3世代のゲイの作家たちがつなぐ、3世代のゲイ男性たちの“今”「インヘリタンス-継承-」そしてキャストの思い

2018年にロンドンで初演された「インヘリタンス-継承-」は、トニー賞ベストプレイ賞を受賞したマシュー・ロペスの代表作の1つ。2015年から2018年のアメリカ・ニューヨークを舞台に、六十代、三十代、二十代の3世代にわたるゲイの人々の物語を描き出す。本作が、熊林弘高の演出により、日本初演を迎える。

ステージナタリーでは、ジャーナリスト・作家・翻訳家でLGBTQ+の現状に詳しい北丸雄二に寄稿を依頼。本作の背景に流れている状況や、前後編合わせて上演時間6時間半に及ぶ本作を観る際のヒントを教えてもらった。また特集の後半ではキャストの福士誠治、田中俊介、新原泰佑、柾木玲弥、篠井英介、山路和弘、麻実れいが作品への思いを語っている。

文(P1) / 北丸雄二

「インヘリタンス-継承-」STORY

物語の軸となるのは、エリックと劇作家のトビー、不動産王のヘンリーとウォルターという2組のカップル。ウォルターは「田舎の家をエリックに託す」と遺言して病死する。一方、トビーの自伝的小説がブロードウェイで上演されることになる。その主役に抜擢された青年アダムにトビーは心を奪われるもフられ、彼にそっくりのレオを恋人にする。またエリックとヘンリーの距離が近づき、エリックはウォルターに託された田舎の家が、エイズで死期が近い男たちの“看取りの家”になっていることを知った。やがてエリックとヘンリーは結婚。結婚式にトビーと共にやってきたレオを見てヘンリーは顔色を変える。その後トビーは失踪、HIVに感染して路頭に迷うレオは田舎の家にいざなわれる。するとそこには男たちに寄り添い続けたマーガレットがいて、そこで起きたことを語り始めたのだった。

北丸雄二がつづる“愛と痛みと癒しの継承”「インヘリタンス」

私たちの見逃してきた「忘れ物」の物語

「で、基本ですね、脚はカーテンから出さないでもらいたいっていうのと……ウォルト・ホイットマンって言う辺りからもう一度~」──都内の稽古場に演出・熊林弘高の柔らかい声が響く。役者たちには全て「さん」付けだ。柔和な指示だからこそか、役者たちは逆に一言一言を噛み締めながら真摯に対応する。そう、「インヘリタンス-継承-」は優しさと厳しさの物語、痛みと癒しの抒情詩だ。

原作のマシュー・ロペスは、前・後篇計6時間半に及ぶこの大作を書き上げるに巨匠E.M.フォースターの名作「ハワーズ・エンド」にインスパイアされた。「ウエストサイド・ストーリー」が「ロミオとジュリエット」だったように。「レント」が「ラ・ボエーム」だったように。
「いっそのこと、ヘレンの手紙から始めよう、姉宛ての」というあの名作の書き出しは、この作品では「いっそのことトビーの留守電から始めよう」に置き換わる──「彼氏宛ての」。
プエルトリコ移民の教師の父を持つロペスが「ハワーズ・エンド」に出遭ったのは16歳の時。やはり教師の母親が故郷のフロリダ・パナマシティで1992年制作の映画に連れて行ってくれた。アンソニー・ホプキンズとエマ・トンプソンの、オスカー3部門受賞のあの映画。監督はジェイムズ・アイヴォリー。「モーリス」に続くフォースター原作の監督作品だ。
「最初はただ、遺された邸宅とその相続(インヘリタンス)をめぐって言い争うエドワード朝の英国人3家族の話ぐらいにしか思わなかった。でもそこに全てがあった」──それを、25年後の彼は、遺された邸宅と3世代のゲイ男性たちをめぐる愛と痛みの継承(インヘリタンス)の話に書き換えた。ちょうど、フォースターからアイヴォリーへ、アイヴォリーからロペスへと、3世代のゲイの作家たちの思いがリレーしたものの投影のように。
「いま思い返すに、ぼくがそんなにフォースターに惹きつけられたのは、彼の中の『震え vibrations』のせいだったと思う。20世紀初めのクローゼットのゲイ男性の『震動』が、20世紀終わりのクローゼットのゲイ少年に語りかけたんだと思う」とロペスはNPR(米国公共ラジオ)のインタビューで答えている。
ただし、物語に死の不安を投げかけるのが「ハワーズ・エンド」では第一次世界大戦だったのに対し、2015年夏から18年春までのニューヨークを舞台とするこの芝居のゲイ男性たちにとっては、すでに過去のものだと思っていたエイズの長い影だ。

マシュー・ロペス(Photo by Matthew Brookes/Prime.)

マシュー・ロペス(Photo by Matthew Brookes/Prime.)

1977年生まれのロペスは、ロンドン、ニューヨークでの初演時点で、いま福士誠治が演じる主人公エリックとほぼ同世代だ。物語は、彼と彼のボーイフレンド、田中俊介演じるトビーの周囲で、60代、20代のゲイ男性を巻き込んで渦巻く──そして彼ら21世紀初めのゲイ男性たちの「震え」をセリフに表出する介添えとして、ロペスは100年を経てフォースターを劇中に甦らせるのだ。
「E(エドワード)・M(モーガン)・フォースター」のミドル・ネーム、「モーガン」で呼ばれるその霊的な人物は、60代のゲイ・カップルの片割れウォルターを演じる篠井英介が二役で務める。篠井ウォルターの36年来のパートナーが年収370億円もの不動産大富豪、山路和弘のヘンリー。彼はトランプの大統領選挙キャンペーンに巨額の寄付を行う共和党支持のゲイ。そう、2016年のあの大統領選挙で、民主党ヒラリー・クリントンに希望を託さなかった彼のようなゲイ男性はそうはいなかった。
つまりヘンリーはリベラル民主党の欺瞞を見透かす、富裕層経済リバタリアンの保守派ゲイだ。劇中、エリックの友人たちとエイズ治療薬の普及に関してただ1人製薬企業の利潤追求説を持ち出して対峙する。実際、あの時、私たちはニューヨークで、トランプをめぐって、共和党をめぐって、そして保守派の憎悪と敵意をめぐって、職場や学校や集会やホームパーティーでゲイやストレート入り混じって同じような侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論を行なっていた。あの年の感謝祭の家族の集まりは、全米各地で言い争いと罵り合いと、時には喧嘩と絶交と勘当の宣言の場になった。前年の2015年には、米国全体で同性婚が合法になった祝福の年だったというのに(実際、劇中には「結婚」が当然のものとして何度も出てくる)。
そんなヘンリーに対しても、しかしエリックはあくまでも優しい。福士は今作でも誠実でハンサムとしか言いようのない演技を貫く。芝居の最後に登場する(最後まで登場しない、と言った方がよいかもしれない)麻実れいのマーガレットが(これはロンドン版では映画「ハワーズ・エンド」にも出演したあの大女優ヴァネッサ・レッドグレイヴが演じた)、若き男娼レオに、彼の救い人たるそのエリックのことを尋ねる。

「どういう人なんだろうねえ?」
レオが答える。「親切。優しい。嘘がない」
マーガレットが応じる。「いいねえ、そういう人」
レオも言う。「あんまり知らない、ああいう人」
「たくさんいないからね。気持ちのいい日に来たもんだ」
「平和だね、ここ」

そう、「ここ」が「遺された邸宅」だ。物語はこの場所に向かって収斂していく。あらかじめそう決められていたかのように、あらかじめ癒されることを求めるかのように。
それは、「私の世代にゲイ男性などいなかった。いられたわけがない」と捨てゼリフを放ったヘンリーの時代に、エイズゆえにヘンリー自身が捨て、ウォルターに譲渡した場所だ。
前篇の最後で、私たちはその邸宅に遍在していた死の圧倒的な数に鳥肌とともに慄然とする。そして後篇の最後に、つまりこの芝居の最後の最後に放たれる、ウォルターからヘンリーへ向けたたった一言のセリフで、私たちは歴史の底から込み上げるすべての人間たちに向けた祈りに、涙にくれることになる。
その時、この芝居は芝居の舞台を静かに超えて、客席の私たちに、あるいは海を超えた別世界だったはずのこの日本に、3世代のゲイの作家たちと、3世代のゲイの登場人物たちとの魂が継承された証となる。

「インヘリタンス」ニューヨーク版戯曲

「インヘリタンス」ニューヨーク版戯曲

「インヘリタンス」ロンドン版戯曲

「インヘリタンス」ロンドン版戯曲

あの時代の混乱が、作品の中にも

この芝居が描く時間と空間は、私たち日本人の多くがずっと知らずに見過ごしてきたものだ。1年ほど前、ある大学生たちの企画したLGBTQ+をめぐる「日本社会の忘れ物」について講演をした。エイズを契機にした1980年代の世界の社会と文化の大変動についても話した。私の経験したその後のニューヨークでも、世界が政治、報道、裁判、テレビ、映画、小説、スポーツ、経済、そしてブロードウェイ等々を総動員してエイズと闘っていたのが知れた。その中から少数者たち、抑圧された者たちの人権状況が大きく変わっていった。その流れは女性たちの「MeToo」運動にも波及し、ひいては「Black Lives Matter(黒人の命だって大切だ)」運動にもつながった──「そんなこと、知りませんでした。学校で教わらなかったから」と大学生たちは言った。「中学や高校で教わったのは、どうすればHIV感染を防げるかという、そういう技術的なものだけ」
「あの時代の困難を知らなければこの芝居はできない」という依頼を受けて、日本版『インヘリタンス』の稽古場でも当時と現在のニューヨークのゲイ・コミュニティの話をした。1時間以上に及んだ話の後で、レオとアダムという、登場人物で最も若い20歳前後の2人を演じ分ける新原泰佑がレオの顔をしながら質問してきた。「この芝居の最後に登場する、癒しの場としてのシェルターみたいなものは、アメリカに実際にあったんですか?」
規模も設定も違うけれど、似たような場所はあちこちに造られた。大きな悲劇を前にして、人はとても優しくなれる。あの時代は、最初にとてつもない憎悪と敵意がやってきたが、最後は愛が勝った。
ただ、その愛は、継承してきたはずの愛は、いま再び今年のアメリカ大統領選挙を前に、震えている。その「震え」の正体が何なのかを、まずはこの芝居で目撃することだと思う。

ちなみにこの台本を書いたマシュー・ロペスは今作後、昨2023年8月にAmazon Prime Videoで配信された「赤と白とロイヤルブルー Red, White & Royal Blue」の脚本と監督を務めた。憎悪と敵意とは真逆の「愛」の強化を謳う同作は、米国大統領の息子と英国王室の王子の恋愛を描いて、配信当時世界で最も多く観られた映画の最速記録を作った。本作とは趣を全く異にするが、未見ならばこちらもどうぞ。

※初出時、本文に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。

プロフィール

北丸雄二(キタマルユウジ)

ジャーナリスト、作家、翻訳家。毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社後、1993年からニューヨーク支局長。1996年夏に退社し、ニューヨーク在住のまま執筆活動を続ける。在米25年の2018年に帰国、現在は東京を拠点にTBSラジオや文化放送、FM TOKYO、ネット番組「デモクラシー・タイムズ」や「ポリタスTV」などで国際ニュース解説や社会評論、文学・映画・演劇評論も多数行う。東京新聞に毎週金曜日「本音のコラム」連載中。近著「愛と差別と友情とLGBTQ+:言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体」で「紀伊國屋じんぶん大賞2022」に2位受賞。舞台では「ヘドウィグ&アングリー・インチ」、「アルターボーイズ」「ロック・オブ・エイジズ」「マーダー・フォー・トゥー」「ボーイ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー」「アナザー・カントリー」などの翻訳を手掛けた。

2024年2月2日更新