「ベルと紫太郎」伊田チヨ子インタビュー|時は大正、此処は東京!貧乏女優と財閥の坊っちゃん たのしいふたりの同棲日記、よってらっしゃい見てらっしゃい!

お金があるより、ベルは紫太郎と一緒にいられることのほうがうれしい

──紫太郎の感覚からすればベルの暮らしぶりは貧乏なのかもしれませんが、実際に彼女の生活レベルというのはどのぐらいのものなんでしょうか。

デパートで素敵なかんざしを見つけるも「30円あったら三月分の家賃が払える…」と考えるベル。

お給金はあまりもらってないっていう設定です。あまりキャラクターのバックボーンを作り込むほうではないんですが、ベルは女優なので当時の芸人さんと同じくらいの月収にしようというのは最初に決めてました。浅草オペラという芸能の劇団員さんのお給料を調べたら、普通の座員がだいたい20円から30円くらい月収をもらっていたみたいなんです。この金額が高いのか安いのかちょっとわからなかったので、公務員のお給料が参考になるんじゃないかと思い、次に小学校の先生の初任給を調べたら40円から50円だった。ということは、その半分くらいしかもらってない芸人さんの給料というのは、今の感覚で言うとフリーターより安いかどうか、みたいなライン。長屋の家賃を調べたら8円から10円で、残りで食事をしたり消耗品を買ったりしたら、もう何も残らないですよね。

──カツカツですね……。そんな経済状況のベルの家に、紫太郎が転がり込んできて大丈夫なんでしょうか。

紫太郎は働いてないですしねえ。

──でもご飯とか一緒に食べていますよね。え、その状況って大丈夫なんですか?

そこなんですよ(笑)。お金持ちが貧乏人の家に上がり込んでタダ飯を食らってるって、倫理的にちょっとマズい気がしますよね。その雰囲気を払拭したくて、単行本では紫太郎が働く話を描き下ろしで入れています。「紫太郎、労働を知る!」みたいな話です。

──働くっていうだけで事件になる男(笑)。どうしてベルは、そんな経済状況で紫太郎を家に置いているんでしょう。

「私の一番の『ファン』の人が客席で観ていてくれるから」と舞台に上がるベル。他人から見たらよくわからない2人の関係だが、実はラブラブなのだ。

それはもうシンプルにお金のことよりも、紫太郎と一緒にいられることのほうがうれしいからでしょうね。2人の関係は「髪結いの亭主」だと思うんです。落語の「厩火事」だと、女房は髪結い……今で言う出張美容師みたいな仕事で朝から晩まで外で働いていて、旦那は昼間から刺し身を食って晩酌していいご身分。それを見ていた大家が「ちょっとあれはないんじゃないか?」「離縁しろよ」なんてアドバイスをしてきて、女房も最初は「本当にあの人は働かなくて……」なんて愚痴ってるんですけど、だんだんと旦那の悪口を言われてることにムカついてくるんですよね。「あの人にだっていいとこがあるんですよ!」って。当人同士が好きで一緒にいるんだから、他人がとやかく言うものじゃないんですよ。

──町のみんなが「ベルと紫太郎は女優とそのヒモなんだって?」「ベルと紫太郎は金持ち旦那とそのお囲いもんだって聞いたぜ?」などと、2人の関係を噂するエピソードがありますよね。紫太郎はベルの一番のファンで、その紫太郎が見ていてくれるからベルは舞台の上でがんばれる、という2人の間柄がわかる素敵なエピソードでした。

あの話ではキレイにまとめていますが、結局のところ紫太郎はただの女好きなんですけどね。ベルの顔がいいから惚れてる、苦労知らずのお金持ちのボンボンです(笑)。

古典のネタはそう簡単に崩れない、だから安心して描ける

──「ベルと紫太郎」は1話単位で見たとき物語としてまとまっているのに、4コマとしても1本1本にきちんと笑えるオチがついているのが見事だと感じました。どのようにお話の構成を考えているのでしょうか。

私は1話が一席の落語になるように作っています。落語には、オチとなるセリフを言って話を終わらせる「サゲ」というのがあって。その「サゲ」に向かって話が進行していく間には「くすぐり」と呼ばれる笑いどころが無数に入れられているんです。その作りをマンガに応用したいと思って、自分が面白いと思った噺がどういう構成になっているのかを紙に描き出してみて。ストーリーラインを時系列で書いて、ここがこう作用するから面白いのかなるほど!という具合に、1つずつネタの仕組みを自分なりに考えてました。

──先ほどからお話を聞く限り、かなり落語からの影響が大きいのですね。

ケンカするベルと紫太郎を見てられず飛び出してくる泥棒。「待った!」「待った!」のかけ声に合わせて、なぜか息ぴったりにポーズを取ってしまう3人。

大晦日に溜まったツケが払えなくて借金取りを追い返そうとする話は「掛取り」ですし、隠れていた泥棒がケンカする2人を見ていられなくて仲裁に入ってくるというのも元ネタは「締め込み」なんです。この話は、かなり丸ごと噺をもってきています。基本的にアレンジこそしていますが、ネタ自体を落語から作っているものも結構……いやかなりあって。古典的なものって、やはりすごく完成されているのでちょっと弄ったくらいではぜんぜん崩れないからすごい。設定とかを全然変えちゃっても受け止めてくれる強度があって、そのしっかりとした土台の上だからこそ、私でも安心してマンガを描けているんじゃないかなと思います。

「ASUKA向きじゃない」と言われ「なにをう!?(怒)」となった

──お話を作る中でこだわった部分や、苦労したところなどはありますか。

苦労とはちょっと違うんですが、担当さんに半ギレしてしまったことなら。

──それは穏やかじゃないですね。

紫太郎の家で番頭をする青年・伊之助。紫太郎の身の回りを世話しており、執事的な仕事もこなしている。

そもそも紫太郎は最初お金持ちっていう設定じゃなく、団子屋のせがれみたいなキャラで、物語自体もアットホームな地元の恋みたいなものにしようと思っていたんです。けど、もっと夢のあるきらびやかな感じがほしいと打ち合わせで言われたので、お金持ちと庶民の恋という設定に直して。そこまではよかったんですけど「執事を出しませんか」って言われた時に「絶対イヤ!」ってなってしまい。

──ASUKAっぽいですけどね、執事とか出てくると。

担当さん的にも、そういう思いがあったというのは理解しています。少女マンガのフォーマットで連載を作ろうと考えたときに、舞台が大正だったら、庶民の女の子がお金持ちと恋をするシンデレラストーリーで、そこには執事がいてっていう。でも最初からそういう世界観のものがほしいのなら、そもそも私の出る幕じゃないだろうと。

──では、あまりASUKAで描いているという部分は意識していないんですね。

めちゃめちゃ意識はしますよ! 会う人会う人に「あのASUKAっぽくないマンガね」って言われるので……。1回、担当さんとお酒を飲んでいるときに、酔った勢いだと思うんですが「チヨ子さんのマンガは正直ASUKA向きじゃない」って言われたことがあって「なにをう!?(怒)」ってなりましたね(笑)。でも、それから吹っ切れて「私は私のマンガを描こう」と思えるようになった気がします。

「こんなのあったけど、どう?」って、埋もれていたものを人に見せたい

──伊田さんはASUKAとハルタ(KADOKAWA)が協力して発行している別冊「青騎士」で「ジョーのグッドニュース」も連載されていますよね。こちらは1920年代のニューヨークを舞台に、駆け出し新聞記者の女の子・ジョージィの活躍を描いた物語ですが、どういった経緯でスタートしたのでしょうか。

「ジョーのグッドニュース」第1話より。一度は採用となるも「女は記者に雇えない」と追い出されてしまうジョージィ。

もともとチャップリンの映画がすごく好きで、サイレント映画の短編をよく見るんですけど。チャップリンは1910年代から1920年代にかけて短編作品を70本くらい撮っているんです。それでこの時代のアメリカ自体に興味が湧き、ニューヨークで暮らしてる人の生活模様とかを調べている間に、マンガで描いてみたくなって。

──昔の文化を描くというか、時代を切り取って物ごとを調べたり想像するのがお好きなんでしょうか。

「ジョーのグッドニュース」第1話より。ジョーは採用試験として、初のトーキー映画出演が話題となっているグレタ・ガルボの取材を任されることに。

今の人がそんなに気に留めていないものを「こんなのあったよ」っていうのが私は好きなのかも知れません。Twitterでやっている「零れ話」もそうですけど、積極的に知ろうとしないとわからない事実って結構あると思うんです。それは大昔のことじゃなく、なんなら10年前や20年前のことでも。そういうものの埃を払って、って言いかたはアレですけど「こういうのあったんだけど、どう?」って、埋もれていたものをショーウインドウに置くような気持ちですかね。

──現代を舞台にしたお話を描いてみたいと思ったことはありますか?

現代って、登場人物の私服を描くとダサくなりそうで怖いんですよ。私の身辺だけじゃ拾いきれないくらい、今って価値観とか生き方が多様化していると感じます。きっと私には難しいですね、現代を描くのは。

ベルと紫太郎の関係も、ちょっとずつ変化が……

──「ベルと紫太郎」1巻の中で、特に気に入ってる話はありますか?

1巻のラストに入っている、彗星の話ですかね。これは明治43年の実際の事件が元ネタなんですが、当時の無茶苦茶な噂とかが調べ物をしていてすごく楽しかったです。

「ベルと紫太郎」第20話より。彗星が地球に衝突するという記事を見て青ざめるベル。

──ハレー彗星が接近してきて、そのせいで地球上の空気がなくなるとか、災害や疫病が起こるんじゃないかとか、奇想天外な噂話が巷に広まって……というお話でしたね。

空気を溜めておける自転車のチューブがあれば助かる、みたいな噂話は当時発行されていた本に実際に書かれていました。昔の人たちの教養って私たちよりも全然低くて、科学的な知識もないし「どうしてそんなことを信じちゃうの?」っていうようなことをあっさり信じてしまうんですよね。

──でも現代の視点からしたらギャグですけど、当時の人々にとっては生きるか死ぬかみたいな話だったわけで。

あまり地球規模の災害とかに頭が回っていないと思うんですよね、当時の人々は生きてる世界がすごく狭いから。現代で同じように彗星絡みの事件があったとしたら、ぶつかった衝撃で氷河期がどうのとか、理屈を考え出しちゃうと思うんですけど。彗星が来るってこと自体がそもそもうまく想像できていないというか。そういう、大変な状況なのだけどちょっと地に足がついていない、絵空事のような空気を出せたらとは思いました。

「ベルと紫太郎」第20話より。彗星の影響についてベルの友達のキヨちゃんは、窒素が少なくなり酸素が増えると人々が陽気になるという噂話を持ち出す。

──そんな生き死にがかかった状況に置かれたことで、ベルと紫太郎の関係にもちょっと変化が訪れ……。今後の2人がどうなっていくのか、続きが楽しみになる結末でした。

この話は、単行本の「サゲ」ですから(笑)。恋人同士と言いながらも、物語が始まった頃の2人は姉弟とか友達みたいな仲だったと思います。でも話が進むにつれて、2人の関係もまた違ったものになっていく予定です。

──「ベルと紫太郎」の物語は、まだまだこれからというわけですね。

ベルと紫太郎はどちらも私の分身みたいな存在で、自分が好きなことは2人も好きっていう気持ちで描いているんです。この時代だったら上野で博覧会もあるし、列車の旅も今とは全然違う趣があるし、面白いことがいっぱいあるなあと当時のことを調べながら思っているので、2人にはいろいろなことを体験させたいと思っています。今言ったようなネタもどこまで描けるのか、新人の私は毎回が手探りのような状況ですが、「ベルと紫太郎」をよろしくお願いします。