内気なラジオ少年たちが声デカツッコミとして「M-1」で再会
──「M-1」の決勝で戦えたのはどうでしたか?
福本 激エモですね、さすがに(笑)。お互い決勝に行けたのはすげえなって、めちゃくちゃ感慨深かったです。
檜原 僕はさっきも言ったように大喜利の締め切りに追われる生活で、お母さんに「ちゃんと勉強してんのか」って聞かれて「うるさいな!」って言うような高校生だったんですね。「お母さんは、俺がすごく忙しいの知ってる? 知らんやろ!」って(笑)。
福本 あはははは!(笑) 忙しいのよなあ、マジで。
檜原 そんなんで怒るくらい、僕も福本さんも本当にインドアな、内気な人間だったのに、十数年経って僕も福本さんもすごい大声のツッコミになっていて、エモかったですね(笑)。
──その後、「座王」(関西テレビ)では個人で大喜利対決されていましたね。
福本 そうですね。「M-1」決勝に行ってからはかなりいろんなところで会うようになりました。ハガキ職人時代に会った回数を優に超えてます(笑)。
──あ、ハガキ職人の会は頻繁に開催されていたわけではないんですか?
福本 毎週集まるとかではなくて。言うてもオフ会なので、5~10回の間くらいです。
檜原 そうですね。あるとき僕が、小籔(千豊)さんとレイザーラモンさんのビッグポルノという音楽ユニットのCDをiPodに入れたいということでトニータラスコさんからお借りしたんですけど、CDのパッケージにヒビが入っちゃってたんですね。それにトニータラスコさんがかなり激昂するという出来事があって。
福本 ええ? そんなことあったん?(笑)
檜原 mixi上で「信じられへん」って怒られて。僕はそのとき高校生で若さゆえの至らない点なんですけど、「高校生にCDを貸して、それがちょっと痛んで返ってきたくらいで怒りすぎ」って言い返しちゃって(笑)。小さい遺恨みたいなのができてしまって、そこからカプリに行く足取りが重くなっちゃったんです。
福本 でもそんなことがほんまに日常茶飯事やったんですよ。「誰かと誰かが揉めたから、あいつがいるときは行けへん」みたいな。特にトニータラスコは揉めがちで、あいつほど若気の至りっていう言葉が似合う男はおらんというか(笑)。そんなトニータラスコも「漫荼羅」観に来てました。最近はよく観に来てくれていますね。「M-1ツアー」とかも来てたし。
檜原 え! そうなんですか? もし僕もミンナイさんもいて、トニータラスコさんが観に来られている回があったらちょっと会いに行かせてください。
福本 じゃあ、飯行くか(笑)。
檜原 当時のことを謝りたいです。まだ謝れていないので(笑)。
“自己紹介ボケ”を教えてくれた青空にジャンプさん
──お二人がハガキ職人から作家やラジオのスタッフではなくて、芸人を目指したのはなぜなんですか?
福本 最初は作家さんになろうとしていました。ただ、今は作家の学校とかもありますけど、当時は作家のなり方がわからなかったんです。最初はテレビのスタッフとか、制作会社の面接とか行ったりしたんですけど、普通に落ちて。だんだん自分で考えて自分でやってウケたいなと思い始めて、芸人になろうと思いました。それから「キングオブコント」「THE MANZAI」の予選やインディーズライブに出ていたんですけど、ひと笑いも起きなかったんですよ。そこで普通は心折れてやめそうじゃないですか。でも「いや、こんなはずはない」と思って、「俺は絶対に面白いんや」という確固たる意思でNSCに入りました。で、9月くらいに初めて人前でネタをやったら、めちゃくちゃウケたんですよ。「やっぱ芸人やったんや俺は!」と思いましたね(笑)。そこでスベってたらやってなかったかもしれないです。
──その自信は、ラジオで培ってきたもの。
福本 もちろんそうです。「俺は黒帯戦士やぞ」と。
──檜原さんはハガキ職人からいきなり芸人に?
檜原 僕は高校3年生のときに、豊中市ラジオネーム「雛乃卵」という奴と「ハイスクールマンザイ」に出たんです。雛乃卵は高2のときに高3の人と組んで「ハイスクールマンザイ」で関西の準決勝まで行っていて、「ハイスクールマンザイ」の2ちゃんねるで「こいつは将来えぐいことになる」みたいな評をもらっていて。3年生になって新しい相方を探しているということで、ぜひ一緒に出させてほしいと言って2人で出場したのが始まりです。
福本 雛乃卵と出てたんや? 雛乃卵もカプリに来たことあったよな?
檜原 雛乃卵はまたちょっとグループが違いましたけど、来てたと思います。千原ジュニアさんの「題と解」という大喜利の配信番組でよく読まれていた人たちのmixiのグループがあって、雛乃卵はそこにいたんですよ。で、そいつと一緒に「ハイスクールマンザイ」に出て、初舞台にして南大阪の地区予選で優勝し、「俺はエグい。どうなっちまうんだろう」と思いましたね(笑)。
──ハガキ職人から芸人になって再会を果たしたお二人ですが、この場で報告したいこと・話しておきたいことはありませんか?
檜原 僕も自分たちのラジオを持って、大喜利メールを読むようになりましたけど、大鶴肥満はラジオをまったく聴いていなかったので最初の頃は僕が読み方を教えていたんですよ。「神奈川県横浜市西区」とか、政令指定都市の人は絶対に“区”まで読んであげたほうがいいって。僕は「大阪府和泉市」って読まれたときに僕自身がうれしいのもあるんですけど、和泉市の知名度アップに貢献している気持ちがあって。
福本 めちゃくちゃわかる! めちゃくちゃわかるそれ!
檜原 最初の頃は必ず政令指定都市の何区何々まで一生懸命読んでいたんですけど、ちょっとずつ昔の気持ちをどんどん忘れていって(笑)。最近は都道府県も飛ばすように……。
福本 変わりすぎやろ!(笑)
檜原 それはミンナイさんに見られたら「変わっちまったな」って思われるかなと(笑)。
福本 変わっちまったなあ(笑)。俺も今度ラジオ始まるんやけど、その特番を4回やらせてもらったとき俺はちゃんと“市”まで読んだぞ。
──福本さんから報告したいことや今だから聞いておきたいことなどは?
福本 報告は、なまくらさんに第2子が生まれてること。
檜原 なまくらジャックさんに!?
福本 トニータラスコも結婚したし。
檜原 それはうれしいですね。
福本 でも「青空にジャンプ」さんの消息は知れへんな。
檜原 青空にジャンプさんはみんなのハブポート的な人で。わりと聴いているラジオごとにグループができていたんですけど、青空にジャンプさんは全部のラジオで読まれている人で、パイプ役になっていました。
──ちなみに、当時のハガキ職人仲間が自分のラジオ番組にメールを送ってくれることもあるんですか?
檜原 「すり身」さんという方が今も送ってくれるんですけど、不採用にし続けていていたらスネて送らんようになってしまった、とかはありました(笑)。
福本 僕のところにはチンカスさんが送ってきてくれました。もうハガキ職人はやってないんですけど、老兵が出てくるというというか、昔すごかった人がピンチに駆けつけてくれるみたいなことはありますね。チンカスさんにはゲッパーくんのほう送ってほしいな。で、不採用にしてもらって(笑)。
──今日お話を伺って、ハガキ職人をやっていた経験はお二人の礎になっているんだなあと感じました。
福本 礎中の礎です。礎というか、もう“入口”なので。
檜原 そうです。当時僕は高校生で、ミンナイさんは大学生だったんですけど、高校生から見た大学生ってすごい面白いんですよ。声が大きかったり、堂々としてるとかも含めて。
福本 いや、声はむちゃくちゃちっちゃかったけどな?(笑)
檜原 青空にジャンプさんに漫才の台本を送って添削してもらったこともありますし。青空にジャンプさんって、本当にラジオにメールを送ること以外のことは何もできない人なんですけど(笑)。
福本 本当にそんな奴らの集まりなんです(笑)。「ここでだけはヒーローになれる」っていう人ばっかり。
檜原
福本 自己紹介ボケを初めて目の当たりにした瞬間(笑)。
檜原 自己紹介ボケを人生で初めて見て。なんて面白いんだ!って。
福本 確かに、そこでボケるっていう発想がないよな。
檜原 ボケてきた!って衝撃を受けて。そこで“お笑い”っていうのを学びました。
福本 それが礎?(笑)
檜原 深く根づいていますね。
──インタビューは以上です。何か言い残したことがあれば。
檜原 かなり大昔ですけど、僕がまだ18、19歳くらいのとき、カプリは居酒屋なので未成年の人はジュースを飲んでたんですね。そこに「CRキングホーケイ」さんというちょっと体育会系な方がいて、「僕、1回もお酒飲んだことないんですよ」って言ったら「じゃあ一口だけちょっと飲もうか」って。
福本 よくないなあ(笑)。
檜原 僕は校則が厳しい高校にいたので「飲まないです」って断ったんですね。そしたらCRキングホーケイさんが、「CRキングホーケイの酒が飲めないって言うのか!」って(笑)。
福本 あはははは!(笑) 誰の酒やねん!
檜原 当時、表では「なんでなんですか!」とか言えない高校生だったんですけど、内心は「CRキングホーケイの酒は飲まんやろ」って思ってました(笑)。
──いろんな人がいますね。
檜原 大人と触れ合うのが新鮮で楽しかったです。
福本 ほんまにいろんな人がいました(笑)。貴重な体験でしたね。
プロフィール
檜原洋平(ヒワラヨウヘイ)
1991年7月27日生まれ、大阪府出身。大学時代に大阪・5upよしもとで活動し、「わらいを愛する学生芸人No.1決定戦」で優勝している。2016年4月に大鶴肥満と
福本ユウショウ(フクモトユウショウ)
1987年7月15日生まれ、大阪府出身。NSC大阪校35期生。同42期生のゆうじろーと2022年4月に
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