お笑いナタリー Power Push - スクールJCA
東京03が振り返る仲間たちとの交流 JCA24期生の合同ライブも紹介
プロダクション人力舎の芸人養成スクール、スクールJCAが第25期生(2016年度の生徒)を募集している。そこでこのたびお笑いナタリーでは東京03のインタビューを実施。スクールJCA卒業生の飯塚と豊本にJCA時代の思い出をたっぷり語ってもらったほか、JCA出身ではない角田にも若手時代のエピソードを聞いた。
特集の後半では、2015年12月に行われたライブ「スクールJCA24期生合同ライブ DIVE!&JUMP!!」の様子を、出演者のコメントとあわせて紹介する。
取材・文・撮影(スクールJCA24期生) / 成田邦洋
撮影(東京03) / 辺見真也
スクールJCAとは?
スクールJCAは、数多くのお笑い芸人を擁するプロダクション人力舎が1992年に開校した、関東初のお笑い芸人養成スクール。人力舎のノウハウをもとに、基礎からライブまでの実践型カリキュラムを用意している。
モットーは芸能界に通用する“ホンモノ”を育てること。お笑い界を知り尽くしたタレントやディレクター、放送作家などが講師として参加する。ステップアップシステムによって、実力次第では人力舎所属タレントとして本格プロデビューも可能。卒業後に向け、プロへのレールが敷かれている。
現在スクールJCAは第25期生(2016年度の生徒)を募集中。詳しくはプロダクション人力舎のオフィシャルサイトで確認を。
東京03インタビュー
ツッコミがしっくり来ない豊本を飯塚が誘いアルファルファ誕生
──前回のスクールJCA特集(参照:プロダクション人力舎 スクールJCA特集 トンツカタン&アナクロニスティックインタビューほか)では、JCAを最近卒業した若手芸人の方々にお話をお聞きしました。今回は東京03さんに、JCAが現在の西新宿ではなく東高円寺にあった時代の思い出話を聞かせていただければと思います。
東京03飯塚 ああ、あの頃ね。角ちゃんも懐かしいよね?
東京03角田 俺は通っていないんだよ!
──飯塚さんと豊本さんは、角田さんと東京03を組まれる前にアルファルファとして活動されていたわけですが、JCAには飯塚さんが2期生、豊本さんが3期生として入学されたと聞いています。JCA時代からすでに面識はあったのでしょうか?
東京03豊本 僕が入った頃は生徒の人数自体が少なかったから、知っていました。
飯塚 僕は相方を探すためにJCAに入ったんですけど、1年の間に相方が決まらなかったんですよ。それで「もう1年、次の期の教室に通わせてくれ」ってJCAに言って、3期生の授業に混ざったんです。混ざったのが5月頃だったので、3期生の中でもコンビができはじめていて。豊本と組んだのはJCAライブのときでした。
豊本 夏くらい。
飯塚 そのとき豊本がコンビでコントをやっていたのを観たんですけど、豊本がツッコミで、「なんかしっくり来ないな」と。
角田 ハハハハハ(笑)。
飯塚 そのとき、アンタッチャブルが漫才をやっていて、完全にできあがっていて。そのほかにも「ここは別れないだろうな」というコンビが多い中で、豊本のコンビはグラグラだったんですよ(笑)。その時点で誘ってみたのを覚えています。
豊本 養成所にいる限りはライブに出なきゃいけなくて。そのときのコンビは、もう組む人がいなくて余っている者同士でとりあえずやってみよう、みたいな感じでした。
──そんな豊本さんを飯塚さんが見初めたんですね。
飯塚 見初めたというか……そりゃ相方は山崎とかのほうがいいですよ(笑)。どう考えても面白くて、柴田と完全にうまいことやっていて、ドカンドカン笑い取ってたから。「ここはもう声をかけられないな」と。だから消去法ですよ(笑)。「豊本はツッコみきれていない。ボケをやらせたほうが面白くなるのかもしれない」と思って。豊本に話を聞いたら、絵がうまかったり視点が面白かったり、というのがわかったので誘ったんです。
豊本 1期生と2期生が「バカ爆走!」というライブを始めるということで、秋か冬に集合写真を撮って、そのときにはコンビを組んでいたのを覚えています。
飯塚 そうそう、朝日新聞で取り上げてくれるから写真撮ったんだ。「新しい時代の幕開けだ!」って(笑)。JCAって関東で初めてのお笑い養成所なんですね。だから大々的に取り上げてくれたんじゃなかったかな。新聞に載るってデカいじゃん。親が喜んでいた記憶があります。
今考えたら基礎は大事
──角田さんにも話をお伺いします。お笑いのスクールに通われた経験はありますか?
角田 ないですね!
──恐れ入ります。角田さんは東京03結成の前にプラスドライバーというトリオで活動されていました。そのトリオの結成の経緯は?
角田 お笑いの学校があるというのをまったく知らなくて。プロダクションがあるというのはわかっていたんですけど、どうやって入っているのか、当時のプラスドライバーの3人はわからなかったんです。「東京のいろんなところでライブをやっている」というのを聞いて最初に行ったのが、後に所属することになるプロデューサーハウスあ・うんが主催していた事務所ライブだったんですよ。
──あ・うんさんに所属するのはトントン拍子でしたか?
角田 所属なのか“預かり”という扱いなのか、よくわからないですけど。あ・うんという事務所自体もそんなに人がいなかったですし。定期的にライブに出ている、という状態でした。
──その頃のライブには、どんな思い出がありますか?
角田 「ライブがある」という発想自体がなかったので、テレビに出ていない人たちでライブをやっている人がものすごくたくさんいる、と知って愕然としました。それこそアンタッチャブルとか「え、こんなに面白いのにテレビに出ていないじゃん」と思って観ていました。
──ライブシーンの現実を目の当たりにしたところからのスタートだと。
角田 ある意味、一からですよね。最初はちゃんとスベりましたし(笑)。
──では、話を戻して飯塚さんと豊本さんにスクールJCA時代の思い出をお聞かせいただければと思います。
飯塚 僕ね、ほとんど授業に出ていないんですよ(笑)。JCAライブに合わせてネタ見せに行くくらいで。僕はダウンタウンさんに憧れていたので、完全にとんがっていたんです。松本さんが「遺書」っていう本を出したじゃないですか。それがバイブルみたいな感じでした。授業では、発声やタップというカリキュラムがあったんですけど、今考えたら基礎は大事で、ちゃんとできるようになっておけばよかったなと思います。
──ただ飯塚さんは発声に関しては、世に出た頃からよく通る声でネタをやっていらっしゃいましたよね。
飯塚 なんでだろう。少年野球をやっていたからじゃないですか?(笑)
──豊本さんは授業に出られていましたか?
豊本 僕もコンビを組むための授業とかネタ見せのときくらいで、ほとんど行っていないです。
──角田さんは「こういうことをスクールで学んでおきたかった」と感じるようなことはありますか?
角田 自分からは絶対にタップをやろうなんて思わないじゃないですか。飯塚さんも言っていましたけど、そういうのがあるんだったら一通りやって、それが使えるかどうかを判断すればいいんだろうな、と思いますね。
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スクールJCA25期生オーディション
第1回オーディション日:2016年2月7日(日)13:00~
(定員数に達した場合は16:00の回を用意)
受付締切は1月29日(金)で当日消印有効。願書による書類審査があり、通過者には別途詳細を連絡する。第2回オーディションは2016年4月上旬に実施される予定。詳しくはスクールJCAのオフィシャルサイトにてご確認を。
東京03(トウキョウゼロサン)
左 / 豊本明長(トヨモトアキナガ)
1975年6月6日生まれ。愛知県出身。スクールJCA3期生。
中央 / 飯塚悟志(イイヅカサトシ)
1973年5月27日生まれ。千葉県出身。スクールJCA2期生。
右 / 角田晃広(カクタアキヒロ)
1973年12月13日生まれ。東京都出身。
2003年にトリオ結成。プロダクション人力舎所属。