「ウワサの真相」の真相
──1999年にヒップホップ雑誌「blast」にTHA BLUE HERBの特集が掲載されて、そこでBOSSさんは「俺が志してるアートとは到底言えない」とRHYMESTERや当時の同業者たちに批判的な発言をしています。
tha BOSS 今振り返ると不用意な発言だったとも思う。でもあの頃はイチかバチかで打って出たって感じだよ。「カマすしかねえ」って感じだったよね、自分の中で何年も燻って溜まってたことを全部言って。今、Dくんが言っていたような、RHYMESTERも当時の東京で疎外感を感じていたなんて夢にも思ってなかったし。そもそも、当時の俺は、東京っていう街が渋谷だけじゃなくていろんな街の集合体だってことすら知らなかった。で、そこの代表がRHYMESTERやYOU THE ROCK★だと思ってたし、それぐらい雑な感じだったよね。
──RHYMESTERが2001年に発表したアルバム「ウワサの真相」で、Dさんは「知ったかぶったブスとカスどもがありがたがるミスターアブストラクト」と、いわゆるサブリミナルディスをしました。やはり「blast」でのBOSSさんの発言がその動機としては大きかったんですか?
Mummy-D あの発言を直接読んではいなかったけど、そういうのってだいたい、周りのいろんな人が教えてくるじゃん。「言われてますよー」って。やっぱり悔しい気持ちはあったよね。
──でも、「ウワサの真相」が世に出たのはBOSSの一連の発言の2年後なので、少し時間は空いてるんですよね。
Mummy-D だから、正式にはあれはアンサーじゃないんだ。THA BLUE HERBの作品は聴かないようにしてたし、あの歌詞もボンヤリしてるじゃん? 実はあの曲は宇多丸が先に「ウワサの真相」ってタイトルでヴァースを書いてきてたんだ。で、「俺は何を書こうかな?」ってところから始まってて。当時、某Webメディアの取材で編集部の人から「RHYMESTERは『耳ヲ貸スベキ』までですね。『B-BOYイズム』以降はダメだ」みたいなことを言われて。なんかすごいアンダーグラウンド嗜好な人だったんだよ。それで「なんだよ、アンダーグラウンドじゃないといけないのかよ」みたいにモヤモヤしてたんだ。「アンダーグラウンドだから」って理由で崇めているようなリスナーもイヤだったから、ああいう言い方になってるんだよ。
tha BOSS それはわかる。そこは俺にとってもクリティカルな話で、よく理解できたよ。
Mummy-D だから、本当のところはアンサーじゃないんだよ。実際のところTHA BLUE HERBに対して悔しく思ってた気持ちはあったからああいう内容になったけど。
tha BOSS 俺がRHYMESTERに対して言ったときと同じような感じで、自身の人格を攻撃してたわけじゃなく、その周りの大きな“空気”が対象だったんだと思う。
Mummy-D そんな感じだったね……それが「ウワサの真相」の真相(笑)。でも、こういうビーフの話ってみんな大好きだからさ、どんどん尾ヒレが付いていって話が大きくなっていって、いろんなところで気を使われたりしたね。でも、スタイルのディスり合いでも人格攻撃でもなかった。あと、RHYMESTERもTHA BLUE HERBも“群れない”人たちだったから。
tha BOSS うん、“個”の話だったしね。
Mummy-D 周りにクルーがいるとやんややんや、めんどくさいことになるじゃん? それがなかった分、根と傷は浅かったかな……そもそも会ってさえいなかったんだけどね(笑)。でも、俺がずっと勘違いしてたのは、結果的によかったと思うんだよ。「ギャハハハ」って笑えるし。
tha BOSS 「その瞬間全てが溶けて流れて消えたんだ」ってDくんの歌詞の通りだよ。なんか、本当にウケたね(笑)。
時間が2人を“戦友”にしてくれた
──「ウワサの真相」の翌年の2002年、THA BLUE HERBの2nd「SELL OUR SOUL」収録曲でBOSSさんはDさんにアンサーを返します。
tha BOSS 最初に「blast」で発言したときはすごい離れたところから吠えていたけど、このときには俺たちもラップでディールがちゃんとできてて、お互い影響力を持ちながらやり合えてるっていう意味ではすごい気持ちも上がってたし、ワクワクしてたね。でも、その頃にはもう、そうやってぶつかり合いを追求しすぎるとどんな結果を招くか、ということもわかってたから、緊張感は保ちつつうまく収めたいとも思ってた。TOKONA-Xとも一時期いろいろあったけど、その後、彼は死んでしまったから、そういうこともあると考え方も少しずつ変わっていく。TOKONA-Xとは死ぬ前にちょっとだけいい感じで話せて、誤解は解けたんだけどね。
──TOKONA-Xの死は、Dさんに限らずBOSSさんがこれまで因縁のあったアーティストたちとの関係性を見直す機会になったと思いますか?
tha BOSS 絶対あると思う。人生観に影響してると思うし。「今のうちにやっておかないとね」というか。一緒に曲作ろうって話してたDEV LARGEの死とかもそうだったし。
──今話していただいた遺恨は、今となっては、お二人の長いキャリアの中では非常に短い期間に起こった話です。これ以降もRHYMESTERとTHA BLUE HERBはキャリアを進めていくわけですが、BOSSさんの中ではずっとこの当時のことが頭に残り続けていたわけですよね。
tha BOSS 後悔していたわけじゃないんだけどね。B.I.G.JOEと一瞬モメて、でもそのあと一緒に曲を作れたり、ユウちゃんとも一緒にアルバムを作ったり、そういったことが起きるたびにDくんのことは思い出した。何ならRHYMESTERの「ONCE AGAIN」を初めて聴いたときも、Dくんとの間に起きたことを思い出した。自分が発した言葉って返ってくるからさ、ラッパーって大変なんだよ。ハードな言葉だし、そこに俺自身もそれなりにとらわれたり苦しんだりした。俺は少なくとも自分が今までディスってきた相手に対して自分から清算するべきだって思ってた。
Mummy-D RHYMESTERに関しては、常に新しい課題が見つかっていってたから、この件を引きずり続ける余裕はなかったんだよね。2000年代の前半で日本語ラップバブルみたいなのも終わって、レコード会社のいろんなやつから「お前が投げてるところにもう客なんかいないよ」って言われたし。そうしたら「“個”が強くならなくちゃダメなんだ」って思ったり。自分たちにとっての課題を見つけないとダメだと感じてた。アメリカのシーンを見ても参考にできるアーティストはもういなかったし、周りの同世代のラッパーもどんどん元気をなくしていってた。でも、それがこの件の冷却期間というか、凍結期間みたいになって、いい感じに時間が経っていったんだよね。「BOSSはBOSSの戦いをしてるんだな」って認識だったし。時間が勝手に、お互いを“戦友”にしてくれたんだ。だって、もう残ってるの俺らだけなんだから。
tha BOSS ありがとうございます。
Mummy-D 残ってる者同士だったら、お互いこれまでどれだけ大変だったかなんてわかるじゃん。
tha BOSS はい。
Mummy-D 戦い方は違ったけど、そうなるともう、20年以上経ったらリスペクトしかないよね。そんなタイミングで“再会”できたんだよ。……でも、それが“再会”じゃなかったという(笑)。
ついに果たした「共演」
──2016年に“再会”し、2020年に渋谷で飲んだことが今回の共演の契機となったようですね。渋谷で飲んだときはどんな話をしたんですか?
tha BOSS まあ、その“再会”の答え合わせだけで1時間は費やしたと思うけど(笑)、「曲もやろう」って話にすぐなったよ。渋谷の居酒屋で飲んだんだけど、「その居酒屋に向かうときの気持ちを曲にしたい」と思って、その時点でDくんには伝えてたんだ。
──「STARTING OVER」は2人のヴァースが交互に展開されていく、文通のような形式になっていますね。
Mummy-D ビートもピンと張り詰めたトーンだったから、ラップを入れるときは並じゃない緊張感だったね。テンポも遅いし、BOSSの言葉に負けない言葉でやらないといけなかったし、あとは二十数年分の思いをどう込めるか、とか。歌いたいことや話したいことが山ほどあるから、すげえスルスルっと書いた気がするなー。
──僕含め、僕世代のこじらせてきたヒップホップヘッズの多くは、「このやりとりがあと5~10分続いてほしい」と感じると思います(笑)。
tha BOSS ヘッズだね(笑)。
──すごくエモい曲なんですけど、2人ともすごくうれしそうなのが曲から伝わってくるから、そう感じるんだと思います。
tha BOSS Dくんのヴァースが返ってきたとき、こんなに熱いものが来ると思わなかったからビックリしたんだ。Dくんのラップが倍速っぽくなったり高まっていくところとか、めっちゃエモい。「ここまで言ってるMummy-D、今まで聴いたことなかったな」ぐらい。だから、俺もすごくうれしかったし、「みんなも喜ぶぞ!」って思ったね。
──ついに共演を果たした今、お互いをラッパーとしてどう見ていますか?
tha BOSS 今回の共演は熱かったね。「バリバリ、フレッシュじゃん」って。このフレッシュさと熱さがまだDくんを形作ってるのを知れて、とてもうれしかった。
Mummy-D 今回のBOSSのラップからは影響を受けたね。去年、一番影響を受けたかもしれない。LIQUIDROOMにTHA BLUE HERBの年末ライブを観に行ったんだ。マトモに彼のライブを観たことがなかったし、もし観たことがあるなら、すでに会ってるんだから(笑)。ステージ運びやMCからの曲への持って行き方、ラッパーとしての身のこなしとか。録音物でも研究対象として「この人はリズムに対してどうアプローチしてるんだろう?」って考えるのが面白いんだ。ギリギリ、ビートに対して媚びないけど自由すぎず、ラップのリズムから“不良性”を感じる。それで、俺もただタイトでリズミカルなだけのラップだとダメだと思ったんだ。
tha BOSS なるほど、それ、(曲に)出てる。
Mummy-D 「どうやら(リズムを)外すことによってそれが出てるらしいぞ?」とか。
──お二人のストーリーはこれからも続いていくわけですよね? それこそ、また共演する可能性だってあるし、ライブではまだ一緒にステージに立ってないわけですもんね。
tha BOSS 確かに。
Mummy-D 2人ともまだ現役だしね。引退に片足突っ込んじゃってたら、こんなフレッシュにできなかったよね。
tha BOSS Dくんのヴァースで「俺たちにはまだシーズン2がある」ってラインの通りでさ、この歳までやってきて、何かまた新しく始まるって感覚にワクワクしてるよ。昔ヒップホップ聴いてて、それこそこじらせてた人とか、もうヒップホップから離れた人とかにも届くことを願ってやまないね。シナリオはまだ続いてるんだ。同時に今は簡単に勝ち負けを付けることがトレンドになってたりもするけど、こうやって長い時間をかけて勝ち負け自体を超えていく、こういうヒップホップもあるって知ってほしいね。
tha BOSS ライブ情報
tha BOSS「IN THE NAME OF HIPHOP II」 RELEASE LIVE
- 2023年5月31日(水)東京都 LIQUIDROOM
- 2023年6月2日(金)大阪府 FANDANGO
プロフィール
tha BOSS(ザボス)
THA BLUE HERBのラッパー・ILL-BOSSTINOによるソロプロジェクト。2015年10月に1stアルバム「IN THE NAME OF HIPHOP」を発表した。2023年4月に約7年半ぶりのアルバム「IN THE NAME OF HIPHOP II」をリリース。同年5月に東京・LIQUIDROOM、6月に大阪・FANDANGOでアルバムのリリースライブを行う。
TBHR [THA BLUE HERB RECORDINGS]
Mummy-D(マミーディー)
RHYMESTERのラッパー、プロデューサーで、グループのトータルディレクションを担う司令塔。1989年に宇多丸と出会い、ヒップホップグループ・RHYMESTERを結成し、日本のヒップホップシーンを黎明期から開拓・牽引してきた。ビートメイカーとしてもヒップホップ界でクラシックと呼ばれる人気曲を多数生み出した。