伊田チヨ子「ベルと紫太郎」 PR

「ベルと紫太郎」伊田チヨ子インタビュー|時は大正、此処は東京!貧乏女優と財閥の坊っちゃん たのしいふたりの同棲日記、よってらっしゃい見てらっしゃい!

華の溢れる美男美女が恋に戦いに明け暮れる、少女マンガ誌の中でも美麗なイメージが強い月刊ASUKA(KADOKAWA)。その場所で、貧乏長屋に暮らす大正時代のカップルを主役にした4コマ「ベルと紫太郎」は連載されている。地味に見えても、そこはASUKAのマンガ。さぞかしドラマチックな物語なのだろうとページをめくれば、家賃の心配に麦飯の夕飯と所帯じみた内容……しかし、これがなんとも愛らしい。

コミックナタリーでは単行本1巻の発売を記念して、作者・伊田チヨ子に取材を申し込んだ。なぜ大正という時代を物語の舞台に選んだのか、その質問に対して伊田は江戸から続く日本文化への思い入れを語ってくれた。また主人公のベルと紫太郎が“演芸ナタリヰ”からインタビューを受ける描き下ろし4コマも特集ラストでお見せする。

取材・文 / 淵上龍一

ASUKAに描くマンガで、ちょんまげ頭の彼氏を出すのもね……

──「ベルと紫太郎」は、浅草の舞台女優・ベルと財閥の三男坊・紫太郎という男女の恋物語です。カップルものとしての面白さはもちろんですが、舞台となっている大正時代の文化や雰囲気が非常に魅力的に感じました。この作品の設定は、どのように立ち上げたものなのでしょうか?

「ベルと紫太郎」第1話より、仕事帰りのベルと迎えに来た紫太郎が一緒に帰るシーン。

「大正の雰囲気がいい!」とお褒めいただいてる中で非常に言い出しづらいのですが……私が物語の舞台とか文化として一番好きなのは、江戸時代なんです。もともと落語が好きなので「ベルと紫太郎」もそれぐらいの時代を舞台にしたいと考えていました。しかし担当さんから「江戸時代はウケない」と言われてしまい……。

──江戸時代を描いた面白いマンガもたくさんあるとは思いますが。

そこはやはりASUKAですし、ちょんまげの男が彼氏というのは少女マンガ的にあんまりかと私も思いまして……。そこから明治か、昭和の初期かといろいろな時代を候補に出していく中で現在の大正11年という設定に辿り着いたんです。

──ざっくりと大正、というわけではなく大正11年という年までハッキリと決めたのはなぜ?

昔ながらの日本というのが残っているギリギリのラインが、大正11年なんです。これは私の考えで、専門家の方に言わせたら違うっておっしゃるかもしれないのですけれど。明治から大正のそれぐらいの時期までは、文化的に江戸時代と地続きな感じがしていて。昔の日本って、外国から来た面白いものをどんどん吸収して、自分たちで色や味をつけていくパワーみたいなものがあったと思うんです。そもそも私が江戸時代を好きなのも、非常に文化的に豊かでエネルギーがあった時代だと感じているからで。

──その江戸時代から続くエネルギーみたいなものが、立ち消えてしまう瞬間がある。

一番の要因は関東大震災ですね。西洋って地震がないから、煉瓦造りや石畳がとても多いじゃないですか。だから明治時代にあっちの建築様式が入ってきたとき、日本でも真似して煉瓦造りの建物がいっぱい作られたわけです。銀行みたいな建物とか、浅草の仲見世なんかも震災前は煉瓦造りだったし。でも、それが関東大震災で全部ダメになってしまった。西洋の考え方をまるっと写していくのは、ちょっと無理があるなとみんなが気が付くわけですね。そうして、今の鉄筋コンクリートに景色も移り変わっていった。

──つまり「ベルと紫太郎」は、大正だけれども伊田さんの好きな江戸の空気もまだ残っている時代と。

そうですね。日本的な江戸から続く文化もあるし、西洋から取り込んで日本ナイズされていない煉瓦造りとかも存在しているし。ほかの時代にはない魅力みたいなものが、この時期の大正にはあると思います。

──当時の街並みを絵で再現するのは大変じゃないですか?

「ベルと紫太郎」第4話より、ベルが出演する芝居が始まるまで浅草をうろつく紫太郎。

景色は写真の丸写しなので(笑)。私は自分にイチから世界を構築するような能力がないのを知っているので、見て描けるものは、なるべく見たママに描こうと思っています。アレンジしちゃうと、どんどんおかしな方向にいっちゃう。

──描きたい風景が載っている当時の写真が、そんなにピンポイントで見つかるんですか?

明治時代からの文化で絵ハガキ屋というのがあって。日本で、私製ハガキが認められた年というのがあるんです。それまでは国が作って売ってる官製ハガキしか出せなかったんですけど、規定のサイズに切って形を整え切手を貼ればOKっていう制度が明治に成立した。それで私製ハガキ屋さんが現れ、観光地を写したものが大量に作って売られていたわけです。今のコンビニくらいの感覚で、本当に街中のあちこちでハガキを売っていたとか。なので浅草とか上野みたいな場所は写真の絵ハガキがたくさん残っていて、当時の文化として本に資料がまとまっているんです。

──なるほど。時代劇は調べごとが多くて描くのが大変そうというイメージがあります。

調べられる限り忠実に描こうとは思っていますが……やはり専門家ではないので「厳密にやってます!」みたいに思われてしまうのはちょっと、というのは強調しておきたいです(笑)。ただ大正は、昭和に比べると明らかに短いじゃないですか。いろんなことが起きるけれど凝縮されている時代なので、調べるにしても範囲を絞りやすくはありますね。歴史に詳しくない人でもイメージが付きやすい、とてもキャッチーな時代だと思います。

江戸っ子ヒロイン・ベル、貧乏を嗜む

──伊田さんは「ベルと紫太郎零れ話」と題して、大正時代の文化紹介コラムをTwitterに投稿していますよね。

「ベルと紫太郎零れ話」で女学生のファッションについて描いた回。

「零れ話」は名前の通り本編のオマケみたいなつもりでやってるのですが、おかげさまで好評をいただいています。マンガのネタを思い付いたら描く前に調べ物をするんですが、そうすると知りたかったことだけじゃなくて、その周りの知識も一緒にひっついてくることが多くて。マンガで使うのはAだけなのだけど、せっかく調べたBやCのことをただお蔵入りさせておくのはちょっともったいない。だったら絵にして見せちゃおうっていうくらいの気持ちでやっていますね。

──とくに反響が大きかった「零れ話」は?

不思議なもので、「これいいよね!」って出したものほどウケないんですよね(笑)。「どういうことが知りたいですか?」って事前アンケートを取ったとき「女性のファッション」がダントツ1位だったので、女学生の服装について描いたときはすごく反響がありました。「ベルと紫太郎」に女学生は出てこないんですけどね……。

──需要があるなら出そうという話にはならないんですか。

うーん……。私はもともと落語が好きで時代劇を描いているので、いいお家で育ったお嬢さんの暮らしというのが上手に想像できないんですよね。落語の登場人物っていうのは、下も下のド庶民ばかりなので。豊かな生活をしている人というのに、うまく共感ができないんです。

──でも「ベルと紫太郎」の紫太郎は、財閥の三男坊という設定ですよね。

ベルの恋人としてではない、お金持ちとしての紫太郎の生活は、正直リアルに想像できてないです(笑)。でも紫太郎の家は商売で家を興した成金というイメージなので、華族みたいな特権階級の人よりは考えてることがわかるかもしれません。

高そうな椅子に座り猫を抱く紫太郎。

──そもそも紫太郎のキャラクターは、どういうふうにできあがったんでしょうか。

実は紫太郎にはモデルがいて。私の祖父の叔父なんですけど、大正時代の方で名前も同じ紫太郎。この方は30歳になる前には亡くなってしまったらしいんですが、どうも株で一山当てたことがあるらしく。それですごい豪遊をして、あっという間にそのお金はなくなって、借金取りが私のおじいちゃんの家にも探しに来た。こりゃあ俺らも紫太郎を探すしかねえやとなり、まだ10歳くらいの祖父もお父さんに連れられて東京中を歩いて回ったそうです。そうこうする中で、お金があった頃に贔屓にしてた芸者さんの置屋(芸者を抱えた家。料亭など店からの注文に応じて芸者を送り出す場所)に匿ってもらってるって情報を聞いて行ってみたら、その置屋の1階の長火鉢の向こう側に、女物の羽織を着て小さくなって座ってる紫太郎さんがいたんですって。身ぐるみ全部はがされちゃって、芸者さんの服を借りて着ていたんでしょうね。それを聞いて、これはすごくいい話だなあと思って。

──(笑)。ちょっと情けないというか、憎めない感じの人だったんですね。

女好きで、お金を持ってたときはブイブイ言わせてたのだけど、最後はちょっと間抜けで、現実感がない夢みたいな生き方をした人なのだなと思って。祖父も子供の頃の記憶を話しているので、曖昧なところや脚色されている部分もあると思いますが、この紫太郎さんが私はすごく好きで。なので、まんまモデルにしているというわけではないんですが、名前を使わせてもらいました。お金持ちには興味ないと言いましたが、キャラクターとしての愛着は持って紫太郎を描いています。

──では、その恋人のベルは?

ベルの名前は、女優の山田五十鈴さんが「ベルさん」という愛称で呼ばれているのが好きで使わせてもらいました。最初はもっと女の子らしいキャラにしようと思っていたんですけど……ずいぶんとさっぱりした子になっちゃいましたね。

──顔も性格も男前ですよね。

男前というよりは、江戸っ子のつもりで描いています。言ったことがちょっとぞんざいに聞こえるというか、そんな気持ちでは言ってないのだけど、江戸弁で捨て置いた感じにペッて言葉を吐いてしまう。投げつけるようにしゃべってしまう子というか。

──江戸っ子って、具体的にどんな人を指すんでしょうか。

わかりやすく言っちゃうと寅さんなんですけど。江戸っ子は根っこにシャイネスな部分があると私は思っていて、もちろん人情はありますけど、そこに照れがある。照れがあるからこそ壁を作っちゃったり、言葉がぞんざいになっちゃったりするのかなと。人助けをしても「俺たち親友だよな!」みたいなことはやらないというか、見栄を張っている部分が強いと思うんですよね。第1話でベルが「貧乏はするものじゃない 嗜むものだ」って紫太郎に言うじゃないですか。

「僕の屋敷で暮らそうよ」と言う紫太郎を「貧乏はするものじゃない 嗜むものだ!」とたしなめるベル。

──貧乏暮らしなんかやめて、一緒にお屋敷で暮らそうと言う紫太郎をたしなめるシーンですね。

実はこれ、古今亭志ん生師匠の言葉なんです。志ん生師匠という人は気分屋で、言ってることが毎回変わるみたいなところがあるのでどこまで本気かわからないんですけれど、志ん生師匠が貧乏で苦労したっていうのは有名で。そういう方が、貧乏でも生きていく心構えを「貧乏は嗜むもの」って表現したのが、すごくいいなと思って。そんなこと言ったって実際に貧乏は苦しいわけで、強がりというか、痩せ我慢みたいなものだとは思うんですが。

──そこで苦しい姿を見せるのじゃなく「貧乏は嗜むもの」くらいに言うのが江戸っ子と。

だからベルも、何も本気で「貧乏は嗜むもの」と思ってるわけではないです。ただ強がって嘘を言ってるというわけでもない。私の好きな狂歌に「貧乏をしてもこの家に風情あり、質の流れに借金の山」っていうのがありまして。貧乏な状況を山水に見立てて「うちは貧乏だけど風情がある」と、そういう考え方が出来るのが江戸っ子なんでしょうね。