ナタリー PowerPush - 坂本美雨

あなたが好きです!ラブレターアルバム「I'm yours!」

坂本美雨がニューアルバム「I'm yours!」をリリースした。この作品は彼女自らが「ラブレターアルバム=ラブバム」と銘打つほど、熱烈なラブソングだけが10曲詰め込まれた異色のアルバムとなった。しかもこれらのラブソングは全て実在する1人の相手に向けて歌われたものだという。坂本美雨がこのアルバムに込めた思いについてじっくりと訊いた。

取材・文 / 大山卓也

この気持ちが嘘だなんて誰にも言われたくない

rieco

──素晴らしいアルバムが完成しましたね。

ありがとう!

──美雨さんがこのアルバムに込めた強い気持ちが伝わってきます。

うん、もう余計なことは言わないで、ほんとのことだけを歌おうと思って。

──だから今日はサウンドの話やレコーディングのエピソードはすっ飛ばして、このアルバムを作った美雨さんの“気持ち”だけを訊きたいと思って。そもそもこういうアルバムを作ろうと思ったきっかけっていうのは?

多分ずっと溜まっていた自分のコンプレックスとか、世の中に対する感情とか……。それがひとりの人、好きな人ができて、ロープみたいに絡まって、つながった。

──ロープ?

うん、いろんな糸がロープになったっていう感じがしてて。このアルバムは1枚通して、ひとりの人に向けたラブレターなんです。本当に単純にその人のことが好きですっていうことを世界中の人に言いたかった。その人がどれほど素敵か、その人のことがどれほど大好きかっていうのをとにかく言いたかったの。その人のことを一生分褒めたかった。うん。

──ものすごく真っすぐですね。

うふふ(笑)。あんまり褒められてこなかった人だって言ってたから。「じゃあ、あなたのアルバム作ります!」ってその人に伝えて作り始めたんです(笑)。で、自分がそうやって音楽を作っていくっていう行為自体が、今の自分にとってすごく伝えたいメッセージだったし、こういうふうに生きていきたいっていう意思表示でもあったし。世の中がこういうふうになればいいなって思ったんですよね。

──それはどんな世の中?

なんかこう、今の世の中は「自分を愛せない人は他人のことも愛せないんだ」っていう、ちょっとねじ曲がった言葉であふれてて。本屋に行ってもそんな本ばっかり並んでるし。みんな自分のことばっかり考えて世の中が回ってる。で、それがあたかも真理のように言われてるのはなんでだろうと思ったら、それが経済を回してるからだってことに気付いたの。

──みんなが自分を愛することで経済が回っていく。

そう、自分へのご褒美とか自分磨きだとか、そういうものは全部経済の仕組みのひとつなんだなあって思って。私はそれに苦しめられてきたし、自分のことを好きになれない人っていっぱいいるのに、そういう人たちが「あなたは他者のことを正しく愛せない」なんて言われたらもうどうすればいいんだって。

──美雨さんは自分のことを好きじゃない?

うん、ずっとそう思ってたし、今も自分のことは相変わらず好きじゃないけど、それでも今はその人に対して「あなたのことはこんなに好きだよ」って言える。この気持ちが嘘だなんて誰にも言われたくない(笑)。こんな自分でも人のことを愛せてるよって、それがまずひとつ言いたかったこと。

好きな人に全身で向かっていくことが自分の形

──確かにこのアルバムは「あなたのことが好き」という気持ちだけが詰まってて、自分のことはまるでほったらかしなんですよね。

そうなの(笑)。自分のことは本当にどうでもよくて。どこに住もうがどんな環境であろうが別にまあ猫さえ連れていければなんでもいいやって思ってるから。大切なことは本当に、その人のことを好きな気持ちだけだって思ってるんです。

──そして「I’m yours!」って言い切ってしまう姿勢もかなり大胆ですよね。現代は「主体性を持った一個人として生きることが正しい」とされてる時代だと思うんですが。

だからこういう考え方は依存だって。依存は良くないって言われるわけですよ。でもそれはね、自分を主体に考えて、自分がその人に守られたいとか愛されたいってなった瞬間に依存になるわけであって。なんかそうやって好きな人に全身で向かっていくことが自分を作ってたりもして。だから自分がないわけじゃない。これが私だよって言える。

──その人を好きな気持ちがなくなったら自分の形が変わってしまう?

そう。その人のデコボコした輪郭を触って、その人のことを確かめていくことによって、自分の手の形もわかるわけでしょ。自分ひとりでいたって自分のことなんてわかんなくて、人に「あなたってこうだよ」って教えてもらうことのほうが真実だと思うし。その人に対しても「あなたってこんなふうに素敵だよ」ってことを伝えてそれがその人の形になっていく。そうやっていけたらいいなって思う。

──前作「HATSUKOI」のときのインタビュー覚えてます? あのときも愛について歌ってはいたけど、家族愛や人類愛みたいな感覚が強くて「愛」っていう言葉はうまく使えない、それを言ったら終わっちゃう、って言ってましたよね(笑)。

あはは(笑)。1年でずいぶん変わった。今回言いまくってますからね。テーマとしてつながってはいるんだけど、なんかこう、一気に動物化したっていうか、なんか剥き出しになった感じ。

──1年前は「愛っていっても広い意味での愛ですよ」みたいなことを言ってたのが、もうそれどころじゃなくなってしまって。このアルバムでは特定の“あなた”に向けた愛だけを歌っていて、それがすごく刺さるんですよね。

うん、でもほんとにそういうことだと思う(笑)。

ニューアルバム「I'm Yours!」/ 2012年8月8日発売 ヤマハミュージックコミュニケーションズ

収録曲
  1. Eyes(Opening)
  2. あなたと私の間にあるもの全て愛と呼ぶ
  3. 甘い匂い
  4. Go
  5. ラブトラベル
  6. With you,the world is beautiful
  7. More Speed,More Light.
  8. I’m yours
  9. ダンスダンスダンス
  10. 雨とやさしい矢
DVD収録内容
  • I'm yours(PV)
  • アルバムダイジェスト
坂本美雨(さかもとみう)

1980年生まれの女性シンガー。1997年1月に「Ryuichi Sakamoto featuring Sister M」名義でデビューし、1998年から本名での音楽活動を開始する。透明感あふれる歌声が高い支持を集め、1999年発表のシングル「鉄道員」は映画「鉄道員(ぽっぽや)」の主題歌に起用された。2010年からはニューヨーク在住のプロデューサー「Shanghai Restoration Project」とともにエレクトロニカポップ路線のサウンドを追求し、同年5月にアルバム「PHANTOM girl」、2011年5月に「HATSUKOI」を発表。最新アルバム「I'm yours!」を2012年8月にリリースした。現在はおおはた雄一とのユニット「おお雨」としても活動中。父は坂本龍一、母は矢野顕子。