フィクションを歌い続けてきた斉藤壮馬が今のモードで描く3rdフルアルバム「Fictions」

斉藤壮馬の3rdフルアルバム「Fictions」が9月25日にリリースされた。

自分の体験や経験、思いなどを落とし込んだ作品は作らないと宣言し、虚構のストーリーを紡いできた斉藤。「Fictions」では制作時期に頭の中を占めていたというテーマ「虚構と現実」「理想と現実」に沿って、収録曲の作詞作曲を手がけた。本作のリリースを記念して、音楽ナタリーでは斉藤にインタビューし、“フィクション”に対する思いやアルバムの制作エピソードを聞いた。

取材・文 / ナカニシキュウ

存在しないが大事な場所

──新作「Fictions」は、斉藤さんにとって3年9カ月ぶりのフルアルバムです。近年はEPという形態でのリリースが多かったですが、なぜ今回フルアルバムを作ることに?

いろんな理由があったんですけど、アルバムという形態や、CDという媒体が今後どうなっていくのかわからない中で、「このタイミングを逃すと次にいつフルアルバムを制作できるかわからないな」と思ったのがそもそものきっかけです。

──フルアルバムという形に思い入れがあるということですね。

そうですね。5、6曲で構成されるEPの場合は、よりコンセプチュアルな作り方が可能で、世界観の純度を高めて伝えるにはちょうどいいんですけど、その分遊びの余地がないというか。それに対してアルバムって「なんでこんな曲が入ってるの?」みたいな(笑)、そういう見せ方もできるところがすごく魅力だと思っています。

──アニメで言えば「なんでここで急に野球回が?」みたいな作品もありますけど、そういう要素が大事なんだと。

わりと自分はアニメでもそういうところが好きなので、その感じが出せればいいなとは思いましたね。

──今作はタイトル通り“フィクション”がコンセプトになっていますが、そもそも斉藤さんはずっとフィクションを歌い続けてきたアーティストですよね。

おっしゃる通りで、デビューシングルの表題曲「フィッシュストーリー」を作ってくださった大石昌良さんに「フィクションや嘘を覚悟を持って歌うというテーマで」とお願いしたところから僕の音楽活動は始まっていて。それに加えて、今回のアルバムを制作していたタイミングが特に「虚構と現実」「理想と現実」みたいなことをよく考えていた時期だったんです。「今一番頭の中を占めているテーマをそのまま使ってみようかな」という思いから「Fictions」というタイトルを決めました。

──いわばロックバンドが「ロック」というタイトルのアルバムを出すようなものというか。

あははは、確かに(笑)。ここであえて「この物語はフィクションです」と言う必要があるのかな?とは自分でも思ったんですけど、そこに何か作為的な意図があったというよりは、わりと感覚的にタイトルやテーマを設定したというのが率直なところです。

──斉藤さんにとってフィクションとは、改めて言葉にするとどういうものですか?

自分が音楽や小説、あるいはアニメーションに一番救われたのが10代の頃でした。自分の生きる現実があって、それとは違うフィクションという場所があって、その2つを行き来することによって心のバランスを保てていたのかなと。「存在しない場所だが、すごく大事な場所である」というのが自分にとってのフィクションかなと思いますね。

──フィクションには、“虚構という形を取ることで初めて表現できる本当のこと”みたいなものが必ず含まれますよね。斉藤さんはそれを表現したい人なのかな、というイメージが受け手としては強くあります。

ありがとうございます。ただ自分としては、「この曲はこういう曲なので、こういうふうに聴いてください」という思いは一切なくて。自分から生み出されたものが誰かのもとに届くということは自分の手元を離れていくということであって、その先に作り手の介在する余地はないというのが僕の考えです。もちろん、そこに自分の思いや感情がにじみ出てしまうものではあると思うんですけど、それを伝えることが目的ではないといいますか。

──世の中的には「それを受け取ったことで何になるのか」が重視されがちではありますよね。本来は「そこで何を感じるか」こそが大事なのであって、「それが何になるか」は結果にすぎないはずなのに。

そうですね。「何になるか」はその方次第というか。おそらく多くのクリエイターがそうだと思うんですが、“場”が作れればいいんです。やはり聴いてくれる人がいなければ音楽は成立しないので……でも、そこで何を受け取ってほしいかは、あまり考えていないと思います。

斉藤壮馬流の作曲スタイル

──斉藤さんのように「この曲はこういうテーマ」がない人の場合、どういう取っかかりから曲作りが始まるんですか?

「そろそろもう1曲欲しいな」というときにギターやキーボードに向かうこともあれば、全然関係ないときにふとメロディやフレーズを思いつく瞬間もあって。曲によってまちまちなんですけど、基本的にはギターのコードから作り始めることが多いです。

──そこで「これは形になりそう」というアイデアを膨らませて、デモに落とし込んでいく?

はい。ある程度まとまったアイデアをDAW(音楽制作ソフト)上で形にしていくんですけども……自分のデモ作成技術があまり高くなくて(笑)。頭の中ではもっといろんな音や複雑なビートが鳴っているにもかかわらず、簡略化した形でアウトプットせざるを得ない。それが歯がゆくもあるんですが、そのデモを渡すアレンジャーさん……今回はほぼSakuさんにアレンジをお願いしたんですけど、彼が僕の本来の意図をかなり汲んでくださるんです。それは面白いところでもありますね。

──たぶんそこは良し悪しなんでしょうね。あまりデモを作り込みすぎても、その通りのものにしかならないでしょうし。

そうなんですよね。今回のアルバムでも、デモの段階では思ってもみなかった方向に進んだ楽曲がけっこうありました。例えば1曲目の「ハンマーガール」なんかは、もともとはもう少しオーソドックスなギターロック調の曲だったんですけど、最初にデモを投げた段階でSakuさんが完成版に近い形のマスロックっぽいイントロをつけてくれて。それを受けて「じゃあこの方向へ突き詰めて、変拍子とかも入れてください」という話をしました。この曲はけっこうデモから大きく変わりましたね。

──まさにデモをシンプルに作ったがゆえの化学反応があったわけですね。

あとは、5曲目の「共犯者」とかも……。

──「共犯者」は個人的に一番「これどうやって作ったんだろう?」と気になりました(笑)。

これも元はわりとオーソドックスなギターロックでした。なので最初は「UKロックっぽい方向に寄せてみようか」という話もしていたんですけど、この曲を収録することが決まったのはアルバム制作の終盤で、すでにいろんなバンドサウンドの楽曲が出そろっていた段階だったんです。なので、それらと差別化を図る意味でも「ボカロっぽいテイストにしてみましょう」という提案をして、このアレンジが生まれました。アレンジ的には、元のデモから一番大きく動いた曲ですね。

──なるほど。まさにおっしゃった通りボカロに代表されるネットミュージックテイストの強い曲で、サウンド的にはだいぶ異彩を放ってますよね。

だから曲順を決めるのがすごく難しかったですね。

──先ほど「UKロック」というキーワードも出ましたが、今作に限らず、斉藤さんの作り出すサウンドには90年代から00年代くらいのUKギターバンドに通ずるものを感じることが個人的には多いです。ギターがたくさんきらびやかに鳴っているんだけど、どこかメランコリックに湿っている感じといいますか。

なるほど、確かにその傾向はあるかもしれないですね。ただ、意識的に「UKをやろう」と狙っているわけではないです。僕個人としてはUKもUSも好きなので、特に偏らせている意識はないですね。逆に、今作でいえば「Riot!」なんかは完全にUSだったりしますし。

──音的にはめっちゃメロコアですもんね。Green DayやThe Offspringなどを連想させるような。

「共犯者」なども含めて、仕掛けとして特定ジャンルの要素を取り入れることはあるんですけど、基本的には「こういう傾向の音として捉えてもらいたい」というのは特にないです。同じ曲を聴いても「UKっぽい」と言ってくださる方もいれば「USっぽい」と言ってくださる方もいますし、その方なりの受け取り方をしていただくのが一番ありがたいですね。

曲が必要とする歌い方

──今作で僕が個人的に最もグッと来たのが、2曲目の「Sway」でして。

ありがとうございます。

──かなり攻めた曲ですよね。いわゆるサビがJ-POPの文脈でいうサビとはまったく違う、それこそUKロックを彷彿とさせるようなものになっていて。アニソンシーンや声優アーティストシーンではまず耳にできないような、オルタナティブな色合いが強いなと。

これは前作のEP「陰/陽」を作っていたときにはもうあった曲でして、冒頭のアルペジオフレーズが最初にできたんです。すごくロマンチックなアルペジオだなと思ったので、そこから膨らませていきました。おっしゃる通りサビで盛り上げるというよりは、歌詞にもありますけど自転車のペダルを高揚感に任せて漕いでいるように、気付いたら1番が終わってるみたいな感じになればいいなと。

──続く「ヒラエス」も、これまたひと筋縄ではいかない1曲で。すごくポップではあるんですけど、途中でいきなりポストロック的なアプローチがあったり、歌詞にも哲学的な味わいがあったりして。

日々を生きている中で、この歌詞のような気持ちになる瞬間がわりとありまして。「ヒラエス」というのはウェールズ語で「郷愁」とか「もう行くことができない大切な場所」というニュアンスなんですけど、以前出版した「健康で文化的な最低限度の生活」というエッセイの中でも、それについての文章を書いたことがあります。

──それくらい斉藤さんの中で重要なものなんですね。

「何かすごく大事なことを覚えていた気がするんだけど、どうしても思い出せない」という感覚が、子供の頃すでにあったんです。しかもその感覚自体も、10代、20代、30代と時を重ねていくとどんどん薄れていってしまう、こぼれ落ちていってしまう……そんな感覚がもとになって生まれた楽曲ですね。

──個人的に、ボーカル表現的に最も印象的だった曲が「雨の庭」でして。この曲だけ歌い方が少し特殊というか、舞台演劇のようなニュアンスを感じました。

もちろん、曲ごとの必要性に応じていろんな歌い方をしてはいます。「雨の庭」の場合はピアノがメインのメロウで静かな曲なので、わりと情感を込めた歌い方になっているのは確かなんですけど……。

──特別変わったアプローチをしたわけではない?

そうですね。言い方が難しいんですけど、作曲者としての自分と歌い手としての自分では感覚がけっこう違っていまして。曲を書いたときには「どういう歌い方が望ましいか」みたいなのはなかったんですけど、いざ歌ってみると「この曲がそういう歌い方を必要としていた」という感覚が近いですかね。