ナタリー PowerPush - Base Ball Bear
結成10周年を経て辿り着いた新境地 ニューシングル「yoakemae」制作秘話
3.5thアルバムでは4thアルバム誕生過程を披露
──武道館以降、いよいよ根本的な原因と向き合わなければいけないと思った?
小出 そうなんです。それでディレクターに武道館が終わってから、自分の気持ちを率直に伝えて。じゃあ、レーベルや事務所の人たちが僕の伝えたいことをリスナーに伝えるために、宣伝なりイメージ戦略なりで努力をするのかという話になって。でも、そこでディレクターから「コイちゃんが言っていることはそこじゃないでしょ?」って言われて。「ホントは曲から読み取ってもらいたいと思っているのに、それが伝わってないということは、コイちゃんの伝え方自体に問題があるんじゃないか」って言われたんです。確かにそういうところをグレーなままにしてきたなって気付いて。
──具体的にはどういう部分を?
小出 例えば、僕が曲を作りました、メンバー全員で演奏しましたと。演奏している中でもギターやベースやドラムのテイクをどうするかとか、どこかである程度納得したら「いいんじゃない?」ってなるところがあって。さらに僕らのチームのプロデューサーやエンジニアがすごくできる人たちだから、彼らにお任せしている部分があった。そういう自分の神経が行き届いていない部分、自分が責任を負っていない部分、自分が知らないままで進んでいた部分、自分がないがしろにしていた部分──総じて「こういうものでしょ」って甘えていた部分ですよね。その累積が、満たされない気持ちを生んでいたんだなと思って。それで、曲を作って、録って、仕上げて、出すという流れとしっかり向き合おうと思ったんです。自分たちが伝えたいことを伝える、その伝わり方を見ることを最初から最後まで責任を持って自分でやらないとダメだなと思った。それで、思いついたのが3.5thを作るということだったんですね。要はあそこでやったのは、公開プリプロなんです。
──ああ、まさに。4thアルバムが生まれる過程をリスナーに聴かせるという。
小出 うん。今、自分たちがどういうことをやろうと思っているのかをしっかり伝えていく。それは別に手の内を全部さらすっていうことではなくて、ちゃんとリスナーにとって面白いものとして、かつ最終的に4thアルバムにつながっていくという伝え方をしようと。リリース直前に雑誌に出るくらいで、大規模なプロモーションをするでもなく、基本的にはTwitterやYouTubeを使って自分たちの手で作品を広げるということをして。そうやって自分たちで作品にまつわるすべての責任を負うってなると、1音1音に対する責任感がやっぱり違うんです。3.5thからはギターのチューニングが悪いだけで、3、4回録り直しするようになったし。全部自分たちでやるためにわざとリハーサルスタジオでレコーディングもしたし。普通のレコーディングスタジオだと、僕の理解力だと手が回らなくなっちゃうから。
──つまり、完全なるセルフプロデュースですよね。3.5thのサウンドが、あそこまで振り幅の広いものになったのも、そういう流れの中で必然だったんでしょうね。根底あるいは行間には流れている音なんだけど、リスナーが気付いてないところも聴かせるというか。
小出 そう、Base Ball Bearを構成する要素として根底にはこういう音が鳴っているという、その根底の部分をあえて曲にするというのが3.5thだったんです。
レコーディング中にめちゃめちゃ怒りましたから!
──小出くんの葛藤を3人はどう見てたんですか?
堀ノ内大介(Dr) そういうことを細かくは言わないからね。
関根史織(B) うん。
小出 メンバーには「今俺、悩んでんだ」とか言わないんですよね。
堀之内 ただ、制作のときに変わったんだなってことは伝わってきますよね。特に3.5thから今回のシングルに至るまでは。ドラムに対する愛情とかも感じられたり。
小出 愛情っていうか、こだわりだよ。
堀之内 これまでに比べて、言ってくる内容が全然違うんですよね。コイちゃんの中で明確な音のイメージができているんだなっていうことが伝わってきて。その変化は大きいですね。
関根 私は、個人的にも3.5thからセルフレコーディングしていく上で困難なことがたくさんあって。コーラスラインとか前は「ここはコードとぶつかってるから、こういう避け方をするといいよ」って周りが教えてくれたりしたんですけど、全部自分で考えるとなるとどうしていいかわからない部分がたくさんあって。自分たちでものを作ることの難しさ、大切さを感じて。個人的にはこれがもし受け入れられなくてもいいんじゃないかと思ったんですよね。バンドの意志が詰まっているものを作るべきだと思ったから。
小出 あと、3.5thのときは湯浅が大変でしたね。
湯浅将平(G) ホント全部大変でした。
堀之内 全部大変って(笑)。
──どういう部分で?
湯浅 僕のリフやフレーズがわりとボーカルとぶつかりやすいんで、そこを細かく調整したり。レコーディングも3シーズンに分けてやって、そのシーズンごとに──。
小出 俺、めちゃくちゃ怒りましたからね! しかも朝6時くらいに(笑)。何時間もかけて「こういうふうに録ってくれ」って言ってるんですけど、湯浅はそれが理解できなくて。「自分で発見しようとしないから、今理解できないんだよ!」って。
──小出君は3.5thにいくまでに大きな気付きがあって、その熱量をメンバーと共有しなきゃいけないという使命もあったんじゃないですか?
小出 そうですね。僕自身は10代から曲作りを始めて、ずっと自分の音楽を更新してきたつもりなんですね。作品を作るたびにやりたい音楽がどんどん明確になって、どんどんフォーカスが絞られていくというのは、僕が常に何かを発見しようと心がけているからであって。その発見の積み重ねで1歩ずつ進んできて。それはソングライティングだけじゃなくて、ギターのプレイやボーカルに関してもそうで。そういう小さな積み重ねを経て、自分でディレクションしながらレコーディングすることができるようになったのに「なんでおまえは発見の積み重ねを怠っているんだよ、おい!」ってすげえ爆発して。すっごい狭いスタジオで、朝に(笑)。
──湯浅くんは小出君のその爆発を受け止めて、得るものは大きかったですか。
湯浅 (小声で)それはもちろんそうですね。
小出 え!?
一同 (笑)。
小出 ホントか、湯浅?
湯浅 うん(笑)。
Base Ball Bear(べーすぼーるべあー)
2001年、同じ高校に通っていた4人のメンバーにより、学園祭に出演するために結成。高校在学中からライブを行い、2003年11月にインディーズで初のミニアルバム「夕方ジェネレーション」を発表。その後も楽曲制作、ライブと精力的な活動を続け、2006年にメジャーデビュー。「GIRL FRIEND」「ELECTRIC SUMMER」「STAND BY ME」などシングルを連発し、同年11月にアルバム「C」をリリースした。2007年には「抱きしめたい」「ドラマチック」「真夏の条件」「愛してる」といったシングルや、アルバム「十七歳」を立て続けに発表。その後も順調にリリースを重ね、2010年1月には初の日本武道館単独公演を開催する。2010年9月、3.5thアルバムと位置付けたコンセプトアルバム「CYPRESS GIRLS」「DETECTIVE BOYS」を発表。