音楽ナタリー Power Push - 「Festival M.O.N-美学の勝利-」 門田匡陽×伊藤大地対談

3組の門田バンドが集う理由

ファンタジーのふりをしたリアリズム

──BURGER NUDS解散直前の状況を考えると、次のバンドを大地さんと組むのは言わば必然だったようで。

門田 Good Dog Happy Menのメンバーは高校のときから年に1回、一緒にスキーに行くメンツだったんです(笑)。BURGER NUDS解散後も音楽を辞める気は毛頭なかったけど、バンドは絶対友達としかやりたくなかったから、Good Dog Happy Menのメンバー以外の選択肢はなかったんですよね。当時よく「エターナル・サンシャイン」(2004年公開、ミシェル・ゴンドリー監督の映画作品)のサントラを聴いてて、この辺の感じをやりたいねって言ってて。

伊藤大地。

伊藤 門田と武瑠は音楽の趣味が似てて、2人が俺にいい音楽を教えてくれました。ジョン・ブライオンとかジェフ・バックリィにめっちゃはまってましたね。俺はその頃diskunionのJAZZ館でバイトしてたから、代わりにビル・フリゼールとかを2人に教えて。

門田 で、ビル・フリゼールの「Good Dog Happy Man」っていうアルバムからバンド名を付けたっていう。

──「A Place, Dark & Dark」はGood Dog Happy Menの「the GOLDENBELLCITY」からつながっているというお話でしたが、あの作品はどういった構想から生まれた作品だったのでしょうか?

門田 Good Dog Happy Menを組んだとき、ただ日常の景色を歌っても面白くないっていうのは最初から考えてたんです。だからGood Dog Happy Menは一貫してファンタジーのふりをしたリアリズムを追求していて。それはBURGER NUDSの反動もあったと思います。BURGER NUDSはあの時代の東京の景色が色濃く曲に出てるんですよね。モラトリアム感というか、大人と子供の狭間の年代に、下北沢や新宿、渋谷で見た景色が再生されていて。でもGood Dog Happy Menを始める頃にはもうそれに飽きてて、時代も国もわからないような景色が見える音楽をやりたいって決めてたんです。

──だからこそ、「the GOLDENBELLCITY」という架空の街を設定したと。門田さん以外のメンバーはこのコンセプトをどう考えていましたか?

門田 この価値観はわりとみんなも共有してて。大地が言ってたことで覚えてるのが、一緒に対バンのバンドを見てたときに、「『あなたを愛してる』ってボーカルが歌ってるけど、ドラムのやつはどういう気持ちで叩いてるんだろうな」って話になって(笑)。「個人の日記みたいな曲にどう入り込めばいいんだろう?」って、ホントそうだよなって思ったんです。

──BURGER NUDSの時代には「今が一番楽しい」と言っていたという話がありましたが、Good Dog Happy Menの頃は20代も半ばを迎えて、現実的にミュージシャンとしてどう生きていくかを考えるようになっていたかと思うのですが、いかがでしたか?

門田 Good Dog Happy Menは当時所属していた事務所の中でもマニアックって言われてたんです。「Most beautiful in the world」ができたときに、俺はすげえいいCDができたと思って、これはみんなびっくりするだろうって自信があったんですよ。それをなんで事務所の人たちは分かってくれないのかって、ものすごくがっかりしたのを覚えてます。当時はBURGER NUDS解散直前よりよっぽどトゲトゲしてましたね。

伊藤 BURGER NUDSのときは個人レーベルだったし、門田とレーベルの担当者だけとの関係性で完結していたんですけど、Good Dog Happy Menのときは大きな会社に属したわけですよね。別に会社の意見を押し付けられるって程のバンド規模じゃなかったんですけど……希望とか自信があったんですよね。

左から門田匡陽、伊藤大地。

門田 「今こういうのが売れてるから、こういうのをやってくれ」とか言われたわけじゃないけど、「なんでこのよさが分かんないんだろう」っていうのはずっとありました。「Most beautiful in the world」は媒体の人とかミュージシャンとか、外の人たちはすごいって言ってくれているのに、なんで中の人はこの良さがわからないんだろうって、すごい悔しくて。それでめちゃくちゃ曲を作って、全曲並べて「次は2枚組で出させてくれ」って言ったんですよ。で、1回「わかりました」って話になったんですけど。後日「やっぱり売れないからやめよう」って話になったんですよね。俺その話聞いたときぶち切れて。

伊藤 あのときの門田はホントにワナワナしてて(笑)。まあ、俺たちはまだたくさんの大人と会ったことがなかったからその人たちを判断する経験値もなかったし、期待しちゃってたところもあったんですよね。

門田 でもGood Dog Happy Menのいいところは、そこで自分の意見を曲げなかったところだと思うんですよ。今って、大人に何か言われたら「そうします」ってなっちゃう子多いじゃん? でも俺らは若くても「お前らバカじゃねえの?」って感じで。その姿勢は外部の人にも事務所の人にも貫いてたんです。で、そんな俺らのスタンスをスタッフが理解してくれて、結局2枚組の作品は出せなかったけど、その後3部作っていう形で2枚組分の曲をリリースできたんです。

伊藤 ある意味いい時代だったよね。すげえいいスタジオで録らせてもらってたし。今あんなお金絶対出てこないから。今だからこそ言えることだけど、あのとき「待てよ、これだけお金を出してもらえるんだから」って考えてうまく利用できていたら、もっといい方向にいってたのかなって思い返したりしますね。なんにせよ音楽に対しては一切妥協しなかったから、自分たちでも納得できる完成度の作品が残せたのはすごくうれしいです。

バンドじゃなくても音楽やれるんだ

──「the GOLDENBELLCITY」をリリースしツアー終了後、まず大地さんと韮沢(雄希)さんが抜けて、次に武瑠さんが抜けることになりました。当時の門田さんの状況は?

門田 「the GOLDENBELLCITY」でやり切っちゃった感じがあったんですよね。あのあと曲が作れなくなっちゃって。苦肉の策で「4人のゴブリン大いに躍る」を再販して、未発表曲っていう体ですごい古い曲を入れたり。だからDVDにもなった「Memory of the GOLDENBELLCITY」っていう東京キネマ倶楽部でのライブで、Good Dog Happy Menはもう終わりだったんです。もちろんその後も新しい音楽を作りたい気持ちはあったけど、Good Dog Happy Menは1つのバンドだけをやってるメンバーじゃなかったから、力技でなんとかバンドを動かすっていう気にはならなかったんですよね。出てきたものしかできない人たちなんだから、無理に作るのではなく出てきたものをやろうっていう。その間に大地はどんどん忙しくなっていって、武瑠の中でもやりたいことがはっきりしていったんだと思うんですけど。

伊藤 自分が辞めたときのことを話すと、事務所に入りつつもほかの活動も自由にやらせてもらってて、だんだんGood Dog Happy Menに割ける時間が少なくなっていたんですよね。今となってはあれだけの曲をよく録音する時間があったなって思うけど。だんだん時間の融通が利かなくなってきているけど、みんなGood Dog Happy Menで上に行こうっていう気持ちもあったし。そうなると1本に絞るかって話になったんですけど、無理だったんですよね。でもみんな昔から自分のことを知ってくれてるから、文句言わずに辞めさせてくれて。

門田匡陽

門田 それが「陽だまりを越えて」以降の状況です。でも1つの世界観を作って音楽に取り組むバンドがGood Dog Happy Menだとしたら、2人のときのGood Dog Happy Menはもう全然違うバンドだった。その意味では今回の「festival M.O.N」で4人のGood Dog Happy Menをもう1回やれるっていうのは、すごくうれしいんですよね。

──大地さんはバンドを抜けた後も2人編成のGood Dog Happy Men時代のアルバムである「The Light」に参加されてますし、門田さんのソロ「Nobody Knows My Name」や現在のPoet-type.Mの作品にも参加されているわけで、関係性はずっと続いてるわけですよね。

伊藤 それこそサンチェスター解散と同じ、あの時の感覚っていうかね。離れたからこそ、また「最近どうよ?」って言えるようになったっていうか。

──大地さんはその後細野晴臣さんのバンドに参加し、2011年からは音楽事務所TONEに所属されて、さらに活躍の場を広げていきました。門田さんはそれをどう見ていらっしゃいましたか?

門田 単純にうれしかった。高校の頃から大地はすげえってずっと思ってたから、「やっぱそうだろ?」って気持ち。

伊藤 いろんな先輩と仕事で関われるようになって、そこで得た経験を門田との音楽の中で生かせる事ができてきてるなっていう感覚があって。バンドで時間を共にしたからこそ分かり合えている部分にそれらがプラスされて。新鮮でしたね。

門田 よく覚えてるのが、アルバム「Nobody Knows My Name」でも大地にドラムを叩いてもらって。その作品の中に「暗証番号」っていう曲があるんですけど、フェイドアウトで終わる曲で、大体4分半ぐらいだから、5分半も演奏すればやり過ぎなくらいなんですよ。そのとき俺はベースを弾いてたんですけど、大地が演奏をやめなくて、終わって時間見たら14分もやってたんです(笑)。別にインプロの応酬があったわけでもなく、ただ大地が俺の顔を見ながらドラムを叩き続けて。あのとき「これからがんばれよ」って言われてる気がしたんですよね。「Nobody Knows My Name」で大地とミュージシャン同士として向き合ってやれたのは、自分の中ではすごく大きかった。

──やはりあの作品があったからこそ、今のPoet-type.Mがあるんでしょうね。

門田 そうですね。あのときに「バンドじゃなくても音楽やれるんだ」っていうのに気付いたのかもしれないです。まだバンドじゃないと音楽はできないと思っていたのに、もう一緒にバンドをやる友達もいなかった。それでもどうしても音楽がやりたかったから、門田匡陽名義で作品を作ったんです。あのアルバムは自分にとって苦肉の策で生まれたもので。そこに大地がいてくれたのはすごく大きかったですね。

Festival M.O.N-美学の勝利-

  • 2015年9月26日(土)愛知県 APOLLO BASE
  • 2015年10月3日(土)大阪府 Music Club JANUS
  • 2015年10月24日(土)東京都 LIQUIDROOM

<出演者>
Poet-type.M / BURGER NUDS / Good Dog Happy Men

Poet-type.M ミニアルバム「A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない-」 / 2015年7月1日発売 / 1620円 / I WILL MUSIC / PtM-1031
「A Place, Dark & Dark -ダイヤモンドは傷つかない-」
収録曲
  1. バネのいかれたベッドの上で(I Don't Wanna Grow Up)
  2. その自慰が終わったなら(Modern Ghost)
  3. 窮屈、退屈、卑屈(A-halo)
  4. 神の犬(Do Justice To?)
  5. 瞳は野性、星はペット(Nursery Rhymes ep2)
  6. ダイヤモンドは傷つかない(In Memory Of Louis)
Poet-type.M(ポエットタイプエム)

門田匡陽のソロプロジェクト名義。1999年に中学と高校の同級生であった丸山潤(B, Cho)と内田武瑠(Dr, Cho)とともにBURGER NUDSを結成。2003年8月に唯一のアルバム「symphony」をリリースし、2004年6月に東京・新宿LOFTでのライブをもって解散した。同年より内田、韮沢雄希(B)、伊藤大地(Dr, Per)、城所祐一(G)とともにGood Dog Happy Menの活動を開始。3作からなる「the GOLDENBELLCITY」シリーズなど、ファンタスティックな世界観を追求したコンセプトの作品を発表する。2011年にはソロアルバム「Nobody Knows My Name」をリリース。2013年4月1日からはソロ名義を「Poet-type.M」に変更し、現在「夜しかない街の物語」を描くプロジェクト「A Place, Dark & Dark」全4部の制作を行っている。

伊藤大地(イトウダイチ)

1980年東京都生まれ。高校卒業後にドラマーとしての活動を開始し、2000年には星野源(G, Marimba)がリーダーを務めるSAKEROCK、2004年には野村卓史(Key)とともにグッドラックヘイワを結成。Killing FloorやCherry'sにも参加し、現在は細野晴臣、星野源、安藤裕子らのライブサポートメンバーや、カイ・ギョーイ(奥田民生)、ジューイ・ラモーン(岸田繁 / くるり)とともにサンフジンズのメンバー、ケン・シューイとしても演奏を行っている。門田匡陽は高校時代の同級生であり、Good Dog Happy Menのメンバー。BURGER NUDSのレコーディングのほか、Poet-type.Mの演奏メンバーとして活動をともにしてきた。