東京文化会館が、各ジャンルのアーティストと協働し、青少年の成長段階に合わせた舞台作品を制作しているシアター・デビュー・プログラム。その一環として、2025年10月に「彼女のアリア」が上演される。森絵都原作の「彼女のアリア」は、J.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」に乗せて、不眠症に悩む中学3年生の“ぼく”と、旧校舎でピアノを弾いていた女子生徒・藤谷の甘酸っぱい交流を描いた物語。同作が、文学座・生田みゆきの演出、根本卓也の作編曲、鎌田エリカの脚本で、“文学×音楽×コンテンポラリーダンス×演劇”のコラボレーションにより立ち上げられる。
ステージナタリーでは生田と、振付を手がけ、ダンサーとして出演もする中村蓉の対談を実施。さまざまな要素が絡み合う本作の見どころや創作の過程を、2人が和やかに語った。
取材・文 / 大滝知里撮影 / 藤記美帆
人生で最もセンシティブな時期と音楽が共鳴
──「彼女のアリア」は、森絵都さんがクラシック音楽をテーマに執筆された短編集「アーモンド入りチョコレートのワルツ」の中の1編です。不眠に悩む“ぼく”が、突拍子もないエピソードの数々を話す藤谷と出会い、変化していく様子が描かれます。原作を初めて読んだとき、どのような印象を受けましたか?
生田みゆき 「彼女のアリア」だけでなく、この短編集に収録された3作は、青春期の主人公たちの姿をさまざまな音楽と絡めて描いていて、どれも面白いんです。爽やかな印象を受けるだけでなく、その年代の潔癖さ、鋭さをも感じさせるというか。私は、音楽は生まれてから死ぬときまで命に密着している、いわば“命と並走できるエンタテインメント”だと思っているのですが、「彼女のアリア」では、人生の中でも最もセンシティブな時期と音楽が共鳴していて、大人になるとなかなか感じられないような、細やかで素敵な感情が詰まっています。タイトルの“アリア”の比喩でもある藤谷のうそが、物語の中でブワッと広がっていく感覚が視覚化できるといいなと思っています。できそうですよね?
中村蓉 はい。今、相槌を打ちながらいくちゃん(生田)の話を聞いていましたけど、すみません、実はまだ原作を読んでいなくて(笑)。でも、台本を読んで感じたのは、藤谷が繰り広げる妄想に、プリミティブな“創作の源”があるということ。彼女が妄想力を発揮してしまう背景には、悲しさや寂しさがあって、例えば「赤毛のアン」のように、苦しい境遇にいる自分を守るためのものなんです。そこに人間らしさを感じました。森絵都さんの作品は、「カラフル」を学生の頃に読んで、登場人物たちのみずみずしさをポーンと受け取った記憶があります。森さんの世界観は好きなので、「彼女のアリア」も早く読もうと思います。
生田 「アーモンド入りチョコレートのワルツ」には、シューマンの「子供の情景」が絡む物語もあって、それもいいですよ。「青春って大変だよね」って思う。
中村 自分が十代だった当時は「大変だった」という意識はなかったけど、繊細さから来る藤谷の痛々しさは、自分にも通じる気がしますね。今も、舞台をやっていて、「痛々しさと素晴らしさは紙一重なのでは?」と思うことがあります。舞台を作るのって時間がかかるし、効率も悪いから、「がんばることはダサい」と考えるスマートな人には向いていないんです。でも、その不器用な努力を積み上げていくと、あるときオセロのように、ひっくり返ってすべてが“カッコいい”に変わる瞬間がある。私はいつもそれに感動するので、「痛々しいことは悪ではない」と青少年に伝えたいです。
少女の妄想シーンこそ、クロスジャンルの生かしどころ
──原作と今回の台本を読み比べると、舞台版では藤谷の妄想がとても膨らんでいるような印象を受けました。生田さんは、脚本の鎌田エリカさんとは、理性的な変人たちvol.2「オロイカソング」(参照:“女性であることで直面する問題”と真摯に向き合う「オロイカソング」幕開け)以来2度目のタッグとなりますが、脚本についてどのようなことをリクエストされましたか?
生田 鎌田さんとは、割と言いたいことを言い合える関係性で。この作品は基本的に二人芝居なので、バリエーションをどう作っていくかが重要になると考えていました。彼女からは最初、「すべてを2人の対話で展開したい」と言われたのですが、そうすると演出面でやれることが限られてしまう。そこで、原作にあるト書きの部分、“僕”の一人語りを脚本に生かしてもらうことにしました。また、今回の企画ではクロスジャンルが大事ですから、音楽、演劇、ダンスが活躍してもらう部分といったら、藤谷の妄想シーンしかないでしょう!と(笑)。
中村 確かに、今回の企画の特色を発揮するならそこですよね。
生田 藤谷が背負ってしまっている<ストレス>から解き放たれる妄想シーンを、アクティブに見せたいなと。実際、ダンサーの身体表現が入ると、台本のセリフ以上に広がる部分があるし、そこに音楽が加わるとさらに要素が増える。演出家として、盛り盛りの要素をいかに整理し、かつ荒唐無稽に作れるか。そこが盛り上がれば盛り上がるほど、ラストに藤谷が妄想ではなく自分のことを語る場面をより際立たせることができるんじゃないかと思っています。
──一方で、思春期の悶々とした、言葉にならない思いというのは、身体表現での見せどころかと思います。今回はダンスをどのように盛り込もうと考えていますか?
中村 プレ稽古の3日目なのですが(編集注:取材は8月下旬に行われた)、小説をもとにした作品の場合、文章を読むテンポで状況の変化を見せられるのは、身体表現ならではだと感じています。例えば、数秒前まで人物Aだった人が、一瞬で人物Bになることも、ダンスなら着替えやメイクなしに自在に表現できる。また、思春期の悶々とした様子を描くシーンでは、脳内にいる小人が、ああだこうだ言ってくる様子を具現化できたらと思っています。大人になるとだんだんと聞き分けが良くなっていきますが、学生の頃って、脳内でたくさんの人がしゃべっているような感覚がありませんでしたか?
生田 どうだったかなあ。
中村 私はあって(笑)。なので、そういう“雑多感”をダンスで表現したいなと思っています。あとは、“僕”の“眠れない夜にさまよう感覚”という浮遊感を、シャガールの絵画のように抽象的に創ったりしたい。舞台の場合、登場人物の心情を語るダンス、場面転換をするためのダンスなどがありますが、今回は、変化を見せる身体、具現化する身体、抽象性を語る身体といった、コンテンポラリーダンスの良さをフルでお見せできそうで、うれしいです。
受けの芝居がうまい久米俊輔と何でもできる北川理恵
──今回、藤谷を北川理恵さん、“僕”を久米俊輔さんが演じます。生田さんは文学座所属の久米さんの俳優としての魅力をどのようなところに感じていますか?
生田 私は、久米くんが研修生のときに一度だけご一緒しています。研修科の中でも若い年齢でしたが、当時から俳優としてとても器用な方でした。今回、中学3年生を演じられる俳優を探すことは1つのハードルでしたが、藤谷が積極的にストーリーを引っ張っていく役なのに対し、“僕”という受容していくタイプの役では、久米くんの人当たりの良さ、フレッシュさや透明感がぴったりなんじゃないかな、と。ひたすらしゃべり続ける藤谷を受け入れ、それで自分も楽しくなってしまう聞き上手な役は、久米くんによく似合います。また、東京文化会館の小ホールは、一般的な小劇場とは異なり、ステージが客席に向かって開いた形状なので、ある種の器用さが求められる。彼の良いところが生きる舞台になるんじゃないかなと思います。
中村 台本を読んで、「ふーん」と思ったシーンでも、稽古場で北川さんと久米さんのやり取りを聞くとキュンとしてしまうんですよね。“僕”の優しさが、久米さんの演技によって際立っている印象があります。久米さんのダンスに関しては、北川さんもそうですが、思い切りが良い。藤谷が両親のケンカの様子を関ヶ原の戦いにたとえたときには、一瞬で武将になり、「ヤアー!」って1人で戦場を体現されていて(笑)。何のてらいもなくやってのける姿にしびれました。
生田 そうだった(笑)。北川さんは、こまつ座「人間合格」で三味線を弾いていたのですが、それがもう素晴らしくて! 三味線を弾きながら歌って踊って、誰よりも器用にすべてをこなしていて、いつかご一緒したいと思っていました。今回は「彼女のアリア」というタイトルではありますが、中学生の役ですし、オペラ歌手よりも地声に近い歌声で歌える俳優が合うと感じていたので、ミュージカルにも出演されている北川さんに声をかけさせていただきました。
中村 北川さんって、いまだに何者かよくわからないんです。全部できちゃうから。ダンサーだったらダンスに、歌手だったら声に、役者だったらセリフ回しに頼るとか、誰しもどこかに自分の強みの比重を置く気がするんですが、北川さんのグラフはどれも均等で、凹んでるところがないんです。身体もとても身軽で、地面にスンと投げ出すことができるタイプで、ふわっとどこにでも自分の居場所を見つけられる人です。久米さん、北川さん、そしてダンサーとしてさまざまなアイデアを投げてくれる野口卓磨さん、長谷川暢さん、皆さん気持ちの良い方ばかりです。
音楽と物語をきちんと拮抗させたい
──今回は、東京文化会館による青少年向けのシリーズで、文学と作曲家を掛け合わせた作品の第1弾とうたわれています。お二人は演劇・ダンスだけでなくオペラ作品にも関わられていますが、文学とクラシック音楽の個性が重なり合う面白さを、どのようなところに感じますか?
生田 原作がすでに文学×音楽の仕立てですが、私は、誰もが知る名曲を作品に当てているのが森さんのすごさだと思っています。楽曲自体に個性や輝きがあるのに、そこに自分の物語を載せ、音楽と物語をきちんと拮抗させている。その技量に感動しました。今回、演劇が文学を担っているとすれば、そこに音楽をどう存在させるかが大事。普段の演劇の現場では、物語を優先してしまいがちですが、物語だけが大きく存在するのは、森さんが原作でやりたかったことではないと思いますし、物語の中で具体的な曲名が示されているということは、音楽をBGMとして考えていないということ。原作に則って、うまくバランスを取れるようにしたいです。
中村 私は昨年、フーガという音楽形式を題材にした作品を作ったんです(参照:音楽形式・フーガをダンス作品に、国内ダンス留学@神戸10期×中村蓉「フーーーーーーガ!」)。当時はフーガがあまり好きではなかったんですが、複数の主題を繰り返すフーガのシステムは面白いなと思っていて。そのフーガを極めた人物がバッハ。私よりいくちゃんのほうが詳しいと思うのですが(編集注:生田は東京藝術大学大学院 音楽研究科卒)、バッハは周囲から「やり方が古い」と言われながらも1つの技法を確立した人で、それを知って、私の音楽に対するイメージが変わりました。例えば、川の流れや鳥のさえずりをもとに音楽を作るのは、芸術のあり方として理解できるんです。でも、バッハは楽譜にシステムを込めようとした。そこに大きなメッセージがあると思っていて。パズルによって生み出された一見機械的な世界(音楽)に、人は自分のストーリーを重ねたくなると思うんです。その素敵なバージョンが今回の「彼女のアリア」なんじゃないかなと。昨夕の音楽について考えていくと、バッハの懐の深さや人間の共通点や普遍性に気付かされる瞬間があって、コラボレーションの楽しさを感じます。
──お互いに「いくちゃん」「ヨウちゃん」と呼び合っていて、創作現場の風通しの良さを感じさせますが、出演者を交え、チームの技術とアイデアを集結させて立ち上げる「彼女のアリア」を、観客にどのように楽しんでほしいですか?
生田 私は演劇もオペラも演出しますが、比重としては演劇のほうが多く、普段私の作品を観に来てくださる方からすると、目新しい部分がたくさんある作品になるんじゃないかなと思います。音楽は私にとっては大事なエレメントですが、実は大学時代にダンス部に入っていて。
中村 なんてこった!(笑)
生田 ダンスもすごく好きなので、大好きなものがたくさんそろっている現場です。音楽やダンスは、“具体的なことを具体的に作る”というところから解き放ってくれます。その余白が今は居心地いいので、いろいろな表現方法がぶつかって生まれる“あわい”をぜひ楽しんでいただきたいです。
中村 私はこの作品は、“分野を超越した大人の本気の遊び”という感じがしていて(笑)。今は多様性の時代で、いろいろなことを認め合う反面、さまざまなことが細分化されている気がしています。細分化されるだけではダメで、それらをかき集めて何を作るかというところまで考えられないと、本当にいい世界は訪れない。自分が持っているもの、相手が持っているもの、今回だったら音楽やダンス、物語で、大人たちが高次元の遊びをすることによって、子供も大人も、おじいちゃんもおばあちゃんも楽しめる舞台が出来上がるんじゃないかなと思います。ただ、どんなに遊んでも「彼女のアリア」という原点には帰って来る、そんな気持ちよさを感じていただければと思います。
プロフィール
生田みゆき(イクタミユキ)
大阪府生まれ。東京藝術大学大学院 音楽研究科修士課程修了。2011年に文学座附属演劇研究所に入所し、2016年に座員に昇格。2017年に文学座アトリエの会「鳩に水をやる」で文学座初演出。演劇ユニット・理性的な変人たちのメンバー。近年の演出作品に「建築家とアッシリア皇帝」「海戦2023」「これが戦争だ」「燃える花嫁」「不可能の限りにおいて」など。第31回読売演劇大賞優秀演出家賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2025年9・10月に名取事務所公演「砂漠のノーマ・ジーン」(演出)が控える。
生田みゆき (@miyuki_ikuta) | Instagram
中村蓉(ナカムラヨウ)
1988年、東京都生まれ。ダンサー、振付家。早稲田大学モダンダンスクラブにてコンテンポラリーダンスを始める。2014年にヨウ+を旗揚げ。国際芸術祭「あいち2022」や「シビウ国際演劇祭」などで作品を発表する。主な作品に、東京二期会ニューウェーブ・オペラ劇場「セルセ」(演出・振付)、「デイダミーア」(演出・振付)など。2013年横浜ダンスコレクションEXにて審査員賞・シビウ国際演劇祭賞、2016年第5回エルスール財団コンテンポラリーダンス部門新人賞など受賞歴多数。2026年1月に「BLINK 双面改瞬間真似」(振付・構成・演出・出演)が控える。