ハジ→|原点回帰の夏 誰かの隣にいるような存在でありたい

シンガーソングライターのハジ→が、8月4日に新曲「来年の夏。」を新たなデジタル音源流通サービス・SOUNDALLYからデジタルリリースした。

“ハジ→の日”である8月4日に発表されたこの曲は、大切な人と会えない寂しさをまっすぐに歌ったバラードナンバー。「来年の夏こそは 僕らまた会おう」というハジ→の切実な思いが、シンプルなピアノの伴奏に乗せてリスナーに語りかけるように歌われている。音楽ナタリーでは同曲のリリースを前に、東京は吉祥寺にある彼がプロデュースを手がけているレストランバーを訪問。「来年の夏。」は自身にとって原点回帰となる曲だと語るハジ→に、自らの音楽活動の原点や新曲制作の経緯などについて詳しく話を聞いた。

取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 岩澤高雄

誰かのために歌う歌

──今日取材で訪問させていただいた場所「ISLAND∞TRAVEL。(アイランドトラベル)」は、ハジ→さんがプロデュースしているレストランバーなんですね。店名には何か由来があるんですか?

最初にこのお店を見たとき、小さな島に1軒だけある飲食店みたいなイメージが浮かんだんです。もともと20年ぐらいやられていたハワイアン系のお店だったんですけど、2018年の終わり頃、オーナーさんから「あと2、3カ月で閉店するのよ」とお話を伺って。それで僕が引き継がせていただき、内装などもリニューアルして新たに僕のお店としてオープンしたんです。お店の一番奥にあるステージのバックに描かれているペイントは、前のオーナーさんが描いたものをそのまま残したものです。

──「ISLAND∞TRAVEL。」はコロナ禍の影響で昨年末から7カ月以上休業されていたとか。

そうなんです。コロナ禍ということもありお酒の提供やバー営業に制限があるので、ランチとディナーに営業できるよう、7月に、ちょっと贅沢な大人のスペシャリティー肉食堂「Meat Eat UP↑↑吉祥寺。by ISLAND∞TRAVEL。」としてリニューアルオープンしました。吉祥寺に来られた際は、よかったらぜひいらしてくださいね!!……ってお店の宣伝みたいになっちゃいましたが(笑)。

──ははは。というわけで8月4日の“ハジ→の日”に、1年2カ月ぶりの新曲「来年の夏。」がリリースされました。SNS上ではすでに「君へ。」と題した手紙をつづる動画を公開して、この曲に対する思いを明かされていましたね。

はい。デビュー当時以来、ひさしぶりにファンのみんなにこういった形で手紙を書いてみました。それもあって、この曲は僕の中では原点回帰という意識があります。

──今日は「原点回帰」をキーワードに改めてハジ→さんの歩みを振り返っていけたらと思うのですが、そもそも音楽活動を始められたきっかけはなんだったんでしょうか?

ハジ→

最初はGLAYさんに憧れて。高校1年生の時にバンドを組んで、高2の文化祭を目指して練習したのが、僕の音楽活動の始まりです。「BELOVED」や「HOWEVER」、「ずっと2人で…」といったヒット曲やインディーズ時代の名曲などもたくさんコピーさせていただきました。当時はヴィジュアル系のバンドが流行っていたので、僕も前髪を下ろして、顔にファンデーションを塗っていました。それでバンドで歌っているときに、スポーツ選手でいうゾーンに入ったみたいな、それまで感じたことのない感覚を覚えたんです。直感的に「これが僕の仕事になったらいいな」と思いました。

──オリジナル曲を作ったこともあった?

はい。鼻歌レベルですけど、1、2曲作ってメンバーにコードをつけてもらって作りましたね。でも高校を卒業したあとはバンドが解散になって。そこで僕はいったん音楽活動をしなくなりました。仙台の大学に進学するんですけど、もともと極度の人見知りだったので、音楽サークルに自分から「入れてください」と言ったり、バンドメンバーを募集したりとかもできなくて。

──そうだったんですね。でも音楽自体は好きだったんですか?

はい。僕が大学1、2年だった当時は、Dragon Ashさん、ケツメイシさん、RIP SLYMEさんといった日本語ラップの方々がすごく流行っていて、僕もラップに興味を持つようになったんです。海外のものも含め、ブラックミュージックを聴き始めて。2Pacさんとかノトーリアス・B.I.G.さんとか。その流れで大学卒業後、24歳くらいから仙台のクラブシーンで歌うようになりました。2、30人しかお客さんのいない、平日のクラブで。

──そのときは先に挙げられたラッパーたちのように「俺はすごいぞ」みたいな、強気な歌詞の曲を歌われていたんですか?

やっぱりブラックミュージックには反骨精神みたいなものが根底にあるので、自然と自己主張の強い感じになりましたね。ダボダボの服を着て、髪型もアフロにしたり、かと思えば坊主にしたり。「あなた。」という曲(2012年発表)のミュージックビデオにも、そのときの写真が使われています。

──その後はどのような変遷をたどっていったんでしょう?

そうやって音楽活動を続けていたある日、友達から「自分の経験を歌にしてほしい」という相談を受けたんです。その子は片思いしていたんですが、その体験談を元に初めて人のために曲を書いて。それが「sumire。」(後に2014年に5thメジャーシングルとして発表)なんですが。

──曲を書いたことでご自身の中で変化があった?

はい。その曲に対してはそれまで得たことのないレスポンスがあって、「僕は自分のためじゃなく、誰かのためになる音楽を歌いたいんだ」と気付けたんです。自分にとってはすごく大きな変化でしたね。で、次に生まれたのが、親友に対する「出会ってくれてありがとう」という思いを書いた「おまえに。」(後に2010年リリースのミニアルバム「ハジバム。」に収録)でした。

──「おまえに。」は、ハジ→さんの代表曲といえる楽曲ですよね。

そうですね。ライブでも定番の曲になっています。今思うと、その2曲を書いたことで、今のハジ→のアイデンティティにつながる「音楽で誰かのためになりたい」という思いがどんどん固まっていったように思います。

どん底にいる人に届けたかった曲

──2010年に現在の名義であるハジ→としての活動が始まりますが、それ以前のアーティストネームはアルファベット表記でしたね。

ハジ→

はい。最初はHAZZIEという名前で活動していたんですけど、事務所が決まってデビューするとなったときに、アルファベットだとカッコよすぎて自分には合わないかなと思い直して。でも、仙台のちっちゃなシーンですけど、それまで5年間活動してきたのに名前の音の響きが変わってしまったら、それまで知ってくれていた人たちは、僕が誰だかわからなくなっちゃうだろうなって。だから名前の読み方は変えずに、でもより親しみを持ってもらえるように、カタカナでハジ→にしました。それなら過去のキャリアもきっと無駄にならないと思って。

──そしてデビュー後しばらくは顔出しをせずに、少年のイラストをアイコンにして活動されていましたが、それにはどんな意図があったんでしょうか?

顔出しをしなかったのは、単純に見た目も含めて自分に自信がなかったからなんですよ。アーティストとしてのオーラが備わってない自覚もあったし。それで事務所の方と相談して、ビジュアルはイラストがメイン、写真も全部後ろ姿。でもライブに行けば会える、ちょっとミステリアスな存在になろうって。だから、戦略というよりは僕自身が振り切れていなかったというか。自分の歌はたくさんの人に聴いてほしいけど、本人の姿は世に知られたくなかったというのが正直な気持ちです。

──なるほど。2011年はインディーズアルバム「ハジバム。」で全国デビューされた年ですが、これから世に出ようと思われていた矢先、3月に東日本大震災が起こりました。あれから10年経ちましたが、当時どのようなことを考えていましたか?

ハジ→

震災のときはやはり胸を引き裂かれるような思いでした。デビュー当時、運よく「おまえに。」という曲がTikTokもない時代に口コミで広まってくれて、レコチョクのダウンロード1位になったりとヒットはしたんですけど、それが僕の中でプレッシャーになって、次にどんな歌を書けばいいかわからなくなってしまい、長い間ひどく落ち込んでしまった時期があったんです。で、そういう自分みたいなどん底にいる人に対して、どんな言葉だったら励ますことができるんだろうと思いながら曲を書き始めて、約2カ月かけてやっとの思いで歌詞を完成させたのが「証。」という歌でした。そして、そのリリースが決まったタイミングで震災が起きた。一時はこの曲を発表していいのだろうかとすごく葛藤したんですが、それでもこの曲をまず震災で苦しい思いをしている人たちに届けたいと思って。リリースに先駆けてリリックビデオをフルでYouTubeにアップしたんです。当時はいきなり音源のフルバージョンをYouTubeにアップするなんて、どのアーティストもためらいがあってあまりやっていなかったと思うんですが、自分はこの曲をちゃんと聴いてもらいたいと思って決断しました。

──「証。」のリリックビデオは、これまで1725万回以上再生されていて、今も新しいコメントが書き込まれていますよね。ここから多くの方に寄り添い、支えられる歌を作っていきたいという決意も強くなったのではないでしょうか?

そうですね。もともと聴いてくれる人の隣にいるような存在でありたいという思いで活動してきたつもりではあったんですが、その気持ちは強くなりました。Twitterで届いたリプライを全部読んだり、その1つひとつに返事を書いたりもしていました。ただ、その後ライブの規模も大きくなってフォロワーさんも増えていったら、これまでできていたことが現実的に難しくなってしまって。だからそれまで応援してくれていた方々にとっては、「ハジ→が大きくなるのはうれしいけど、ハジ→がどんどん遠くに行っちゃう気がして寂しいかも」という感覚もあったと思うんです。僕自身も活動規模が大きくなることで、いつしか自分のペースがつかめなくなり、「今届けたいのはこれだ」というものが前のようにうまく届けられなくなったという歯がゆさもあった。2年前に事務所を作って独立させていただいてからも現実は甘くなかったですし、すぐにコロナ禍になってしまったり……でも、自分が決断して選んできた道ですし、後悔はないですね。