tha BOSS × Mummy-D対談
実は2016年まで会ったことがなかった2人
──過去にBOSSさんとMummy-Dさんの間にどんな因縁があって今に至るかという詳細を、ここでは時間、字数ともに細かく答え合わせすることは難しいです。細かい経緯については、ファン / リスナー目線から振り返ったSAPPORO POSSEさんの記事を参照していただければと思います。今作に収録されているお2人の共演曲「STARTING OVER feat. Mummy-D」のDさんの1stヴァースでは「北の地下のクラブで僕らは出会った / 時は'95 / 共に語り合った / はずだった」というラインがありますが……このラインのあとに「それが全て記憶違いだったと分かったのは25年後の渋谷であった」と続きます。
Mummy-D 1995年のFG(FUNKY GRAMMAR)のツアーで、RHYMESTER、RIP SLYME、MELLOW YELLOWが札幌に行ったとき、お客が10人ぐらいしか入らなかったんだけど(笑)、O.N.Oちゃんが遊びに来てたんだ。その前後の時期にTHA BLUE HERBのデモテープはもらって聴いてたんだよね。
tha BOSS ユウちゃんのラジオ番組(「YOU THE ROCKのHIP HOP NIGHT FLIGHT」)宛に送ってね。
Mummy-D それでO.N.Oちゃんが回してるクラブに行って、そこで飲んでたんだけどさ、俺がバーカン前でずっとフリースタイルしてたらラッパーが入ってきて、そいつと一晩中フリースタイルしたんだ。……で、俺はそれがBOSSだとずっと思ってた(笑)。
──……その時点でDさんは酔っていた?(笑)
Mummy-D 酔ってた酔ってた(笑)。
──じゃあしょうがないかー(笑)。
tha BOSS いや、しょうがなくないよ(苦笑)。でも、面白いよね。最初からボタンがかけ違ってスタートしてる(笑)。俺はO.N.Oがそのイベントに行くって話は聞いてたんだ。O.N.OはRHYMESTERの1stアルバム「俺に言わせりゃ」もめっちゃ好きだったしね。で、その翌日にO.N.Oが働いてたお店に行ったら「昨日、RHYMESTER来たよ」って。だからDくんは俺と会ってたつもりでいたけど、実は会ってないんだよね。
──ということは、それ以降、2010年代に入るまで直接会ったことがなかったんですか……?
Mummy-D (小声で)会ってない……。
──ウソでしょ(笑)。
tha BOSS 士郎くん(宇多丸)は1999年に俺が東京でライブやったときに観に来てくれてたし、DJ JINくんはクラブや仕事先で会ったりしてたけど、Dくんとは2016年に福岡の「Sunset Live」で初めて会った。でも「ひさしぶり!」って言われて(笑)。
──BOSSさん的には「いや、会ったことないけど……」みたいな(笑)。
tha BOSS で、2020年にcherry chill will.が設けてくれた飲みの席で「会ったじゃん!」「会ってないっすよ」って(笑)。で、そこから2人で答え合わせしていくんだけど、Dくんが一緒にフリースタイルした相手はB.I.G.JOEだったんだ(笑)。だからDくんからしたら、そのあとに俺が調子こいてオラオラでやったときも、「なんで会ったことあるのにそんなこと言うんだよ!」みたいな感じだよね(笑)。こっちからすると、そういうやつだと思われてたとしたら、それはそれでイヤなんだけど(笑)。
Mummy-D 「こっちは会ったことあるし、ラジオでデモとか紹介したのに、なんで急にディスってきたんだよ!」って。2020年にBOSSと飲んだときにも「会った!」「いや、会ってない!」って言い合ってたんだけど、同席してたcherry chill will.くんに「地方にいる人間からすると、当時東京から来たラッパーに会ったことなんて絶対忘れないですよ」って言われたし、BOSSも「俺は一度でも会ったり友達になった人間相手にそんな戦い方はしない」って。
tha BOSS できないよね、普通はね(笑)。
Mummy-D 「じゃあ、(記憶が違ってたのは)俺かー!」って(笑)。笑っちゃったよ。
──この答え合わせは、当時の一連のビーフを知ってる人にとっては衝撃すぎる真相です(笑)。
tha BOSS すごいよね? その小さなボタンのかけ違いの先ではいろんな人たちが翻弄されたのに(笑)。
──1996年のラジオ番組「YOU THE ROCKのHIP HOP NIGHT FLIGHT」内のデモ紹介コーナーで、DさんはBOSSさんの「悪の華」を紹介し、1996年発表のRHYMESTERの楽曲「耳ヲ貸スベキ」でも「北の地下深く技磨くライマー」とBOSSさんにエールを送ってます。当時、BOSSさんはどう感じましたか?
tha BOSS うれしかったよ。あの時代、プレイヤーは少なくてアルバムまで出してる人も少なかった中で、札幌にいた俺らからしたら、RHYMESTERやユウちゃんたちはケタ違いの規模の世界にいた人たちだったんだ。でも、一方で同世代という意識もあったし、田舎者のルサンチマンと言ったらそれまでなんだけど、なんとも言えない負けず嫌いな感情が俺を支えていた時期でもあったんだ。貧乏だったし。うれしかった反面、それで何かが変わることもなかったから、ただひたすら蜘蛛の糸みたいのにつかまりながらストラグルするのに精一杯な時代だった。だから、あの頃のDくんたちの思いをキレイに受け止めて、ポジティブに返すことができたかというと、できなかった。そういうのもあるから今日があるんだけどね。
Mummy-D 当時はまだデモテープも多くなかったし、クオリティ的にも番組内で紹介できる音源もそんなになかったから、すごくカラーのあるラッパーだと思ったよね。あの当時、北海道に知り合い、まだいなかったと思うんだ。そんな中、初めてできた友達がO.N.Oちゃんと……BOSSだと思ってたんだけど(笑)。
tha BOSS 俺からしたら「会ったこともないのに、なんでここまで言ってくれるんだろ?」って(笑)。
Mummy-D でも、2016年まで1回も会わなかったのもすごいよね。無理やり会わないようにしてたとかもまったくないし。
tha BOSS こないだ福岡で聞いたんだけど、実は2016年の「Sunset Live」で俺たちが同じフェスに出ることに対して、主催者側は心配してたらしいよ。
Mummy-D この二十数年の間、無数の忖度が存在していたのかもしれない……(笑)。
ニューヨークからしたら東京だって地方都市の極み
──その後、1998年にTHA BLUE HERBは1stアルバム「STILLING, STILL DREAMING」をリリースします。あのアルバムで直接的にRHYMESTERに言及しているリリックはないですけど、先ほどBOSSさんがおっしゃっていたようにくすぶっていた時期だっただけに、当時の東京を中心としたシーンに対して敵対的な姿勢を取っていました。
tha BOSS あの頃の俺って、自分の人生において、マジで生きるか死ぬかギリギリの状況だったからね。だからノコノコ出てって東京の同世代のラッパーたちと友達になるって選択肢は考えられなかった。「今はそういうときじゃないし、今は俺たちのことをシーンに知ってもらうときだ」って思って、そこに賭けてたよね。
──当時は、THA BLUE HERBを筆頭に東京以外の地域から台頭してくるアーティストが増えてきた時期でしたけど、どうしても「東京対地方」みたいな構図が出てきてしまってて、地方のアーティストでルサンチマンをぶつける対象として東京勢を仮想敵と位置付ける人もいた。その一方、Dさんはいろんなところで地方勢にエールを送り続けていたわけですが、Dさん自身は地方勢のくすぶりをどう感じていましたか?
Mummy-D 「レペゼン」って言葉が流行ったじゃない? あれでみんな、地元をレペゼンしないといけない空気になったんだよ。それはいいことな反面、「お前らは地元を盛り上げていけよ!」みたいに、その土地に縛りつけることでもあったんだよね。だから、そういう意味で今から考えると酷な言葉でもあったな、って思ったりもする。BOSSにとっては俺らのことをキラキラした中央の存在、みたいに見てたかもしれないけど、俺らは俺らで、外タレの前座に出たりするとひどい扱いを受けてた時期なんだよ。ニューヨークというメッカからしたら、東京だって地方都市の極みみたいなモンなわけじゃん? あと、そもそも俺自身がレペゼン東京じゃなかったし。自分たちの音楽的スタンスから言ってもディスられることが多かったから、自分たちが主流だっていう意識すらなかった。
tha BOSS 俺からしたら、そういう部分は見えてなかったよなー。
Mummy-D だから、地方の子たちを見ても昨日の自分のようにしか見えなかった。俺らもひがみのパワーだけでやっていたようなモンだからさ(笑)。ただ、実際に地方営業に行ってひどいことをやってた東京のアーティストもいっぱいいたからね。
tha BOSS そういうことも多々あった。でも、RHYMESTERはクリーンなグループだったよ。
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「ウワサの真相」の真相