コミックナタリー Power Push - 末次由紀「ちはやふる」

A級かるた選手の編集担当が語る“末次由紀の熱量が生まれる場所”

ネーム見て号泣、下絵見て号泣、入稿するときに号泣

「ちはやふる」 26巻より。太一が千早に重要な告白をするシーンの一部。

──「ちはやふる」の展開からあざとさや強引さを感じないのは、本当に丁寧に考え抜いて、登場キャラたちの思いを積み重ねているからなんでしょうね。

そう思います。26巻で太一が千早に、重要な告白をする一連の流れがあるんですが、ここには26巻分の伏線がちりばめられていて……。新のメガネを隠した子供時代のエピソードはもちろんですが、このシーンに桜の花びらが舞っていることと太一の誕生日の関係性とか、菫ちゃんがかるたに本気になった際に爪を切るエピソードがありましたが、そこを踏まえての千早の爪への言及とか、ほかにもいろいろ……。本当に“チェックメイト”された思いでした。

──読み返すごとに発見がありますよね。それに思わず感動して泣いてしまうシーンが多いことも「ちはやふる」の特徴だと思います。最近だと30巻に収録された、猪熊さんが女の子を出産したときの桜沢先生とのエピソードに涙した読者は多いのではないでしょうか。

「ちはやふる」 30巻より。冨澤氏が読むたびに号泣するシーンの一部。

わかります。私はこのシーンのネームを見て号泣、下絵を見て号泣、入稿するときに号泣で、雑誌が上がってきてまた号泣、刷り出し見本を作るときも号泣してました(笑)。

──あはは(笑)。でも本当に心動かされるシーンです。こういったエピソードを、末次先生はどうやって生み出すんでしょうか。

末次さんは、すごく優しい眼差しを持った方です。例えば私にとってかるたは競技だったんですが、百人一首という歌だと思っている人もいる。そういう、誰かにとって大事なものをすくい取って、肯定して光を当ててくれる。それから競技かるたの取材ではたくさんの人に話を聞くんですが、次の大会で会っても取材した人の顔をみんな覚えているんです。この方は本当に人とのつながりを大切にするんだなって。

──取材はどちらに行かれるんですか?

近江神宮の前に集まる瑞沢高校かるた部メンバー。

夏の高校選手権や冬の名人戦・クイーン戦の舞台になっている近江神宮には20回くらい行ってますね。あとは文京区にあるかるた記念大塚会館。そこは試合会場が狭くて観客が中に入れず、外から窓越しに観戦するんです。かるたの大会って試合の合間に休憩がないんですけど、つまり観客にも休憩がない。しかも動くと選手の視界の邪魔になってしまうので微動だにせず、10月、11月の寒空の下、末次さんがずっと建物の外に立ってかるたを見ているんです。

──そういうとき、末次先生はどんなことを考えているんでしょうね。

末次さんはよく涙ぐんでますね。戦っている人たちを見て、ここまでにこういう練習があったんだな、こういう親御さんの支えがあったんだな、ここに並べずに補欠で応援している人がいるんだなということ、実際に試合をしている選手だけじゃなく、支える人たちのことに思いが及ぶ。視野が、心が広いんだと思います。

──なるほど。

それに例えば試合で泣いた子の気持ちも、作家はちゃんと知らなきゃいけない。泣いてる女子高生の隣で、そっと、涙ぐみながら話聞いてたりしていて。そういう今目の前にいる人たちの心の揺れとか、こみ上げるものを自分のことのように思って、見つめる視点というのが、作家としてすごく優れているんだろうなと。

「ちはやふる」は今、富士登山に例えると7合目

──取材はいつ頃からスタートしたんでしょう? 「ちはやふる」は2007年の年末に連載開始しましたが。

2007年の春には、受験生がよく使う単語カードに末次さんが百人一首を書いていたのを覚えています。

「ちはやふる」 21巻より。千早と太一が所属する府中白波会を創設した原田先生。

──「ちはやふる」でも、かるた部顧問の女帝・宮内先生がそれを使って暗記していましたね。

ええ。初めての取材は府中の分倍河原で、原田先生のモデルになった府中白妙会の前田秀彦先生のところに末次さんをお連れしました。

──(画像検索して)原田先生と前田先生、お顔もそっくりですね!

そうなんです(笑)。熱量がすごくある方で、原田先生よりもっと濃いですよ! 53歳で準名人になっていらっしゃいます。

──原田先生より濃い人がいらっしゃるんですね(笑)。末次先生は小説版のあとがきで、「『ちはやふる』を描き始めた時にもう最後までの物語の大筋が見えていた」とおっしゃっています。今は全体のどのあたりまで進んだのでしょうか。

最新話では千早たちは高校3年生です。全国高校かるた選手権の団体戦編が終盤なので、富士登山に例えると7合目まで来ているのかな、という気がします。時系列で言えばですが。ただその先に、クイーンを目指す千早が夢の舞台に行くまでの大きな山があると考えると、ここからが末次さんが一番描きたいところではないかなと思いますね。

──いよいよ高校3年の団体戦編が終わり、個人戦に。千早は高校かるた選手権の個人戦は苦い思いをたくさんしているので、どんな展開になるか読者もドキドキだと思います。

末次さんは打ち合わせのとき、応援してくださっている読者のことを常に気にされています。「ここまで支えてくださってきた読者さんを私はちゃんと最後までお連れする責任があるから、みなさんの期待を裏切らないように」とよくおっしゃってるんですけど。そういう決意を感じているので、目が離せない展開になると思いますし、7合目から登り切るまでが一番楽しみなのかもしれないなと。

「ちはやふる」 1巻の冒頭シーン。

──やはりゴールは、千早のクイーン戦でしょうか。1巻の最初のシーンでしたね。

1巻の冒頭にあるということは、この物語の始まりであり、目指す場所であり。そこを期待して読んでくださいという末次さんからの最初のメッセージだと思います。

──もうそこから、理詰めの、丁寧なストーリー作りが始まっているんですね。

ええ、ネームひとつ取ってみても、ご自分の中で研ぎ澄まし切ったものを提出してくださいます。「とりあえず投げてみよう」というネームをもらったことがないんですよ。どうやって読者に楽しんでもらうかを冷静に、シビアに考え続けていらっしゃいますね。

末次由紀「ちはやふる」31巻 / 2016年3月11日発売 / 463円 / 講談社
末次由紀「ちはやふる」31巻

全国高等学校かるた選手権大会準決勝。昨年の雪辱を誓う富士崎を相手に、千早たち瑞沢高校かるた部は連覇の夢を追いかける。しかし勝利の女神に願いはわずかに届かず……。そんな中で残された、3位決定戦というチャンス。大好きなかるたを、もう1度みんなとできる──。思いの先に現われたのは、新率いる藤岡東だった。高校最後の団体戦最終戦。運命の対戦カードは、千早と新との直接対決を導き──!?

映画「ちはやふる-上の句-」3月19日より全国公開
映画「ちはやふる-下の句-」4月29日より全国公開

映画「ちはやふる」

小学生の千早は、幼なじみの太一、新と一緒にいつも競技かるたで遊んでいた。しかし彼女にかるたを教えてくれた新が、家庭の事情で故郷の福井県へ戻り、離ればなれになってしまう。「新にもう一度会って、強くなったと言われたい」と願い、1人でかるたを続けてきた千早は、高校で再会した太一とともに競技かるた部を創設。初心者も含めなんとか集まった部員5人で、弱小チームながら全国大会を目指すことに。新に会いたい一心でかるたに情熱を燃やす千早と、その気持ちを知りながら千早に思いを寄せる太一。そして離れて過ごす新は、1人ある悩みを抱えていて……。

スタッフ

原作:末次由紀(講談社「BE・LOVE」にて連載中)
監督・脚本:小泉徳宏
主題歌:Perfume「FLASH」

キャスト

綾瀬千早:広瀬すず
真島太一:野村周平
綿谷新:真剣佑
大江奏:上白石萌音
西田優征:矢本悠馬
駒野勉:森永悠希
須藤暁人:清水尋也
木梨浩:坂口涼太郎
若宮詩暢:松岡茉優
宮内妙子:松田美由紀
原田秀雄:國村隼

末次由紀(スエツグユキ)

福岡県生まれ。1992年「太陽のロマンス」で第14回なかよし新人まんが賞佳作を受賞、同作品がなかよし増刊(講談社)に掲載されデビュー。2007年からBE・LOVE(講談社)で「ちはやふる」の連載を開始。2009年に同作で第2回マンガ大賞2009を受賞するとともに「このマンガがすごい!2010」(宝島社)オンナ編で第1位となる。2011年「ちはやふる」で第35回講談社漫画賞少女部門を受賞。

冨澤絵美(トミザワエミ)

2002年、講談社に入社。同年よりBE・LOVE編集部に配属される。これまでの主な担当作品に「ちはやふる」「昭和元禄落語心中」「地上はポケットの中の庭」「えへん、龍之介。」「アトリエ777」など。