
──実際、ヘンリー8世の6度の結婚のうち、2人の妻が処刑されています。いくら時代とはいえ、異常ですよね。
スー そのときの彼女たちの心の動きや、自身の運命の捉え方、はたまた男の人が抱えているプレッシャーって、現代とあんまり変わってないと思う。そこに鬱々とすることもあるけれど、ならばそれをどうするんだということを、自分で考えるきっかけになる作品だと思います。どこが面白いと思うかは人それぞれですが、私は、登場する女の人たちが簡単に諦めないところが好きです。
──今スーさんが話したように、「セシル」では女たちの物語が濃厚に語られますが、あくまで主人公は男性・セシルです。こざき先生は、その構造を最初にどのように決めたのですか?
こざき まず、セシルことウィリアム・セシルは、あまり色がついてない人だったということ。あの時代を生き延びて高官にまで上り詰めた人にしては、それほど世界史的に有名ではなくて。つまり、あまりやらかしてこなかった=その時々の王に嫌われていないことが、史実を照らし合わせていくと見えてきました。けっこううまいことやったな、という感じの人なんです。最初はエリザベスを主人公にと思ったんですけど、彼女のようなカリスマ性のある人って、私は主人公として成立させづらくて。
──主人公は、普通の人の気持ちがわかったほうがいいと。
こざき 自分の描き方として、読者には(主人公に)感情移入をしてほしいタイプなんです。だから、エリザベスは象徴として存在していたほうがいいなと。その横で、その人を見つめる人を主人公として置いたほうがうまく回るかなと思ったんです。
──なるほど。
こざき それに、「男の人の目から見た女の人」って、歴史ものとしてはあまりない語り口だというのもありましたし、恋愛じゃない男女のバディを見てみたいなと思ったので、こういう形になりました。
──なぎなたに青春を捧げる女子高校生たちを描いた前作「あさひなぐ」とはガラッとテーマも趣も変わり、すごい跳躍だと感じました。ですが同時に、人間が極限状況でどういう行動をとり、誰が何を考えどう動くかを描いているという意味では共通点もあり、そうしたフォーカスの当て方が、こざき先生の1つの核だとも感じました。そして、16世紀の英国王室ものなので、歴史はもちろん当時の風俗や文化を考証しつつ描くことを考えると、かなり大変ですよね……?
こざき そうですね。でも、すごく楽しんで描いています。
愛のある結婚はむしろ例外
──ここまでの「セシル」で、スーさんの心に残った展開や、思い入れのあるキャラクターを教えてください。
スー 第6集まで来ると、だいぶ状況が進みましたよね。序盤でのヒロインたるアン・ブーリンのこととかちょっと忘れてたし……忘れてないけど(笑)。ここ最近だと私が一番ショックだったのは、「セシルもやっぱり女をコマとして使って(政治を)動かすんだ」っていうこと。
──第5集では、セシルが、まだ少女のエリザベスに対して、運命を「俺に使わせてください」と宣言するシーンがあります。その後も、未亡人になったキャサリン・パーを説得してヘンリーの後妻にしようとする展開もありますね。
スー ショッキングながら、でも当時の政治システム的には仕方ない部分も否めないんだよなとも思ったり。突然頭角を表したキャサリン・パーの腹のうちも気になるし。そして、心に残った展開でいうと、やっぱりキャサリン・ハワードのことですね。
──ヘンリーの5番目の妻ですね。ヘンリーの延臣、トマス・カルペパーと姦通していた咎で訴えられてしまう。
スー 彼女が、最終的にはカルペパーに強姦されたのではなく、愛し合っていたんだと主張して斬首されていったのが、やっぱり好きでしたね。自分でもちょっとロマンチックイデオロギー気味でキモいなと思いつつも(笑)。キャサリン・ハワードはあの手この手でヘンリーの妻にまで上り詰めたわけだから、ここまで戦略的な人なら、絶対保身のために「あの男に犯された」って言うだろうなとも思うのに、そうしなかった。これだけ陰謀・策略だらけの男女関係の中で、本当に愛し合ったカップルもいたとわかるのは、キャサリンたちだけでした。階級を超えて愛のある結婚をしたセシルをのぞけば、みんな、本当に好き同士かはわからない人たちばっかりじゃないですか!
こざき 結婚が、好きとか嫌いと関係ないところにある時代と身分の人たちですからね……。
スー そうですね。あくまでお互いの国の繁栄を考えたうえでの手段だから。でも、それでも好きでもない人と子を成さなきゃいけないのは、本当にきついなと思う。そんな中でも、好きっていう感情もちゃんとあったんだと思わせてくれるのがキャサリン・ハワードの話。そういうシーンは好きですね。
こざき 完全に割り切ってしまうには、キャサリン・ハワードは幼すぎたんだと思う。
スー まだ10代でしたもんね、かわいそうに。でもなんだろう、人を人とも思わないヘンリー8世が、一番他者から「人間扱い」されたがっているという……いやいや、「まずお前がちゃんとしろ!」って話だと思うんですけど。ヘンリーは、最初の奥さんであるキャサリン・オブ・アラゴンとは、まあまあうまくいってたんですよね。だけど、跡継ぎに絶対男の子がほしい!というところからおかしくなって。やっぱり、家父長制が大問題、っていう話だと思う。
こざき ヘンリー自身の出自も、若干王としての正統性が怪しいところがあって、より焦ってしまったんでしょうね。
スー ヘンリーは幻覚見過ぎだ。常に幻覚に責められていて、かわいそう。
──落馬以降、幻覚に悩まされたというのも史実のとおりなんですよね。
こざき はい、そこから精神的にだいぶおかしくなったので、落馬で脳が損傷したんじゃないかという説があります。ちなみにいろんな歴史の本を読むと、キャサリン・ハワードは「とにかく頭の悪いビッチ」みたいな描かれ方をしているんですが、丁寧に紐解いていくと、貧しい貴族の家で育って、遠い親戚の家に預けられて……という境遇が、本当に私が描いた通りなんです。
スー 11人兄妹の10番目くらいでしたよね。
こざき 口減らしのために親戚の家に預けられて、そこが、名目上は「子女たちの集まり」ではあったものの、男が気軽に出入りするような家で。簡単に男女の関係が発生してしまうのはどうしようもないじゃん、という環境だった。私も最初はちょっと頭の悪いビッチとして描こうとしたんですけど、調べていくと、全然違うわ!となって。腑に落ちるものがあったんです。
スー ガックリするくらい、女に対する見方や構造が現代と変わらない。そこがけっこうショックですよね。
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なぜこんなに大変な題材を選んだんですか?