札幌出身の3ピースバンド、ズーカラデルが7月10日に1stフルアルバム「ズーカラデル」をリリースした。彼らの知名度が上がるきっかけとなった楽曲「アニー」、前作ミニアルバム「夢が醒めたら」収録曲「漂流劇団」「恋と退屈」のリミックスバージョン、リード曲「イエス」など全12曲を含む本作には、生々しい感情と文学的な叙情性が共存する歌、臨場感にあふれた演奏など、このバンドの魅力がしっかりと刻まれている。音楽ナタリーではズーカラデルに楽曲が制作された時系列に沿ってアルバムの収録曲について語ってもらい、バンドのこれまでを探った。
また特集の後半ではズーカラデルの音楽の原点を探るべく、3人が“自身のルーツになっている曲”としてセレクトしたApple Musicのプレイリストを掲載している。
取材・文 / 森朋之 撮影 / 斎藤大嗣
前夜(M.12)
制作時期:2011年夏~秋
──「前夜」は2011年の東日本大震災を受けて書かれた楽曲だそうですね。
吉田崇展(G, Vo) はい。まだこの2人と一緒にバンドをやる前ですね。2011年3月に地震があって、いろんなニュースが入ってきて。そのことを直接歌うのではなくて、劇みたいな感じで表現してみたいと思って作った曲です。その頃の自分の中にあった感情を外に出したかったというか。自分の中に生まれた新しい感情をうまく説明できれば、いい曲になることが多いんですよね。
──約8年が経った現在、吉田さんにとって「前夜」はどんな曲なんですか?
吉田 独特の立ち位置にある曲ですね。自分から生まれた曲なんですけど、“ただただ美しい曲としてそこにある”という感じは変わっていなくて。
山岸りょう(Dr) 「こんなにいい曲を世に出していないのはもったいない」という気持ちがあったんですよ。思い入れがある分、形にするのが難しかったんですけど、ようやく納得できるアレンジができました。
鷲見こうた(B) 自分がバンドに入ったのは去年の3月なので、それ以前の曲は制作には参加していなくて。「前夜」のアレンジを作るときも、もともとあったデモ音源のベースをなるべく耳に入れないようにしていたんです。そのためにあえて低音が聴きづらい携帯電話で聴いたり。アルバムに収録されたテイクには、この3人で感じたものが表現されていると思います。
──2011年の時点で吉田さんの中に将来的なビジョンはあったんですか?
吉田 なかったです。その頃も一生懸命音楽をやっていたんですけど、なかなかうまくいかなくて、バンドは難しいなと思っていました。今の体制になってからは、「この3人で何をやるか」と考えるようになったし、3人でやる意味があると感じられているのは、すごくいいことだなと。
生活(M.6) / 漂流劇団(M.3) / 光のまち(M.10)
制作時期:2015年8月~11月 バンド結成から初ライブまでの間
吉田 「生活」は山岸と一緒にバンドを組んだときに、「こういう曲をやりたい」と持っていった曲ですね。その前はけっこう凝ったことをやろうとしてたんだけど、あまり小難しいことをしないで、「ギターを弾いて歌う」というシンプルなやり方のほうが性に合ってるなと思って。
山岸 その頃は“吉田崇展とズーカラデル”というバンド名だったんです。吉田は弾き語りのライブもやっていたんですが、僕はバンドに入る前にそれを観たことがあって。弾き語りをもとにして、「これをバンドでやるならどうする?」というところからベースやドラムのアレンジを考えていました。
鷲見 当時、僕は違うバンドをやっていて。同じ札幌でもまったく交わっていなかったんですよ。
吉田 そうだね。この時期の曲は、悲しいんだかうれしいんだかわからないというか、とにかく自分の内側にあるものを出力したいという感じでした。「この悲しみをなんと言ってやろう?」みたいなことがモチベーションになっていましたね。
──基本的には実際の出来事に基づいて曲を書いているんですか?
吉田 曲によりますね。「生活」は、札幌駅から電車に乗って、途中下車したときにできたんです。歩きながら「いつかどこかであなたが泣いていても 私もうきっと気づけないわ」というフレーズがメロディと一緒に浮かんできて、「これはいい」と思って。そのときになんとなく感じていたことをうまく言い表す言葉が見つかったというか。
鷲見 この歌詞、いいですよね。「生活」に限らず、吉田の書く曲が好きだから一緒にバンドをやっているし、自分のバンドのことを素直に「カッコいい」と言えるのっていいじゃないですか。
──「漂流劇団」の「嫌いなあんたがいつか 幸せになれますように」というフレーズも印象的でした。
吉田 ズーカラデルの前に山岸とやっていたバンドが「奥山漂流歌劇団」という名前だったんですよ。そのバンドが演奏していた場所がアンダーグラウンドというか、ちょっと怪しい人たちがたくさん出るライブハウスで。「そこで出会った人たちにかけられる言葉ってなんだろう?」と思って書いたのが「漂流劇団」なんです。
山岸 メジャーとか王道から遠く離れた場所ですね。
吉田 僕もその一員だったんだけど(笑)。
鷲見 苦労してたんだ(笑)。
吉田 そこにいた人たちのことが特別に好きだったわけではないんだけど「わかるよ」というか、「俺は、そこに存在しているあなたを見たよ」という気持ちは強くあったんですよね。
──「光のまち」も当時の生活と関わっている曲なんですか?
吉田 そうですね。「どれだけ君が輝いても」の“君”は、僕が働いていた職場にいた人のことなんです。その人の言動を曲にしようと思って、ラブソングになっていったという。
鷲見 そういう話、普段は全然しないんですよ。アレンジをするときに、「この曲の“光”は太陽なのか、蛍光灯なのか」みたいな感じで迷ったときに聞くくらいで。
──「光のまち」の「ドブネズミみたいな美しさも」というワードはTHE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」のオマージュだと思いますが、この時期の日本語のロックがルーツなんですか?
吉田 どうだろう? 高校時代に聴いていた日本のバンドが原体験なんですよね。BUMP OF CHICKEN、銀杏BOYZ、くるりなどを好きになって、「自分でやったら面白いんじゃないか」と思って。
──なるほど。この時期の曲を改めてレコーディングした手ごたえは?
山岸 当時のデモ音源と聴き比べると、成長したなって。
吉田 ははは(笑)。
山岸 演奏技術もそうだし、曲に対する分析というか、どう表現すればいいかも少しずつ考えられるようになっているので。
鷲見 デモ音源はレコーディングの環境もそれほどよくなかったし、曲自体はめちゃくちゃいいのに、音源で聴くともったいないポイントがたくさんあったんです。ライブで演奏するなかでよくなってきた部分もたくさんあるし、今回、いい環境で録れたのはすごくうれしいですね。
次のページ »
アニー(M.11)~恋と退屈(M.8)