ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)のソロプロジェクト・tha BOSSによる2ndソロアルバム「IN THE NAME OF HIPHOP II」が4月12日にリリースされた。
2015年10月発表の「IN THE NAME OF HIPHOP」から約7年半ぶりのソロアルバムとなる本作。名だたるラッパーやビートメイカーが参加しているが、過去にBOSSとビーフを繰り広げた因縁を持つMummy-Dとのコラボが特に大きなトピックだ。
音楽ナタリーではBOSSへの単独インタビューでアルバムの内容を深掘りしつつ、さらにBOSSとMummy-Dによる対談をセッティング。2人が繰り広げた日本のヒップホップ史に残るビーフの真相を語ってもらった。
取材・文 / 伊藤雄介 撮影 / cherry chill will.
tha BOSSソロインタビュー
呼吸のように曲を作れるモードを維持してる
──2021年にdj hondaとのコラボアルバム「KINGS CROSS」を発表してはいますが、純粋な意味でのソロアルバムとしては約7年半ぶりとなります。この2、3年はコロナ禍で、THA BLUE HERBとして2020年に発表したEP「2020」は正にそういった状況が反映された作品でした。この数年を振り返っていかがですか?
俺らは自主制作だから、自分らで頭を使ってやれることやった。ライブも数こそ少なかったけど、配信も含めていろんなチャレンジをしたね。だから、活動という意味ではここ数年間はそんなに変わらなかった。世の中はなかなかハードな状況、見方を変えればどんどん面白い状況になってきてる。日本もどんどん壊れていって世界もどんどんヤバいことになっているという“狂想曲”の世の中だからインスピレーションを受けることが、平時より多い。だから、作品数も増えたね。人それぞれいろんなことが起きてるとは思うけど、俺らは別に変わらず、楽しく忙しくやってたって感じ。なかなかこんな時代、生きられないでしょ。っていうかね、俺たちの世代、生まれてきてからずっと日本は調子よかったけどさ、どこかを頂点としてだんだん落ちてきたワケじゃん? 上がってるときに作るヒップホップもよかったけど、枯れていく状況と自分が歳を取っていくことが同時進行で起きてて、今もここでヒップホップをやってる。よりハッスルしなければダメなワケじゃん? それはそれで難しいけど楽しいから、フレッシュな感じで挑めてる。
──tha BOSS名義での1stアルバムである「IN THE NAME OF HIPHOP」は2015年にリリースされて、あの時点ですでにキャリア20年超だったBOSSさんが満を持して発表した初ソロアルバムという位置付けでした。近年の活発な活動は、「IN THE NAME OF HIPHOP」を出したことが1つのキッカケになったのかなと思うのですが。
そうだと思う。O.N.Oと2人だけで作るという長年のTHA BLUE HERBの「型」から外れたわけだしね。
──「IN THE NAME OF HIPHOP」を出したあと、すぐに「またソロを作ろう」という意識が生まれたんですか?
いや、あのあとに30曲入りのアルバム「THA BLUE HERB」(2019年発売)が来ちゃったからね(笑)。だから、ソロ制作の意識が生まれたのはその「THA BLUE HERB」ができたあとだね。それぐらいの頃に「O.N.O以外の人とまた作るのもそろそろアリかな」ぐらいは考えていた。でも、ソロアルバムは共演者、プロデューサー1人ひとりと関係性を作って、全部話をつけたうえでやるわけじゃん? その辺の仕事も全部俺がやらなくちゃいけないわけだし。それもハッキリ言って超ハードな仕事なんだ。だから、そんな簡単に「またソロアルバムを作ろう」とは思わなかった。
──出発点は、いつ頃、どの曲だったんですか?
2019年に「THA BLUE HERB」をO.N.Oと作り終わったあと、INGENIOUS DJ MAKINOから「サウイフモノニワタシハナリタイ」のビートが送られてきて。俺はそのビートの元ネタの曲がめちゃくちゃ好きだったんだ。INGENIOUS DJ MAKINOは昔から「これ、BOSSに合うと思うよ」みたいな感じでビートを送ってくれてて、このビートもそういう感じで送られてきた。で、再生したらそのネタで、「コレはヤバい! コレはすぐ作る」ってなって録ったんだ。でも、その時点では「この曲だけ7inchにして、裏面はインストを入れて出そうかな?」ぐらいの感じ。そういうことを最初に始めて、少しずつ「じゃあ、もう1回アルバムやってみましょうか」みたいなノリになったのかもしれない。1人ひとりと1曲ずつ、最高な曲を作るっていうね。
──THA BLUE HERBが密度の濃いアルバムを時間をかけてガッツリ作ってきたイメージがあるからか、ソロの楽曲制作はグループでの動きよりカジュアルにできているのかな?という印象があります。
今回はそういう感じだった。それはやはり「IN THE NAME OF HIPHOP」を出したときに、そういうスタンスでも楽しく作れることを知ったということもあるし、30曲もO.N.Oと作ったから「全然、もっと曲作れる」みたいなモードにも入れた。
──30曲も作ったことで燃え尽きたのではなく。
20曲ぐらいでやめてたらそうなってたかもしれないけどね。でも、30曲までいくと呼吸のように曲を作れるモードに入って、今もその状態を維持してる。なんか、その状態から落ちるのもイヤだし、やっぱずっと回転してるほうがいいじゃん? だから、hondaさんとアルバム1枚作ってる途中に今作のリリックを書いてたし。そういうふうに続けていったほうがいいかなって。
「これしかない!」ってトラックでしかやりたくない
──ビートの選び方においてソロ作とTHA BLUE HERBでは違いがありますか?
あんまりないかな。でも、1人と1曲ずつしか作れないから、「これしかない!」ってトラックでしかやりたくないという気持ちはあるね。今作は基本、一期一会の世界だから「絶対コレでやりたい!」と思えるトラックを特に求めた。その結果、曲作りまでいかなかった相手もいる。そういう意味では俺の好みだしエゴの世界なんだけど、そこはソロアルバムということでめっちゃ追求させてもらったね。1曲入魂でいきなりハマったトラックもあるし、何回やってもらっても結局ハマらなくてダメだったり、作ったはいいけどアレンジ面でいいのができなくて最後まで行けなかった曲もある。多分、300曲ぐらいは聴いてるかもしれないね。
──BACHLOGICとINGENIOUS DJ MAKINOの2人は2曲提供してますが、確かにそれ以外のプロデューサーは1曲のみの参加となっていますね。
できるだけたくさんの人とやりたかったんだけど、その中でもあの2人の持ってきてくれたビートはやっぱすごいもんね。
──「このビート」というよりも「このビートメイカー」というのがまずありき、という感じですか?
そう。基本的には友達、ヒップホップの旅で出会った人たち。ライブ先とかで出会って「今度一緒にやろうよ」とか、よくある話じゃん? そういう中からタイミングがパチっと合った人たちがほとんどだよ。
──今の時代、ネットを介して知り合いでなくても一緒に音楽を作ることはできますが、そういう有機的な出会いを今でも大事にしているわけですね。
それは基本でしょ。そこが楽しみで、ソロ作を作るそもそもの目的だったりもする。俺も相手のことを知りたいし、俺のことも知ってほしいし認めてほしい。俺自身、今回参加してもらった人たちのファンでもあるしさ。
──ということは、めったに表舞台に出てこないBACHLOGICとも直接会っているわけですね。
BLくんは、「Life Story」のミュージックビデオを撮ったときに、ZORNと一緒に札幌に来てくれたんだ。
で、みんなで遊んだんだよね。実はBLくんが大阪に住んでいたときに彼の周辺にいた人たちが、俺が大阪行ったときにツルんでた人たちとちょっと被ってたりもしてて、同世代感もあったから「今度は絶対お願いします」って感じだったね。
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がんばれる理由は同業者の存在