音楽ナタリー Power Push - 水曜日のカンパネラ

コムアイの次の一手

コムアイ

曲のテーマにしたのは
人間のイマジネーションを
高めようとした人たち

──「SUPERMAN」は世の中を変えようとしているスーパーマンたちを応援するアルバムだとライブのMCで言っていましたね。

でも今の時点ではスーパーマンっていないと思ってるんです。例えば裏切りや賄賂やハニートラップを使いながらも、世の中を自分が動かしたい方向にドライブさせる。そんくらいの人がいてくれたらカッコよくないですか? なんか、そういうスーパーマンを待ってる感じ。いつか来るその人を待ちわびて歌ってるのがこのアルバムなんです。作品のイメージは前傾姿勢というか、馬に乗って駆けてるみたいな、何かを見据えて走ってるような。

──1曲1曲のテーマになってる人物はみんななんらかの改革者ですよね。

はい、それは少しだけ気を付けました。坂本龍馬とか世阿弥とか、人間のイマジネーションを高めようとした人たちをなるべく入れたいと思って。人種の多様性が次の時代だと思っているので、キング牧師とかアンネ・フランクも入れたかったんだけど、財団がノーと言ったためにできなくて。

──ポップの代表が「一休さん」だとしたら、攻めてる方向の代表はどの曲ですか?

サウンド的に攻めてるのは「チャップリン」ですかね。姿勢として攻めてるのは「坂本龍馬」と「世阿弥」かな。どちらも政治と芸術で時代を変えた人物ですよね。

自分がすごく成長したからこそ、
今までできてなかったことがわかった

──題材についてケンモチさんと話したりはしましたか?

提案してくれたものも、ほかの人が思いついたものも、私が提案したものもあるのでさまざまです。「世阿弥」は私が題材を考えた曲なんですけど、私にとって2016年は能と盆栽と歌舞伎に興味を持った年だったんです。能と盆栽って実は概念がすっごく近くて、全然自由じゃない、纏足みたいな、窮屈に閉じ込められたところから放たれる強さなんですよ。ただ止まってるんじゃなくて、すごく強い力同士がぶつかって止まってるみたいな強さ。「世阿弥」の曲にも、歌い方にはピリッとした緊張感が欲しくて、何回か録り直したりしました。でも今回はレコーディングの回数はすごく少ないです。スケジュールの都合もあるんですけど、自分の中での満足ラインは越えました。

──これまでは満足できてなかったんですか?

そのときそのときの満足ラインは越えてます。心残りはない。

コムアイ
コムアイ
コムアイ

──その満足ラインが年々上がってる感じ?

それはまあ人間なんで、少しは(笑)。あと最近、歌をすごく歌いたいんですよ。でもライブでモニターがちゃんと聞こえないと「こういうふうに歌いたい」っていうイメージがつかめなかったりするんです。周りが静かなときは自分の耳で自分の声が聞けるからいいけど、外に出た自分の声が返ってくるときって、微妙に上ずってたりするから、それを自分の声だと思って歌うとなんか違っちゃったりして、歌いづらい。歌うのに一番いいのはレコーディングみたいな状況で、声のディテールが全部拾えるから、いろんなことを試すのが楽しくなるんです。それができないと本当に泣きそうになるっていうか、歌いながら悔しくなる。ライブを観た関係者から「歌いたいんだね」ってメールをもらったんですけど、歌えてない悔しさが伝わったんでしょうね。

──歌うのは楽しいですか?

そうですね。私は芸が仕事でよかったなと思います(笑)。気持ちを込めたりすることの副産物でお金をもらえるのが。気持ちの込もり具合で収入が決まるんじゃないんだけど、芸をやってる人はそのとき感じている、不甲斐なさや怒りなど困った感情をその瞬間表せる幸せがあるってことで。泣くのと同じで表したら和らぐんです。

──そうですね。

私、今回のツアー(参照:水曜日のカンパネラ、ワンマンツアー終幕「今日はファイナルだからセット壊して大丈夫」)では自分がすごく成長できたと思ってるんです。動員はそんなに増えてはいないんだけど、自分としては今までのツアーで一番得たものがあって、北海道公演のときにようやく一人前のライブができたと思いました。そのときだけですけど、見たい景色がようやく一瞬見れた。できたからこそ、今までできてなかったんだなってわかったし、1回つかめたので、武道館がすごく楽しみです。

現実じゃない景色を
強烈に脳裏に焼き付けるライブをやりたい

──コムアイさんは自分の芸に厳しいですよね。

でも、人のを観ているときも超厳しいから、それに比べたら甘いなと思います(笑)。考えてることをそのまんま口に出したら殺されそうなくらい他人に厳しいかも。「この人は魅力がない」とか身も蓋もないことを思っちゃうし。感動することもいっぱいあるけど。

──「自分はこういうときに感動するんだな」っていうセオリーというか形があるじゃないですか。そういうものを自分の芸でも出したい、みたいな?

コムアイ

見えないものがステージに見えるのが一番いいと思ってるんです。目の前で人が歌ってるのに、みんなそこにないものを感じちゃう。いいライブってだいたいそうです。全然関係ないことを思い出したりとか。なんかそういう、現実じゃない景色みたいなものを強烈に脳裏に焼き付けるライブをやりたい。私はずっとそれができなくて演出でごまかしてたんですけど、ようやく本気で取り組む気持ちが出てきたって感じですかね。私にそんなことできるわけない、ってちょっとひねくれてたところがあったんですけど、歌でどうにかできるんじゃないかって。

──それは大きな手応えですね。

盆栽を鑑賞するときって下から見るんですよ。巨木をイメージしてこさえてるから。盆栽とか水石を設えた床の間は、ホストの自然観を収めた場所なんですって。小さい箱の中に世界を詰め込むジオラマです。盆栽を真剣に見てる人って、木を見てるっていうより、その向こうに空が見えてるんじゃないかって。

──なるほど、コムアイさんがやりたいことはそれに通じるわけですね。

能はさらに一歩進んで、舞台を暗くして観客を眠たくさせて、モヤモヤさせた中で現実にはいない鬼女とか武将の影を出してくる。そうすると観客は現実か幻かわからなくなる。どうやって現実にないものを持ってくるか、工夫を凝らしてる芸は、観てて楽しいですね。その影響もあるかもしれない。

──「“楽しそう”は“楽しい”よりも強い」というコムアイさんの過去の発言を思い出しました。

それ言ったこと忘れてたけど、それもあるかも。楽しいときって悲しくないですか? 「ああ、もうすぐ終わっちゃうんだ」って(笑)。楽しそう、ってときのほうが100%気持ちが満たされてる感じがする。

──そういうライブができるようになってきた感じ?

そう。「あっち面白そう」とか「きれいそう」っていう景色を見せたいって感じかな。「楽しそう」だけじゃなくて、すっごく美しい世界が待ってるんじゃないかな、っていう気分を共有したいです。