自粛期間中にタイムスリップを経験
──ここからはコロナ禍での生活ぶりについても伺いたいと思います。実際、この数カ月はどんなふうに過ごしていましたか?
ここ最近いろんなインタビューとか読むと、みんな「自粛中は曲作りをしていました」って言ってるから、俺もやらなきゃと思って曲を作ってた(笑)。でも普段から曲のモチーフを思い付いてそれをメモするようなことは、コロナとは関係なくずっとやってきてることで。自粛期間だから曲作りをしてるわけじゃないっていう気持ちは正直、自分の中にはある(笑)。でも、断片しかできてなかった曲をまとめたりするような作業はけっこうやったかな。あとは、まだ情報解禁前だけど、とあるアーティストのレコーディングに参加したりね。
──じゃあ、けっこう忙しくしてたんですね。
いや、暇だったよ。俺、自粛期間中にタイムスリップを経験したもん。ハッ!て気付いたら1週間経ってた。
──え? なんですか、それ?
自粛中に大河ドラマ「秀吉」のDVDを観てたんだけど、「あれ、今日何曜日だっけ?」と思って日付を見たら、「え、ちょっと待って。1週間経ってる……」って。その1週間に何してたか全然記憶がないの。
──え! 実際どうだったんですか?
実際は、本当に何もしてなくて、気付いたら1週間経ってた。やっぱり、ずっと活動ができないし、どうしたらいいんだろうみたいな。それこそコロナの影響が広がり始めた頃は、2年ぐらいこの状態が続くかもって話もあって、絶望的な気分になって。「このまま俺は何もやらないでいいのか?」みたいな思いもあったし。考えないようにしても、やっぱり考えちゃうじゃない。だから思考が飛んじゃったんだろうね。今思い出そうとしても、「秀吉」を観ながらビーフジャーキー食べて、アイスコーヒー飲んでたぐらいのおぼろげな記憶しかないもん。
──ほとんど外出も外食もしないから、同じような日々の連続になっちゃうし。どこからどこまでが1日なのかわからなくなっちゃう感じはありましたよね。
精神衛生的にもよくないよね。だからそういう時期を経て、やっぱりライブをやりたいなって、より強く思うようになったんだろうね。6月に入ったぐらいから、やっとピアノを弾くようになって、ひさしぶりに曲を耳コピしたり。
──そこからよく戻って来られましたね……。
ホントそうだね。自粛が明けてからは、ジムに行ったり、ファンクラブ向けの映像を収録したり、ようやくいろいろ動き出した。
志村けんさんにもらったアドバイス
──コロナ禍で起きたさまざまな出来事の中で、志村けんさんが急逝されたのはショッキングな出来事でした。池ちゃんは志村さんと親交がありましたよね。思い出は尽きないと思いますが、そもそも志村さんと知り合ったきっかけは?
志村さんと上島竜兵さんがパーソナリティを務めていたラジオ番組(JFN系「志村けんのFIRST STAGE〜はじめの一歩〜」)にSUPER BUTTER DOG時代にタカシと一緒にスタジオに遊びにおいでとスタッフさんに誘ってもらって。確かアルバム「333号室」(1998年)が出たあたりだったかな。俺もタカシも昔からドリフターズが好きで、もちろん志村さんの大ファンだったんだけど、デビューしてわりとすぐのタイミングで憧れの人に会えちゃったんだよね。で、「いつでも遊びに来ていいよ」って志村さんに言ってもらったから、俺はそれを真に受けて、それ以来収録のたびスタジオに見学しに行ってたの(笑)。最初の頃は志村さんも「こいつ、ホントに来やがったよ(笑)」みたいな感じだったし、俺もスタジオの隅っこのほうで収録の模様を眺めてるだけだったんだけど、毎回行ってたら徐々に話しかけてもらえるようになって。志村さんが番組用の選曲してるときに、「どっちの曲がいい?」なんて意見を求められたりね。
──へえー!
そんな感じでいつも優しく接してもらって、ほとんど番組のADみたいになりつつあったんだよ。自分としてもうれしいから、そういう状況に満足しちゃってた感じもあった。でも、その番組にはミュージシャンがゲストで出ることも多くて、そのときに「ちょっと待てよ、俺はゲストに呼ばれる側にならなきゃいけないんじゃないか?」っていうことに気付いて。それでスタジオに行くのをやめたんだよ。
──そういういきさつがあったんですか。
それからしばらくして、SUPER BUTTER DOGで「FUNKYウーロン茶」というシングルをリリースしたタイミングで今度はゲストで呼んでもらえて。あれはうれしかったな。あと上島さんがお休みのときに、何度かアシスタントの代役として出してもらったこともあったね。
──志村さんに言われた言葉で何か印象に残ってるものはありますか?
一度だけ、麻布十番に飲みに連れていってもらったことがあって。とにかく緊張してたから細かい話の内容はあまり覚えてないんだけど、すごく覚えてるのは、俺が外国に行ったことがないって話題になったとき、海外には行ったほうがいいって志村さんがアドバイスしてくれたこと。「海外に行くことで、逆に日本のことがよく見えてくる」みたいなことを言ってもらったのをなぜだかすごく覚えてる。そのときはまだレキシを始めてなかったけど、日本史が好きだっていうような話を志村さんにしたのかもしれないね。だからこそ、外からの視点を入れることで、より物事の内面を深く理解できるようになるよってアドバイスしてくれたのかなって思う。
──なんだか、幕末の志士に勝海舟が助言してるような内容ですね(笑)。
ホントだね(笑)。あと、やっぱりお笑いに関しては厳しかった印象が強いかな。大御所なのに若手のお笑いライブもよく観に行ってて。しかもライバルみたいな感覚でライブの感想を話してた記憶がある。(いとう)せいこうさんにも通じるところだけど、アンテナの張り方がすごくて、自分を大御所だと思っていないような感じがあった。若手も何も関係なく、みんなライバルだと思ってたんじゃないかな。すごい人ってみんなそうだよね。
こんなに死んでない人っていない
──池ちゃんの中に志村イズムが受け継がれてるとしたら、どんなところだと思いますか?
「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、シリアスな展開のまま終わる長尺コントが放送されたことがあったんだよね。オチも何もないっていう。
──「だいじょうぶだぁ」の歴史の中でも伝説になっているサイレントコントですね。妻に去られた志村さん扮する中年男性が、男手一つで子供を育てあげたものの最後は過労とアルコール中毒で亡くなってしまうっていう。
それがすごく印象に残っていて、ずっと疑問に思ってたから、「どうしてあのコントを作ったんですか?」って志村さんに聞いたわけ。そしたら「1回ぐらいそういうのがあっても面白いかなと思って」って、さらっと言われて。あまり多くを語らなかったんだけど、志村さんの中には、ずっと面白い状態が続いてるだけじゃダメで、そこにベタなものとか変わったものを入れないといけないっていう考えがあったみたい。要するに緊張と緩和だよね。「ギャップとか、メリハリが大事だから」っていう話をたびたび聞いて、なるほどなと思って。例えばライブの構成を考えたりだとか、物作りをするにあたって、志村さんが話してくれたことは常に頭に置いて考えてる。
──音楽だけじゃなく、笑いについても、いろんな深い話をしていたんですね。
そうだね。でも、志村さんはそれをすごいことみたいに言わないで、いつも軽い感じで話すんだよ。照れもあったんだろうけど、自分がやってきたことをあまり大きな声で言いたがらないっていうか。いつも「こういうことしたほうが面白いかなと思った」ぐらいに淡々と話していて。みんな言ってるけど、とにかく真面目で寡黙な人だったから。ボソッと話すし、俺みたいな年下に対しても基本は敬語だったし。あと、雑誌「Barfout!」でも対談させてもらって(2000年9月号)。あのときの取材も印象深いものだった。
──対談の収録現場だった渋谷のクラブOrgan Barに志村さんがロールスロイスで登場したという伝説の(笑)。あの記事では互いのルーツでもあるブラックミュージックなどについてお話されていました。
そうだったね。志村さんが亡くなったあと、あの記事をひさしぶりに読み返したんだけど、見出しになってる「くだらないことをどこまでも真剣にやるって事が一番好きだから」っていう志村さんの言葉にハッとしたよね。普段は意識してなかったけど、自分でもずっとそれをやってきたし、志村さんの言葉が刷り込まれていたんだなって……。
──確かに、見出しになったあの言葉はレキシの活動の根本にあるものに通じるものですよね。そう思うと、志村さんと出会えて一緒に過ごせた時間は、池ちゃんにとって大きな糧になっているんでしょうね。ちなみに志村さんは生前、レキシのライブを観に来る機会はあったんですか?
いや。CDは番組のディレクターさん経由で志村さんの元に渡っていると思うんだけど……。「レキミ」が出た頃だったかな、志村さんのラジオ番組のディレクターさんから「また遊びに来なよ」って声をかけてもらったんだけど、なんだか畏れ多くて、「今はまだいいです」って言っちゃったんだよね。それをちょっと後悔してる……。
──志村さんが亡くなられたあと、YouTubeに「だいじょうぶだぁ」の映像がアップされましたが、池ちゃんも観ました?
もちろん観たよ。コントの作り方だったり、お金のかけ方がすごそうとか、大人になったからこそ改めて気付く部分もある。だけど何よりも、観てるうちに気持ちが子供の頃に戻るっていうのがすごいよね。言い方が悪いけど「ベタだなー」って思ってたネタも、やっぱり笑っちゃうもん。あれ、なんなんだろうね? こっちが歳取ったのかな?とかいろいろ考えるけど……志村さんのコントってずっと観てられるし、いつまでもずっと面白いじゃん? なんかね、こんなに死んでない人っていない──志村さんのことを考えるたびに、そう思うんだよね。
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一筆入魂!レキシが受け継いだ“志村イズム”