陰陽座の15枚目のオリジナルアルバム「龍凰童子」が1月18日にリリースされた。
「龍凰童子」は陰陽座にとって4年半ぶりのオリジナルアルバムで、“陰陽座とは何たるか“を示し、その世界に導くかのような作品。2020年に突発性難聴と喉の不調を発症し、療養していた黒猫(Vo)の復活作となる本作には、鬼や妖怪の名前をタイトルに冠した「鳳凰の柩」「猪笹王」、先行配信曲「茨木童子」など計15曲が収録されている。
アルバムのリリースを記念して、音楽ナタリーでは瞬火(B, Vo)にインタビュー。「龍凰童子」の制作エピソードや収録曲に込めた思いを聞いた。
取材・文 / 真貝聡
20周年を迎えてもブレない姿で立ち続ける
──4年半ぶりとなるアルバム「龍凰童子」をお聴きして、陰陽座が以前よりもさらに進化して帰ってきた感じがしました。正直、黒猫(Vo)さんの声の調子が心配だったんですけど、むしろ表現力がパワーアップしていて。
ありがとうございます。一時は、ライブはおろかアルバムを作れるのかもわからない状況にまで陥っていたんです。なので黒猫は、レコーディングに対するプレッシャーや不安もあったと思います。だけど「また歌うんだ」「陰陽座として歩みたいんだ」という再起に懸ける思いが、プレッシャーや不安を上回ったのかなと。黒猫のボーカルに関して、復帰後一発目のアルバムだからいろいろ心配をされている方もいらっしゃると思いますけど、それはまったく必要ない。おっしゃる通り、調子が戻るというよりはさらに先へ進むことができていると思います。
──アルバムの特設サイトを見ると、「ある意味で自身にとってのセルフタイトル作品とすら言える」と書かれていました。龍と鳳凰は陰陽座の家紋にかけていると思うんですけど、童子の由来はなんですか?
酒呑童子や今回のアルバムに収録されている「茨木童子」など、有名で強力な、より大きな脅威となり得る鬼の名前には“童子”が付けられます。陰陽座というバンドは、音楽シーンにおいて正道や王道を歩んでいるというよりは、常に影に潜んでると思っていて。鬼というのは忌むべきものであり、望まれざる者。陰陽座もそういう存在である、という気持ちで20年やってきました。童子は龍と鳳凰の力をまとった鬼という意味なので、まさに陰陽座の家紋が示す通りの存在なんです。だから「龍鳳童子」は陰陽座を名乗っているのとほぼ同じであるゆえ、セルフタイトルのようなものと表現しました。
──このタイミングでアルバムに「龍凰童子」というタイトルを掲げたのは、どんな思いがあったんですか?
申し上げたようにずっと影でひっそり咲く花のような気持ちでいましたし、ここまでバンドを続けられるとは夢にも思っていなかった。それでもひたむきに曲を作ってライブをすることだけを繰り返していたら20年も経っていました。そのことに対して誇りを感じますし、それ以上にファンの皆さんに感謝しています。今作は結成20年を迎えて最初に放つアルバム。想像もしなかった20周年を迎えることができた陰陽座が、まったくブレない姿でそこに立っている。それを形にした作品を作るべきだと思ったんです。だから「陰陽座」というタイトルにしてもよかったんですけど、陰陽座のアルバムは漢字4文字と決めているので「龍凰童子」としたわけです。
理屈抜きでいい曲がいっぱい入っていれば
──以前から瞬火さんは「アルバムは10曲くらいが理想」と話していましたけど、今回は陰陽座史上最多となる15曲も収録されています。
4年半もお待たせしたということで、お腹いっぱい食べていただくためにお皿に乗るだけ乗せました。今までは、食べ切れなかったり、冷めてまずくなったりするような盛りすぎた料理というのは、過ぎたるはなお及ばざるがごとしということで避けてきたんですね。でも今回の楽曲は、全部お皿に盛ったとしても最後までおいしく食べてもらえる確信があった。いろんな曲が入ってますけど、どの曲でも陰陽座の音楽性を楽しんでもらえると思いますし、ある程度ロックが好きな方であれば、初めて聴く人の琴線にも触れる自信があります。
──コンセプチュアルな「鬼子母神」、対になっている「風神界逅」と「雷神創世」、パブリックイメージを覆し、黒猫さんの歌唱力を引き出すことを追求した「迦陵頻伽」、ヘヴィメタル然とした音楽を目指した「覇道明王」。ここ数年のアルバムを振り返ると、どのアルバムもテーマが明確で、それに沿った楽曲が収録されていました。「龍鳳童子」に関しては、どういう基準で収録曲を決めたのでしょうか?
今回は、陰陽座が作りうる最大限によき楽曲をたくさん収録するという、それだけでしたね。結果としてどんなものになったのかというと「これはどう考えても陰陽座のアルバムだな」という作品になったので、“バンドそのものの姿”という意図の通りになったと思います。
──本作は陰陽座にしては珍しくインスト曲から始まります。1曲目「霓」は曲名通り雨が上がって虹がかかり、これから陰陽座が駆け出していくんだという、希望のようなものを感じました。
ありがとうございます。おっしゃる通りで、これまでが雨の降ってる状態だったとするならば、このアルバムで雨は上がりました。それを告げる虹が「霓」という。
──2曲目「龍葬」は黒猫さんのボーカルで始まるわけですが、この曲こそ“帰ってきた感”をすごく味わえる。「霓」「龍葬」という流れはよく考えられて決められたものなんだろうなと。
その通りです。「霓」と「龍葬」を通して陰陽座が再び歩き出すこと、黒猫の歌がまた世に響き渡ることを宣言したかった。曲作りの中で「龍葬」の歌い出しに当たる部分が、頭にふっと湧いてきて、それが黒猫の声で聞こえたときに「このアルバムはこの曲で始まるべきだな」と直感したんです。ただ、これだけの長い間お待たせしたことも踏まえて、いきなり歌で始まるんじゃなくて、ここに来るまでの僕たちとファンの皆さんとの気持ちを共有できるようなイントロダクションが必要だった。まさに冒頭の2曲は、今回のアルバム制作の肝になった部分ですね。この始まり方ができたから、あとはとにかく理屈抜きでいい曲がいっぱい入っていればいいと思えた。それもこれも「龍葬」と、この曲を歌った黒猫のおかげですね。
──「龍葬」で描かれている龍は黒猫さんのことかなと思ったんですけど、当たってますか?
ここで歌われている再び飛び立つ龍は黒猫そのものです。黒猫がまた歌うということは、陰陽座がもう一度歩み出すということなので。ぱっと見でわかる歌詞ではないですけど、歌声と言葉が一緒になったときに、強い意志を感じてもらえるのではないかと。この曲に黒猫の姿を重ねていただけたのは、僕の狙い通りですね。
──それとここ数年の楽曲は、招鬼(G)さんと狩姦(G)さんのギターソロがそれぞれ独立していました。しかし「龍葬」では珍しくお互いのギターソロが重なっている。そこにも復活のドラマを感じました。
そうそう。招鬼の中で「最近ご無沙汰だった2本のギターが重なっていく感じを、このアルバムでやりたい」という思惑があったみたいで。「龍葬」のギターソロを考えるときに、ここしかないと感じたそうなんです。それも運命的だと思いましたね。2本のギターソロがただハモるのでもなく、めちゃくちゃやるのでもなく、お互いに絡んでいくことで、2匹の龍が絡みながら天に登っていく絵が浮かぶ。そういうメンバーそれぞれの思いも「龍葬」に自然と加味されて、4人そろって陰陽座であることや、黒猫がまた戻ってきたことを表した曲ですね。
黒猫の復活を告げる曲
──アルバム発売に先駆けて「茨木童子」を配信されたのは、どんな意図があったんですか?
再び動き出すのは生半可な気持ちや勢いではないという思いを伝えられる曲、黒猫の復活を告げるような狼煙を上げる曲を出したかった。どの曲もそうだと言えますけど、その中で一番陰陽座らしさがありつつ、今までの陰陽座にない猛々しいところがあるこの曲しかないんじゃないかなと。
──なぜ曲の題材に茨木童子を選んだのでしょう?
茨木童子はいろんな作品でキャラクターとして使われたり、モチーフになったり、日本の伝承が好きな方には超有名な鬼なんです。酒呑童子の子分にあたるんですけど、たくさん残ってる伝承を忠実につづったというよりは、そこに自分なりの空想も交えています。「この言葉が入ってるってことは、こういうストーリーなんじゃないか」とファンの人が考えた考察をいくつか見たんですけど、面白いことにその中に完全に当たってる感想があって。よく歌詞に込めた意図がわかったなと驚いたんですよ。
──読み解く人が現れたときって、どんな感覚になりました?
おおよそ平易な言葉でつづられた歌詞とは言い難いですから、本当にすごいなと。古語も比喩も多いですし。僕としては、本来は子供やお年寄りが聴いても歌詞カードも見ずして何を歌ってるかがわかり、感動できる歌詞が素晴らしいと思っていて。だからぱっと見て難しそうな歌詞を書いてるから偉い、と思ったことはないんです。だけど、自分が書きたいと思ったのは、こういうものだった。それを熱心に読み解こうとすること自体がありがたいし、それだけ真剣に聴いてくれてるということじゃないですか。僕が込めた思いを「こうなんじゃないか」と考えて、理解してもらえるのは、ただただ驚くし、その熱意に頭が下がりますね。
──仮に解釈が間違ってても、それも愛のキャッチボールですしね。
間違っていてもまったく問題ないですね。書き手が「こういう気持ちで書いてます」と言ったって、聴いた人が違う受け取り方をしたなら、その人にとってはその解釈が正解なんです。陰陽座の曲は自由に捉えてもらってかまわないんです。どこか難解そうな歌詞って「それっぽい言葉を並べとけば書けるだろう」と思われるかもしれないですけど、それだと読み解こうとしたって意味がわからないんですよね。「茨木童子について歌ってるけど、この単語が入ってるということはこういう話なんじゃないか」と考える余地があるというのは、僕がちゃんと意味を持たせて書いてることを証明してくれてる。そこにも感謝しかないですね。
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