ナタリー PowerPush - 砂原良徳

機械による、人間のための音楽

ついに砂原良徳のアルバム、「liminal」が完成した。

暗闇にアルファベットのみが光るアートワーク同様、全8曲、すべてのインストゥルメンタルに顔はなく、ましてや感情も見当たらない。

こうした作品を前にしたとき、人は「聴くたびに発見がある」という慣用句を使いがちだが、この作品は、そのさらにひとつ上のフェーズ、「聴くたびに、自分を発見するような作品」になっている。

例えば災害時、いつもは埃をかぶったラジオのニュースに耳を澄ますとき、そこからの音に対し、鋭敏になりすぎた耳=自分を見つけてしまうように、ここではひとつひとつの音が、無言ならではの吸引力を放っているのだ。

作者の表情はもちろん、体温すらも感じられない無風空間に、リスナーの表情や体温をありありと輪郭づける、「機械による、人間のための音楽」。

インタビューは、マグニチュード9.0、東北地方太平洋沖地震の翌日に行われた。

取材・文/江森丈晃 インタビュー撮影/中西求

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どんなに良い曲も、所詮は人から人へと向けて作られたもの

──地震の際はどこにいましたか?

インタビュー風景

スポーツクラブのサウナにいました。昼の時間帯って、作業をやっても良いものができる可能性がほぼないので、よく行くんです。ちょうどそこに設置されているモニターで国会中継を観ていたんですけど、政治献金が追求されてる最中、管総理はすぐに背広を脱いで、DEVOみたいな作業着に着替えてて。「内心はうやむやになってよかったとか思ってるのかなぁ」みたいに感じた人は多かったと思いますね。その後はすぐにスタジオに戻りましたけど、そこは幸運にもまったくの無傷でしたね。

──今日、部屋を出る前にDISC 2のDVDを観ていたんですけど、「subliminal」の中盤、「震度5」のアラート画面には本当に驚きました。

それ、僕もまっさきに思いました。これから東北が元気になって、もしチャリティライブに呼んでもらえたとしても、あの映像は使えないなって。アルバムタイトルの「liminal」という言葉は、水が沸騰して、お湯になる瞬間とか、なんらかの物体であったり現象であったりが、限界に達してまったく別のものになるということを指しているので、自分がそういう作品を出すという事実と、震災のニュースというのは、ねぇ……。

──怖いぐらいにリンクしてきますよね。

……でも、あまりそこに因果みたいなものを見つけないようにしようとは思っています。偶然だよな、と思うように努力してますね。人って、どうしてもそういう偶然というのを、意味づけて解釈しようとしがちなんですけど、いざ統計学的に考えてみれば、そんなに珍しいことではなかったりするじゃないですか。音楽そのものに取り込まれてゆく偶然というのは受け入れますし、むしろ積極的に探していきたい気持ちがあるんですけどね……。

──それは意外です。

これまでは積極的に排除していた部分ですからね。最初にコンセプトを決めて、そこから外れたものはどんどんカットしていく方向で音楽を作っていましたから。でも最近は、そういうプロセスから出てきたものには限界があるのかなっていう気持ちが、どんどん強くなっていて。

──音をコントロールすることやデザインすることを突き詰めていったら、「偶然」に惹かれる自分がいたと。

対極にいってしまうというのはあまりにもわかりやすいし、僕の場合はそこまでのものではないんですけど、よく思うのは、どんなに良い曲も、どんなに新しいフレーズも、所詮は人から人へと向けて作られたものばかりだということですね。もちろん自分の音楽も、そこからは逃れられていない。でも、実は音楽の原初形体っていうのはそうじゃなくて、たぶん身の周りの環境音──風とか波の音だったり、動物の鳴き声だったり、落雷の音の大きさに驚くことだったり──そんなものだったと思うんですよ。まぁ、本当のところはわからないし、そこばかりを突き詰めると精神世界的なものになりすぎると思うけど、できれば今までの意識とは違うところから音を採取したり、出したり、編集できたりできないかな、と思ってはいて。

人に聴かせるという前提がある以上、100%無意識下っていうのはありえない

──それは「liminal」の制作中からですか?

考え自体はかなり前からありましたね。アルバム制作というのは、僕が日常的に出している音を「まとめる」ということでもあって、まとめるということは、普段踏み込まない領域に意識を持っていくことでもあるので、その際に、もともとあった気持ちが前のほうに出てきたという感じですね。制作中は、どうしてもそういうミクロでありマクロな論究にいきがちなところがあるんですよ。例えばクリスチャン・マークレイとかピエール・バスティアン、ヤン富田さんなんかが、レコード盤を物理的にカットして、それをまた接着したのちに再生することで、人のコントロールからアウトした音楽を演奏したりしているじゃないですか。ああいう行為にいくというのはすごくわかるんです。ただ、その反面、そうやって録れた音を聴き返して、冷静にジャッジしてしまうのは自分だし、そもそも「レコードをカットして……」みたいに、音の出る条件を絞り込んでいるのは人間なわけですよね。

──「必然性のある偶然」という、筋書きがあると。

もちろん(ヤンさんの音楽は)好きですけどね。でも、意識的に(人間と音との)関係を壊そうとすればするほどに、実は人間臭い部分が出てきてしまうというのはあると思います。例えばマイクで風鈴を狙って、風の表情を録音する、みたいなことも、音を採取している時点では確かに自然の音なのかもしれないけど、それを作品に変換する際に、どうしても音質を調整したり、「あえて調整しない」という判断を加えることになるだろうし。

──本当に自分の意識から離れたものをやりたいのであれば、店頭に並ぶまで聴かない、ということをしなくちゃいけないですよね。

ただそうなると、もう作品じゃないですよね。そもそも自然の音がそこにあるなら、そっとしておけばいいってことじゃないですか。だから……難しいですよ。人に聴かせるという前提がある以上、100%無意識下っていうのはありえないから。考えれば考えるほど、物事っていうのはわからなくなる。自分の意識ほど難しいものはないですよね。

5thアルバム「liminal」 / 2011年4月6日発売 / Ki/oon Records

  • 初回限定盤 KSCL 1666-7 [CD+DVD]3360円(税込) / Amazon.co.jpへ
  • 通常盤 KSCL 1668 [CD]3059円(税込) / Amazon.co.jpへ
CD収録曲
  1. The First Step (Version liminal)
  2. Physical Music
  3. Natural
  4. Bluelight
  5. Boiling Point
  6. Beat It
  7. Capacity (Version liminal)
  8. liminal
砂原良徳(すなはらよしのり)

砂原良徳

1969年生まれ、北海道出身のサウンドクリエイター/プロデューサー。1991年から1999年まで電気グルーヴのメンバーとして活躍し、日本のテクノシーンの基盤を築き上げる役割を担う。

電気グルーヴ在籍時よりソロ活動を始め、1995年に「Crossover」、1998年に「TAKE OFF AND LANDING」「THE SOUND OF '70s」という3枚のアルバムを発表。脱退後は2001年にアルバム「LOVEBEAT」をリリースしたほか、スーパーカーのプロデュースやリミックス、CM音楽を手がけるなど多方面で独自のセンスを発揮。特にアーティストの魅力を倍増させるアレンジやリミックスには定評がある。2007年3月には自身のキャリアを総括するベスト盤「WORKS '95-'05」を発表した。

2009年7月にキャリア初のサウンドトラック「No Boys, No Cry Original Sound Track」をリリースしたのを期に、「SUMMER SONIC 09」「WORLD HAPPINESS 2009」「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZO」といった大規模な夏フェスに参加するなど、活発な活動を展開。2010年4月にいしわたり淳治とのユニット“いしわたり淳治&砂原良徳”としてシングル「神様のいうとおり」を発表したのち、7月にはシングル「Subliminal」を、2011年4月には待望のフルアルバム「liminal」をリリースする。

さらに、2009年11月に発売された電気グルーヴのシングル「Upside Down」収録の「Shangri-La (Y.Sunahara 2009 Remodel)」の“リモデル”を手がけたほか、2010年11月発売のagraphのアルバム「equal」のマスタリング、同じく11月発売のCORNELIUSのアルバム「FANTASMA」リマスタリング盤にてリマスターを担当。アーティストとしてのみならず、エンジニアとしての手腕も高い評価を獲得している。