レジェンドたちが集うハードコアバンド・湾岸の羊~Sheep living on the edge~が音に注ぐ、鮮烈なメッセージとは

2015年より数々の実験的ギグを行ってきた湾岸の羊~Sheep living on the edge~が、初の音源として楽曲「REBORN」を配信リリースした。

湾岸の羊はHIRØ(MC / カイキゲッショク、ex. RISING SUN)、TATSU(G / GASTUNK)、REDZ(Vo, G / AURA)、CHARGEEEEEE(Dr /OMEGA Dripp、カイキゲッショク)、Ryota(B / OMEGA Dripp、蟲の息)からなるハードコアロックバンド。ロックシーンの礎を築いてきたレジェンドが集うこのバンドが、満を持して7月に1stアルバムをリリースする。

アルバムリリースに向けて、湾岸の羊は3月から6月にかけて「REBORN」「LOST CHILD」「Merry-Go-Round」「都会の森」という4曲の新曲を先行配信することを発表した。その第1弾となる「REBORN」は「人は必ず生まれ変わることができる」というメッセージをリスナーに向けて力強く放つ1曲。楽曲のリリースと同時に、楽曲に込めた思いを余すことなく反映したミュージックビデオも公開された。

音楽ナタリーでは5人にインタビューを行い、メンバーの出会いからこれまでの道のり、楽曲の制作過程までじっくりと話を聞いた。

取材・文 / 秦野邦彦

この素晴らしい人たちと僕はバンドやりたい

──湾岸の羊~Sheep living on edge~が満を持して1stアルバムを今年7月にリリースすることになりました。まずはメンバーを紹介させていただきたいんですけれども、そうそうたる顔ぶれですね。

HIRØ そうなんです。ボーカル&ギターに日本のヴィジュアル系ロックの祖であるREDZ(AURA)。ドラムにマーティ・フリードマンと全世界を回った日本屈指のドラマーCHARGEEEEEE(OMEGA Dripp、カイキゲッショク)。ベースに日々肉体労働で鍛え上げた体で工事現場とライブハウスとスタジオを行き来する生粋のパンクロッカーRyota(OMEGA Dripp、蟲の息)。そしてギターに伝説のハードコアギタリストTATSU(GASTUNK)。残念ながらGASTUNKは活動休止中ですけれども。

TATSU 辞めたメンバーとは先日の鮎川誠さんの葬儀ですれ違いました。話はしなかったですけど。

HIRØ 鮎川さんが会わせてくれたね。

──そもそも、このメンバーはどうやって集まったんでしょうか?

HIRØ 僕が2000年代前半にやっていたRISING SUNというハードコアバンドから、すべてここまでつながってると言っても過言ではないんです。2002年にTATSUと一緒にRISING SUNで「BAD BOY」という曲を作ったんですけど、その直後にTATSUが逮捕されまして。翌2003年はTATSUなしで全国44カ所の全国ツアーを回ったんです。その後、今度は僕が暴力事件で逮捕。厨二病みたいな話になるので割愛しますが、そんなこんなで2000年代後半になると僕がやりたいこともひと通り終わったしRISING SUNを活動休止にしようと思ってたときに、REDZとひさしぶりにイベントで会って。

REDZ あれは渋谷のチェルシーホテルでしたね。楽屋で会ったら、ちょっと元気がないなと感じて。話を聞くとRISING SUNを活動休止すると言うから、ちょっと待てと。僕はもともとギタリストではないけど、「俺がギターやって、ドラムは最近知り合って『こいつすごいな』と思った、カッコいいやつ知ってるから」って。それでCHARGEEEEEEに声をかけたら快く受けてくれて、ベースに彼の後輩で愛知から東京に出てきたばかりのRyotaを連れてきてくれたんです。それで一度、下北沢のスタジオで音を出そうって、この4人が初めて集まって。

HIRØ そのメンバーで1回だけRISING SUNとして2008年の「NYRF」(「New Year Rock Festival」)に出たんです。Ryotaなんて初ステージがフジテレビだったもんね?

Ryota 正月明けにテレビで放送されましたね。

REDZ 田舎から出てきて3カ月で地上波デビュー。

CHARGEEEEEE 最高すぎるでしょう。

HIRØ そのライブを最後にRISING SUNは活動休止したんですけど、僕はこの素晴らしい人たちとバンドをやりたいなとずっと思ってて。その頃ちょうどZeebraたちとカイキゲッショクという音楽集団をやろうと話が進んでいたんです。そこにCHARGEEEEEEを誘ったんですけど、僕の頭の中には、REDZとRyotaともう一度音を出したい、もっとパンクっぽいことがやりたいなという思いがあって。だったら2002年にTATSUと作った「BAD BOY」という曲がRISING SUNのアンセムだったので、再びTATSUに声をかけようと思って、2016年にこの5人になったわけです。そこから実験的なギグを何回かやったり、デモを作ったりして。そんなこんなで、そろそろ音源を作ろうかって、2019年の12月に長野へ合宿に行ったんだよね。長野にはJODY天空という、ファー・イースト・ファミリー・バンドの宮下富実夫さんの息子がいて、スタジオを運営しているんです。彼はRISING SUN結成時のオリジナルメンバーでもあるので、JODYのとこでやろう、JODYだったら間違いないって。

──長野での合宿はいかがでしたか?

HIRØ 俺たちが2泊3日で、CHARGEEEEEEとRyotaが1泊2日だったよね。

REDZ プリプロみたいな感じで1回みんなで「せーの!」で音を出して。レコーディングを想定に入れた感じの集まりだったのかな。

CHARGEEEEEE 今度のアルバムにはそこから1曲使われてますよね。

HIRØ 「RISE UP」って曲だね。

CHARGEEEEEE あれ録ったの、朝方だった気がするんですけど。

HIRØ そうだっけ? 時間の感覚がなかったよね。

Ryota 朝方に終わってちょっと寝ようよって、2、3時間ぐらいしたらまた始まって。

HIRØ すごくいいスタジオで。

REDZ 漂ってる不思議な雰囲気がすごかったね。

HIRØ ところが東京に帰ってきたら、いきなりコロナ禍が始まったんです。緊急事態宣言時にカイキゲッショクで「KILL COVID」というメッセージソングを発表する裏で、湾岸の羊のレコーディングをずっとリモートで作業していましたね。レコーディングした音をJODY天空がまとめて、僕のボーカルレコーディングをONODUBさんがやってくれて。それで2020年に音を録り終わりました。年の後半になると僕は「NYRF」にかかりきりで。あれって3、4カ月は何もできなくなっちゃうんです。で、2021年になると今度はミックスが始まるんだよね。RIZEなどを手がけているコリン・スズキに託して。それが完成すると2022年にアルバム収録曲のミュージックビデオを全曲、薗田“ペッチーニ”賢次監督が撮って。また9月、10月ぐらいから「NYRF」をやって、年が明けて、ようやくこうして形になったというのが現状です。

湾岸の羊~Sheep living on the edge~

湾岸の羊~Sheep living on the edge~

この年になったからこその熟したハードな音楽

──それだけ長い期間をかけて熟成されたバンドなんですね。

HIRØ はい。REDZは素晴らしいボーカリストでありながら、ギタリストが嫉妬するぐらいのギターを弾くんですよね。歌ってるんです、彼のギターは。

TATSU 僕にはできないプレイだね。

REDZ もともと僕はHIRØと20代の後半に知り合いまして。メンバーである前にずっと友達だったので、自然な流れでこうなったのかなという感じですね。年も一緒だし。TATSUに関しては、みんなが彼のことを好きで。カッコいいし、ロックスターだと思ってるからこうして一緒に音楽をやれていることがいまだにドキドキするんです。リハをやってもステージに立っても、TATSUの横にいるのが俺なんかでいいのかなと思ってしまう気持ちもまだ全然あるんですね。

TATSU うれしいです。このメンバーでやるのは楽しいですし、今回のアルバムもすごく刺激的で、「この野郎、どうだいお前ら?」みたいな気持ちで。ちょっと荒い言葉になってしまいましたけれども、作ったこっちの気持ちとしてはそれぐらい気合いを入れて言わないと。ぜひ皆さんに聴いていただけたらいいなと思いますね。

──TATSUさんはこれまでさまざまなミュージシャンの方々とご一緒されてきましたが、この湾岸の羊での活動で新たな発見はありましたか?

TATSU やっぱり基本的にはグルーヴを大事にしているバンドで。僕も10代の頃からGASTUNKというバンドをやってましたけど、今やってることは当時ハードコアをやっていた頃以上に、この年になったからこその熟したハードな音楽なんじゃないかなと思うんです。それをなんという言葉で言っていいか僕はわからないですけれども、僕の中ではハードな部分をオーバーするか、しないか、ギリギリのところに立って音を出している。

HIRØ まさに“living on the edge”ですよね。そこが本当にリアルだと思います。今はコンプライアンスとかいろいろあるじゃないですか。ここ(宣伝用の紙資料)に「MCに元アウトローのHIRØ」と書いてあるんですけど、最初は僕、アウトローって書かれるのが嫌だったんです。でも、あえて「元アウトロー」を名乗ろうと。というのも僕がRISING SUNをやっていた時期は、かつてアルバムのタイトルにも冠したアティチュードだけでやってた節があって(RISING SUNは2001年にアルバム「ATTITUDE」を発表)、僕自身の実力が伴ってなかったんですね。ただのアウトローだったんだなって。だから今、こうやってお互い年月を重ねて熟したメンバーと一緒にできることが本当にうれしいんです。今の僕のリリックには嘘ひとつないし、「憂いを纏い、魂武装し」という言葉の通り、悲しみや悔しさ、傷付いたことからしか僕はリリックを生み出せないので、本当にリアルな言葉として届けられるし、今の立ち位置だったら誰からも後ろ指を差されない。なので、そういう意味でただのアウトローじゃなく、やっとバンドマンとしての力が伴ってきたかなという心境ですね。

感じたまま、出たとこ勝負

──OMEGA Drippでも活躍されているお二人がしっかりとリズムを支えているところも楽曲の聴きどころですね。

CHARGEEEEEE そうですね。これまで僕はたくさんのミュージシャンと一緒に音を出してきましたけど、OMEGA Drippは自分が作ったし、何があっても人生最後まで絶対やると決めているバンドなんです。Ryotaとともに。僕は湾岸の羊ってとても特殊なバンドだなと思っていて。テクニックとかじゃないんです。「ここ、もうちょっとうまく弾いてくれよ」みたいな次元のやりとりじゃなく、例えばHIRØさんが今どういう感情で歌ってるのか瞬時に判断して音を出したり、REDZさんのギターがだんだん激しくなるのに対してクレッシェンド気味にドラムの音を上げていくとか、察知能力を必要とされるバンドだと思っていて、すごく“対人間”なんですよね。「TATSUさんが速弾きしてるからテクニカル」というより、TATSUさんのカオティックで狂気じみたエナジーの方向性をどう読み取って返すか、そういうやり取りがすごくできているから、湾岸の羊はほかのバンドではまず味わえない特殊な音楽体になっている。僕とRyotaは長いこと一緒にやってることもあって、ほかの3人の静と動をいかにこぼさず拾えるかということを2人でできていて、それがすごく楽しいです。いろんな人生を歩んできた3人だからこそ出せる狂気。優しさもあり、悲しさも切なさもある音。それをバックアップするのが僕ら2人かなと思っています。

Ryota 今CHARGEEEEEEさんが言ってくれた、“対人間”というところは僕も強く感じていて。もちろん皆さん音楽的にも技術的にもすごいですけど、それ以上に人間として心でつながってるから不思議とジャンルに縛られない。強いて言えば、“湾岸の羊~Sheep living on edge~”というジャンルなのかなぐらいの感じで。そこがやっていて楽しいし、できあがったものを聴いてもすごく面白い。なので、いろんな人に聴いてほしいです。

CHARGEEEEEE もしこの5人が10年前に集まったとしても、たぶん今回のアルバムはできなかったと思うんです。それぞれの人生観だったり、10年間でそれぞれが歩んできたものがあるからこそ、この音楽ができたんだなとめっちゃ思っていて。HIRØさんともカイキゲッショクで10年ぐらい一緒に歩んでいた時間があったから、今の湾岸の羊になれたのかなと感じていて。本当に「今だな」というベストなタイミングだと思いますね。

HIRØ CHARGEEEEEEの言った「10年前だったら」という言葉は本当にそう思います。ロックバンドだから品行方正なわけがないんですけど、もうみんな酔っ払って暴れたりとかしていないし。こういうプロジェクトを組んで一緒にやるとなると、いろいろな人と共犯関係になるわけじゃないですか。迷惑をかけられないし。なので、ノードラッグです。クリーンです。暴れて何か壊すことも、もうありません。だから今こうしてバンドをできているんだなということを僕は今すごく感じていますね。人を裏切りたくないという気持ちが一番にある。暴れるのはステージの上だけ。気が付いたらみんな裸だもんね。なかなか珍しいバンドだよね。レッチリ(Red Hot Chili Peppers)と一緒(笑)。

──バンドの方向性としてHIRØさんから「こういう音を作ろうよ」みたいな話し合いはあったんですか?

HIRØ こんな素晴らしいプレイヤーたちが集まっているので、僕がどうこう言うより、みんなの生み出す音の中にどれだけ自分のリリックを差し込んでいけるかという感じでしたね。

CHARGEEEEEE HIRØさんの口から「この曲はメタルっぽくしよう」とか「ハードコアっぽくしよう」みたいなことは言われたことないですね。感じたまま、出たとこ勝負で。

REDZ 僕もTATSUも付き合いが長いので、「たぶんHIRØは絶対こういうのが好きだろうな」とか、「きっとこういうのが欲しいんだろうな」というのは自分なりにわかってるつもりで。ボーカルをメインに考えるから、「どうしたらHIRØの歌がもっと映えるかな?」ということは常に意識はしますね。

HIRØ 長野の合宿で「せーの!」で出せるものを出して、次にそれを楽曲としてレコーディングする際、もう一段階考えなきゃいけなかったわけだけど、そこで一番大変なのはTATSUだと思うんです。TATSUがいなければ、ただの「せーの!」で終わっちゃってたよね?

TATSU みんなの思ってるイメージを、自分なりに「こんな感じでどうかな?」って。

REDZ TATSUはギターだけじゃなくてトータル的に見てたもんね。サウンドの細部の細部まで。

HIRØ しかもコロナ禍の真っ只中、みんなリモートでしかできなかった環境で。

REDZ 自宅で毎日没頭して作業してるから、「電磁波がすごい」ってTATSUは言ってたよね。

TATSU エディット作業はそんなに得意でもないので、非力ながらに長時間向き合いました。

HIRØ なんだかみんな仲よくここまでやってきたふうに話してますけど、制作中に「てめえこの野郎!」ということも全然ありましたからね(笑)。それもあったうえで、よくここまできたよね。でも、それは音楽的なことでのぶつかり合いだから、そこを我慢しないで気持ち悪いことは気持ち悪いってみんなが言えるのがすごい。そこは大事じゃないですか。さっき言ったようにアティチュードだけだった僕が楽曲をアートに昇華するためには妥協しちゃいけない。妥協した瞬間、アートは死ぬと僕は思っているので。だから、「『ああしとけばよかった』が絶対ないように」というのをみんなの念頭に置いて、アートとして楽曲を仕上げようって。

REDZ そのHIRØの信念があったから、よかったと思う。本当だったらもっと早くアルバムを出すタイミングもあったと思うんですよ。八分だけど出しちゃおうかとか。でも、そこを妥協せず、ここまで時間をかけたおかげで、いいものができたなって。

HIRØ ワナビーじゃなく、アティチュードだけでもなく、「ちゃんとアートを創る“アーティスト”になりたい」ということだよね。だから映像についても園田監督と恐ろしいぐらいやり取りをしたし、1時間ぐらい何も言葉を発さずにらみ合っていたこともあるんで。

TATSU 強烈な信念があるからね。僕自身も気合を入れて執念でやるほうなんですけど、最後は本当にHIRØの信念だけが力になったし。

REDZ そうだったよね。

HIRØ だって、このメンバーで作って下手なもの出したらそれこそ申し訳ないから。