REBECCA「BLOND SAURUS TOUR '89 in BIG EGG -Complete Edition-」特集 NOKKOインタビュー|「これが私だったんだ」今明かされる「BLOND SAURUS」の全貌

最先端のパフォーマンスとロックの折衷

──東京ドーム公演はNOKKOさんが盲腸の手術をして、復帰後すぐに行われました。それにも関わらず、あんなに全力で踊ったり走り回ったりしながら歌っていて。「盲腸治ってよかったぜー!」ってシャウトしてましたね。

そうそう(笑)。「BLOND SAURUS TOUR」は私の盲腸の手術で延期してしまって。そのことに対する申し訳なさがあって、自虐ネタみたいな感じで叫んでいたんです。でも笑えないですよね。なんだか痛々しく見える。

──一方では「私がいったい、何をしたっていうのよ!」とも言っていますから、それだけ責任を感じていた様子が伺えました。

やるせなかったんですね。それを引きずっていたので、ああいう言葉が出ちゃったんだと思います。

──アンコールの「フレンズ」も本当に感動的で、NOKKOさんがステージから客席に降りて、スタッフの制止も振り切りながら走るシーンが印象的でした。

「BLOND SAURUS TOUR '89 in BIG EGG -Complete Edition-」より、客席フロアを走るNOKKO(Vo)。

実は日本武道館のライブでも客席に降りてしまって、始末書を書いたんですよ(笑)。だから東京ドームもやっちゃダメだろうなと思ってはいたけど、結局降りちゃった。

──このほかにも椅子を使ったダンスがあったり、演出も相当凝ってますよね。パフォーマンスのアイデアはNOKKOさんも提案されたんでしょうか?

ニューヨークからダンス専門のスタッフを呼んで、その人と相談しながら決めましたね。あの頃はマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソン、ポーラ・アブドゥルなどが群舞するミュージックビデオを発表していて。そのイメージを私と数人のダンサーだけで形にしようとしたんです。1人で数人分の振り付けを覚えないといけなくて、それがなかなか難しくて。「ちょっと欲張りすぎたかな」と思いましたね。

──演出面で特に参考にしていたアーティストはいたんですか?

ちょうどアメリカのポップミュージックやダンスミュージックが充実してましたから、プリンスとかから影響を受けました。REBECCA以外のアーティストもそうだったんじゃないかな。

──プリンスの初来日が1986年、マドンナとマイケル・ジャクソンのソロでの初来日が1987年だったので、この時期の日本はスタジアム規模でのライブの演出が、一気に進化を遂げましたよね。

そうそう。でもREBECCAはストリートから有名になったロックバンドだから、そちらの要素をなくすことはできなくて。

──ダンスとシンセサウンドを中心にショーアップされた最前線のエンタテインメントと、ロックバンドとしてのパフォーマンス、その2つを両立させたかったと。

土橋安騎夫(Key)

はい。バンドシーンからすると「こんなのロックじゃねえだろ」みたいに見られていたところもあったので。でもそれだけじゃなく、最新のパフォーマンスをやっているところも見せたかったし。本当に欲張りでしたね。

──でも、確かにそこに挑んで、成立させることができた稀有なバンドでしたよね、REBECCAは。

だけどバンドもダンスもどんどん本格的になっていくと、自分1人では表現しきれなくなって。そこで葛藤が大きくなっていったんです。

私の中には「上に行く」概念がなかった

──REBECCAは1985年4月に発表したシングル「Love is Cash」で初めてオリコンにチャートインして、同年6月に日本青年館でワンマンライブを行いました。その後「フレンズ」をはじめヒット曲を連発し、わずか4年で東京ドーム公演を実現しています。その頃の心境はどういったものだったんですか?

怖かったですね。「あと数曲でアイデアが尽きちゃうんじゃないか」と思っていたので。でもライブはどんどん決まるし、どんどん曲を書いてレコーディングしないといけないし、MVも撮らなきゃいけない状況でした。

──もっともっと上に行くんだ、もっともっと大きいところでやるんだ、という気持ちは?

上に行く、という概念がそもそも私の中にはなかったんです。日本青年館でライブをやったとき、やっと「お客さんの数がメンバーの数より少なかったらどうしよう」という不安がなくなって、安堵したのを覚えています。私としてはそれで十分だった。

「BLOND SAURUS TOUR '89 in BIG EGG -Complete Edition-」より、ステージセットの全景。

──そうなんですか。それでは、東京ドーム公演はどんな心境で臨んだのでしょうか。

ここまでバンドの規模が大きくなってしまうと、かわいい曲や小規模のステージならではのパフォーマンスができなくなって、どうしたらいいのかわからなくなってしまって。「BLOND SAURUS」というタイトルは、そんなバンドの状況を逆手にとったんです。これは自分が認識していたバンドの規模感が、現実とは全然違ってきているというところから付けたものなんですよ。空間プロデューサーの山本コテツさんにも、そのコンセプトに合わせたステージを作っていただいたり。

──このライブをやり終えたときの気持ちは、覚えていますか?

「このツアーでもうバンドは終わりかな」って感じでしたね。もう体がもたなくなっていて。

──最後に披露された「Maybe Tomorrow」では涙を見せながら歌っていましたが、あの涙は……。

サポートメンバーの中島オバヲ(Per)。

ちょうど「これが最後かな」みたいな気持ちがよぎったのかもしれないですね。

──そんな思いもあっただけに、この東京ドームのライブではすべてを出し尽くした、という充実感があったのではないでしょうか。

そうですね。とにかく見せたいものを表現できたので、本当にピークでした。このライブのあとに「休ませてほしい」とマネージャーに伝えたんですけど、突然活動を止めることはできなくて、「BLOND SAURUSの逆襲」というツアーもやることになって。「どこかで立て直せるんじゃないか」という希望もあったんですけど、結局それが最後のツアーになりました。