柴田淳が11月20日にニューアルバム「901号室のおばけ」をリリースした。
柴田がアルバムをリリースするのは、2020年の「蓮の花がひらく時」以来およそ4年ぶり。初めて外部のプロデューサーとして武部聡志を迎え、彼がトータルプロデュースを手がけた今作には、この4年間で柴田が経験した“人生観の変化”が現れているという。
リリースを記念し、音楽ナタリーでは柴田にインタビュー。アルバム完成に至るまでの経緯や楽曲制作に込めた思いを聞いた。
取材・文 / もりひでゆき
あのとき、あきらめた夢を1つ取り戻せた
──柴田さんがフルアルバムをリリースするのは2020年リリースの「蓮の花がひらく時」以来約4年ぶりとなりますが、前作をリリースして以降、いろいろな変化があったようですね。
はい、相当変わりました。まず人生観が変わっちゃったんですよ。自分がいかに幸せなのかをようやく実感してしまって。ある種、達観してしまった感じがあるというか。今はもう、自分がどのくらい恵まれていて幸せなのかを噛み締めながら生きています。
──その大きな変化には、今年3月に救急救命士の国家資格を取得されたことも大きく影響しているのでしょうか。
そうなんです。世の中的にコロナ禍でいろんな動きが止まってしまったとき、自分の年齢的なものも相まって、ものすごく勉強がしたい衝動に駆られたんですよ。最初は管理栄養士の資格を取ろうかなと思ったりもしたんですけど、あるときふと思い出したんです。「そういえば私、救命士になりたかったんだった!」って。学生時代から憧れていた職業がいろいろあったんです。ミュージシャンはもちろんですけど、ほかには刑事にもなりたくて(笑)。刑事はミュージシャンとしてデビューしたあともずっと未練が残っていて、年齢的に受験資格が喪失したときはだいぶ悲しかったです。もし音楽でダメになったら刑事になろうと、心のどこかであきらめていない気持ちがあったのかもしれない。
──元シンガーソングライターの刑事ってだいぶ珍しいと思いますけどね(笑)。そんな憧れの中に救急救命士もあったわけですか。
そうそう。それを思い出したときにいろいろ検索したら、昔は看護師や救急隊としてのキャリアを持った人しか受験資格がなかったんだけど、今は一般の人でも取ることができることを知って。しかも、それを知ったのが資格取得のための専門学校の入学願書受付の締切間近だったんです。だから速攻電話して、数日後に学校見学をして、1週間後には入学試験を受けていました。
──そこから3年間学校に通われ、今年3月に晴れて救急救命士になられたと。
もうね、月曜から金曜までみっちり学校に通い続けた3年間は本当に地獄でした(笑)。人生の中であれほどつらかった3年間はないですね。だからこそ人生観が変わっちゃったんです。だってね、学校を卒業した次の日からは、どれだけ寝ても怒られないわけですよ(笑)。「これからは毎日学校に行かなくていいんだ」と思ったら、本当にうれしくなっちゃって。しかも、戻ってきた私の人生には音楽がある。それが失われたわけではなかったことが本当に幸せだなと実感できました。この20数年、高校時代からの夢だった音楽を生業にしてきましたけど、そこにはいろいろな苦悩もあったんですよ。言ったらつらいことのほうが多かった気もするし。冷静に考えれば、歌手になりたいという夢が叶い、それを20年以上続けられているのは夢のようなことだと思うんです。いろいろな憧れの方と共演することもできましたし。でも、その実感がこれまではまったくなかったんですよね。
──なるほど。3年間のつらい学生生活を経たことで、そこにある喜びやありがたみを改めて感じることができたわけですか。
そうなんです! 16歳の頃の私が今の私の姿を見に来て「うわ、こんなこともできているんだ!」「夢みたいな人生!」とテンション高く言っている感覚ですかね(笑)。だから今まで苦悩を感じていたすべてのことが新鮮で楽しいものに変わりました。ひさしぶりのレコーディングでも感動の嵐でしたし。しかも、今の自分は音楽をやりながら救命士として活動することもできる。あのとき、あきらめた夢を1つ取り戻せた状態で生きていけるわけですからね。それはもう幸せですよ!
相思相愛と言える制作
──そんな大きな変化に向かう最中、今回のアルバムのトータルプロデュースを手がけられた武部聡志さんとの出会いもあったんですよね。
はい。実ははるか前にもお会いしたことがあって、そのときも「いつかご一緒できたら」みたいなお話をしてはいたんです。ただ、そのときは武部さんもお若くて、ご自身曰く「尖ってた」そうだし(笑)、私は私で制作のすべてを自分でやりたいという気持ちが強い時期だったので、お仕事でご一緒することは叶わなかったんです。で、昨年ですかね、武部さんのラジオに出演させていただいたときに再会して。そこでまた「いつか一緒に」とおっしゃっていただいたので、今回の作品でプロデュースをお願いすることにしました。
──柴田さんが外部のプロデューサーを立てるのは初めてですよね。
そうなんです。なんかね、3年間の学生生活から戻って来てみたら、いろんなことのやり方がわからなくなっちゃってたんですよ。言ったら「柴田淳ってなんだっけ!?」みたいな状態(笑)。でも、そんなミュージシャンとして真っ白な状態だったからこそ、制作の環境を変えるチャンスなのかもしれないなと思ったんです。で、ダメ元で武部さんにプロデュースをお願いしてもらえませんかとスタッフに言ったら、すんなりOKをいただくことができて。
──いろんなタイミングがうまく重なったんでしょうね。
ホントにそうだと思う。この3年間は学生生活を送りつつ、それと並行してずっとやりたくても叶わなかったオーケストラとのワンマンライブやお芝居にも挑戦させていただくことができたんですよ。特にお芝居の経験はすごく大きかったなと思います。
──2023年10月に上演された「ETERNAL GHOST FISH」への出演ですよね。
はい。これまでの自分はすべてをセルフプロデュースすることにこだわってきたので、そこでの苦悩があったわけです。すべての案を自分で考え、他者に指示を出し、すべての決定を自ら下す。それによって生まれる責任も全部自分が引き受ける20数年を過ごしてきた。でもね、お芝居では演出家さんの指示に従うわけですよ。自分がどうしたいかは置いておいて、求められたものに応える。よかれと思って自分の意思を出してみても、それがすぐ却下されたりする状況が新鮮で楽しくもありました。
──そこでの経験がプロデューサーを迎えるという下地になったと。
そうそう。舞台への出演が人の求めるものに全身全霊で返すという訓練になったので、武部さんが求めるものをちゃんと受け止められるだろうと。本当にタイミングは今だったんだなって思いました。すべての作業を終えたとき、「自分の好きなようにやらせてくれてありがとう」と武部さんにおっしゃっていただいたんですけど、こちらこそ「ありがとうございます!」という感じでした。真っ白な状態になってしまって、右も左もわからないようなところを助けていただいたわけなので。そういう意味では本当に相思相愛と言える制作だったと思います。
武部さんなら大丈夫だ
──制作のスタートとしては、柴田さんが楽曲のデモを作るわけですよね?
そうです。とは言え曲作り自体、今まで以上にどうしていいかわからない状態だったので、だいぶ青ざめた状態で始めたんですけど(笑)。以前の自分を思い出しつつ、やみくもに20曲くらい作り、そこからアルバムの形にしていった感じでした。せっかく武部さんとやらせていただくのでちょっと冒険してみようと思い、歌詞に関していろいろ意見を言っていただくようにもしたんですよ。でもね、そこはやっぱりダメでした(笑)。
──歌詞に関してほかの方の手が入るのは厳しかったですか。
うん。武部さんから意見をいただいたんですけど、「やっぱりこのままの歌詞でいかせてください」って言うやりとりが2回ほどあって。そこで察してくださったんだと思います。「柴田淳は自由に泳がせたほうがいい」って(笑)。なので歌詞に関しては自分の好きなように書かせてもらいました。ただね、初めてほかの方とご一緒するので、言葉選びで狙ってしまう瞬間があったりもしたんですよ。気に入ってもらえるようなものを書いてしまうというか。そこはかなり気を付けましたね。「いやいや、それじゃダメだ」と思って。アルバムタイトルでもそういう流れはありました。
──ほかのタイトル案もあったんですか?
ありました。ちょっと思い出せないですけど、天文学用語を使った英語表記のものを最初は提示して。狙ってますよねえ(笑)。でもそこで武部さんに「英語にこだわらなくてもいいんだよ」と言っていただけて。別に英語にこだわっていたわけではないんだけど、無意識に狙っていたんでしょうね。そこで「ハッ!」として、最終的にこの「901号室のおばけ」というタイトルが出てきたんです。これはこれで武部さんは「何!?」と思ったでしょうけど(笑)。私は気に入っていますね。
──引っかかりもあるし、いいタイトルだと思います。数多く生まれたデモから、アルバム収録のために選曲する作業は武部さんが行われたそうですね。
それも初めての経験で。曲はたくさんできたけど、どれがいいのかが自分では選べない状態だったので、そこも武部さんに助けていただきました。すべてを選んでいただいたからこそ、1枚としてのトータルバランスもすごくいいと思います。そこから普段ならプリプロを経てアレンジをしていただく流れになるんですけど、今回はプリプロはしなかったんです。制作の最初の段階で一度、私が作ったメロディを「ラララ」で歌うのに合わせて、武部さんが即興でピアノを弾いてくださったことがあって。そこで自分が想像していた以上のものを聴かせてくださったんです。そのときに「あ、自分と好みが一緒だ」「武部さんなら大丈夫だ」と強く思えて。なので、アレンジはすべてお任せ。完成したアレンジを確認したのはレコーディングの日、ミュージシャンと一緒に聴いた感じなんですけど、どの曲も本当に感動しました。「ここまで感性にズレがない人っているんだ」と驚いたくらい。デモを作る際、自分の頭の中では鳴ってるのにうまく弾けなかったコードがあったりもしたんだけど、アレンジではそれをちゃんと弾いてくれてたりして。
──柴田さんの思いをちゃんと汲み取ってくれていたわけですね。
「それです! その音を弾きたかったんです!」みたいな(笑)。自分の想像以上のものに仕上げてくださるなんて、本当に幸せなことですよ。
次のページ »
第三者のような気持ちで楽しめるアルバムが作れた