saji|10代の衝動を守りながら生み出したテレビアニメ「SHAMAN KING」第3弾EDテーマ

実はキャラの名前が入ってる

──最新シングル「ハヅキ」の話に移ろうかと思いますが、表題曲はテレビアニメ「SHAMAN KING」の第3弾エンディングテーマということで、タイアップ先も非常に大きな作品ですよね。今回、「SHAMAN KING」の世界観をどのように咀嚼してこの「ハヅキ」という1曲に落とし込んでいったのでしょうか?

ヨシダ これまでもアニメタイアップはやらせていただきましたけど、「SHAMAN KING」は僕が音楽を始めるもっと前、自分が小さい頃からアニメもマンガもある作品で、林原めぐみさんが歌われていた「Over Soul」(2001年8月発売のシングル曲)のようなアニソン史に残る名曲もあって、今まで楽曲提供したアニメと比べると歴史の長い作品だったんですよね。今年4月から放送されているテレビアニメに関しても第1弾のオープニングテーマ「Soul salvation」は林原さんが歌われて、作編曲は「Over Soul」と同じくたかはしごう先生という、これまでの「SHAMAN KING」の系譜を継ぐ形で音楽もできあがっている。そのうえで僕らが参加させていただくことの意味はすごく考えました。重責を担っているんだという感覚がすごくあって。

──そうですよね。

ヨシダ 今回を含めて、今まで「SHAMAN KING」のテーマ曲を歌ってきた林原さんはもちろんのこと、水樹奈々さんも、堀江由衣さんも声優として作品に参加されているけど、僕らだけ外から入ってきてエンディングを歌っているんです。これってファンの方からすると、ちょっと異端として捉えられてもおかしくない。そこに対してはいい反応も悪い反応もあると思うんですよ。ただ、僕らは「SHAMAN KING」という作品やほかの方が歌われてきたテーマ曲に対して敬意を払って臨んでいるつもりだし、とにかく自分ができることを曲に投じようと思いましたね。アニメ作品にとって曲はあくまで彩りなので、僕らなりの愛を持って生んだ音楽が「SHAMAN KING」を彩る一部として作品を愛する皆さんに受け取ってもらえたらいいなと思って、曲を書きました。

saji

──結果として「ハヅキ」は美しいバラードに仕上がっていますね。歌詞にも悲しさや喪失感を前提とした優しさが滲んでいるように思います。

ヨシダ 今回、歌詞の中にキャラクターの名前をけっこう出しているんですよ。例えば、僕が一番大好きなキャラのマタムネの名前を、「また胸の奥で」というフレーズの中に言葉遊び的に入れてみたりして。そういう感じで、葉やアンナのようなほかのキャラの名前も入れているんです。キャラクター名を入れながらも、「SHAMAN KING」に触れたことがない人がギャップを感じる歌詞にはしたくなかったんですよね。キャラクターソングではなく、あくまで日本語として成立するギリギリの範囲で、キャラクターに対しての畏敬の念を表現できればなと。そうすることで、自分たちも「SHAMAN KING」の物語に入り込んでいけるのかなっていう思いがありました。

──「ハヅキ」の歌詞は、普通に読んでもキャラの名前が入っているとは思わない、美しい日本語の羅列によって綴られていると思うんです。でも、この中にキャラの名前を入れるというのは……すごく大変な作業ですよね、きっと。

ヨシダ めちゃくちゃ大変でした(笑)。

──ヨシダさんはマタムネのどういった部分に惹かれるんですか?

ヨシダ 僕、情けないキャラを好きになりがちなんですよ。それで言うと、マタムネはどっちかというと“強キャラ”じゃないですか。でも、僕はマタムネが出てくる「恐山ル・ヴォワール」編がすごく好きで。マタムネって、自己犠牲愛がすごく強いキャラクターだと思うんです。僕は、人間の最大の愛情表現は自己犠牲だと思っていて。子を持つ親が「子供のためなら死ねる」とよく言いますよね。マタムネって、そういう最大の愛情表現を、種族を超えてやってのけているようなキャラなんです。それは、子供もいないし、マタムネのような立場になったことのない僕にはわからない感情なんだけど、昔からそういう感情への憧憬はあったし、大人になった今は特に刺さるんですよね。同じような理由で、チョコラブ(・マクダネル)も好きですね。大人になると、キャラクターの過去を知るとグッときちゃいますよね。

──過去を知ることによって愛着が湧くキャラはいますよね。「ハヅキ」は、音楽的にはそれぞれのパートでどんなことを意識していましたか?

ヤマザキヨシミツ(B)

ヤマザキ この曲は、ピアノと歌が長く続いていて、急にバンドが入ってくるアレンジになっているんです。今までの曲はAメロ、Bメロ、サビで波打つような強弱を意識していたんですけど、「ハヅキ」はどちらかというとバンドサウンドに入る瞬間の力強さが欲しいなと思って。バラードなんだけど、あくまでもロックバラードという意識を持ちながらレコーディングしましたね。

ユタニ 僕はできるだけ抑えて、ギターソロで一気にエモさを演出できるようなフレーズを弾こうと思ってました。主張したくなる気持ちもあるんですけど、やっぱり歌詞もじっくり聴かせたいし、情景をそのまま連想してほしいので、余計なことをしたくなかったんですよね。

──確かに、今までのsajiの曲にはないシンプルさと質感がありますよね、「ハヅキ」には。

ヨシダ そうですね。最初に「ミディアムバラードにしよう」と考えたときから、ピアノと歌だけで成立するような曲を書きたいという気持ちがあって。アニメのエンディングで流れる89秒の間では、バンドの音がそこまで大きく広がらずに終わるんです。すごく静かに歌い上げるような曲になったと思うし、自分1人で部屋の中で訥々と歌い上げるような雰囲気になったので、ボーカルを録るときには、淡々と、口をついて気持ちが出ているような状態になるように意識しました。マイクも今まで使ったことのない、ニュアンス重視のマイクで、オンマイクでぼそぼそっと歌うように録ったんです。ピッチを気にするというより、言葉をどう紡いでいるかを表現したかった。こういう歌の録り方は、sajiの曲では初めてでしたね。耳に感じられる距離が近い曲になったんじゃないかと思います。

男の女々しさを生々しく書いた

──カップリングの「SHE is.」も「ハヅキ」とは違うタイプですが、喪失感から生まれる思いが綴られている曲で。「SHE is.」にも僕はすごく“近さ”を感じました。「ハヅキ」も「SHE is.」も、言葉が今までよりもすごくシンプルだと思うんです。

ヨシダ そうですね。シンプルになったのは意識した部分とそうでない部分があるんですけど、実は、僕は趣味で小説を書いているんですよ。小説を書いていると、どうしても文体は口語にならないし、物事を俯瞰して書くようになるんですね。その影響があるかもしれないです。あと、日記っぽいイメージがあったんですよ、今回のシングルは。どの曲も、ちょっと後日談っぽい。「ハヅキ」も「SHE is.」も根源的に同じテーマで、“ロス”の仕方は違うけど、どちらも大切な人への思いを書いていて。「SHE is.」は別れの歌ですけど、別れたあとのことしか歌っていない。小説を書いたり読んだりしていても、あとがきって言葉が柔らかくなるものだなと感じていて、だからシンプルになったのかなと思います。もしリアルタイムで起こっていることを歌おうと思ったら、もっと鋭く刺さるような言葉を選んでいると思う。

──本当に、後日談っぽさや日記っぽさが「ハヅキ」や「SHE is.」にはありますよね。「SHE is.」が別れをモチーフにした曲になったのは、どうしてだったのでしょう?

ヨシダ 「SHE is.」に関しては、友達が最近、彼女と別れたんですよ。彼の今の心境を描いた曲です(笑)。

──(笑)。そうやって周りの人のことをモチーフに歌詞を書くことは多いんですか?

ヨシダ けっこうありますよ。自分が体験していないものでも、身近な人や誰かのエピソードをもとにして曲を書くことは多いです。ユタニが失恋したら、そのことを歌にすると思うし。

ユタニ ……(笑)。

──「SHE is.」に綴られているのは、執着心とも言えるような思いですよね。

ヨシダタクミ(Vo)

ヨシダ 僕は男なのでどうしても男性目線になっちゃうんですけど、失恋における男と女の明確な違いって、切り替えの速さだと思うんです。男って、いつまでも、変わらぬ愛を信じるんですよね。別れたあとも「俺はあの子のこと好きだし、あの子もちょっとは俺のこと好きなんじゃないのかな」って男は勝手に思っている。でも、女性はもう次の日には忘れているんじゃないかって(笑)。

──耳が痛いです(笑)。

ヨシダ 「SHE is.」の歌詞のもとになった友達の彼女も僕は知り合いだったので、別れたあとで両方の意見を聞いたんですよ。そうしたら、やっぱり切り替えの速さが全然違って。彼女のほうは新しい生活をすぐに始めているんですけど、残されたほうは彼女のことをずっと気にしているんですよね。男はLINEしたいんだけど、LINEして会いたがっていると思われるのが嫌だし、でも、会いたいし……とずっと悩んでいる。そういう男の女々しさを生々しく書きたいなと思って、「SHE is.」では完全に一方通行の感情について書きました。僕が恋愛の曲を書くときは1曲の中で視点が変わることが多いんですけど、「SHE is.」は、ずっと視点が変わらないんですよ。同じ男がずっと、「ねえ、君は今誰が好きなの?」って思い続けている曲(笑)。

──なるほど(笑)。先ほど小説を書かれているとおっしゃいましたが、それはヨシダさんの創作活動にとって重要な行為ですか?

ヨシダ そこまで重要視はしていないです。僕は小説が生業ではないので、うまく書けているのかどうかもわからないし。でも、歌詞って制約が強いじゃないですか。どれだけ書きたいことがあっても文字数に限界があったり、メロディが完成してる場合はそれに合うようにしか書けなかったり。歌詞に比べて、小説ってうまい下手は別にして、言いたいことはなんでも書ける。自分が言いたいことをとりとめもなく書くっていう行為は、小説やブログのほうが適しているかもしれないし、僕は自分の頭の中にあることを整理するために小説を書いている気がします。

──ヨシダさんは、言葉にすることに対して恐怖を感じたりすることはありますか? 自分の中に漠然とある気持ちを、言葉で断定してしまうことの怖さというか。

ヨシダ そういうことはないです。僕は昔から思っていることは言うし、思っていることを書く怖さもない。ただ僕の場合、「どれだけ思いをさらけ出しても、相手にはそんなに伝わらない」と思いながら生きているんですよ。例えば、ユタニに何かを言おうとしたとき、僕が言葉を尽くして100%伝えた気でいても、ユタニに届いたときにはもう50%くらいになっているんです。そう考えると、僕が言葉にして相手に伝えられる感情ってそこまで多くないんだろうなって。言葉を介してすべての思いを伝えられるわけではないから、どれだけ紡いでもいいものだなと思っていますね。