思い出野郎Aチーム「Parade」特集|メンバーインタビュー、マコイチ×いとうせいこう対談で紐解く4年ぶりのアルバムに込めたメッセージ (4/4)

意味がわからなくても「踊れる」「楽しめる」ものを

──「音楽と思想は別か否か」「ミュージシャンは音楽の中で政治や社会にコミットするべきか否か」という議論がありますが、その意識についてはどう考えられますか?

高橋 その考え方は、この国独特のものだと思うんです。ソウルやジャズ、ファンクなどの音楽を知れば知るほど、そこにはポリティカルな歌詞や、社会に対する姿勢が含まれているし、僕がシンパシーを覚える音楽は、差別された人たちが戦いながら作ってきた、獲得してきた音楽なんですね。でも日本だと、ポリティカルな内容だったり、社会的なことを歌詞に込めると、それを「思想強め」という言葉で揶揄したり、不自然なものとして捉える傾向がある。思い出野郎も、別にすべての曲にポリティカルなものを入れようとは思ってないんです。だけど、興味のあることは曲に込めたいし、嫌でも政治や社会の状況を考えざるを得ないから、それは歌詞に当然入ってくるんですよ。それに「政治と音楽を切り離す」という考え方自体、ものすごく政治的な態度ですよね。

いとう そうなんだよ。「あえて言わない」という“政治”、党派性を選んでるんだよ。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

高橋 それが何に加担してしまうのかは、少なくとも自分は自覚しておきたい。

いとう 韓国の子たちがやっているポップスがアメリカで大ヒットするのは、社会的な意識を含んでたり、暗喩してる部分があるからだと思う。日本だってわかりやすい例で言えば、新宿西口広場でのフォークゲリラや頭脳警察のように政治的なことを言うグループや人たちはたくさんいたし、普通のことだった。だけど80年代からそういう風潮が後退していって、90年代には「音楽では政治的なことは歌わない」という環境が完成していったと思う。そして3.11が起きて、政治的社会的な発言をいろんなアーティストが発信したら、それに対する逆風も同時に起こったし、その逆風がSNSを通じて拡散したり、アーティストに対して直接噛みつく人が多くなったりした。そうすると、メジャーなアーティストは発言が難しくなるよね。俺なんかはアングラだから関係ないんだけど(笑)。

高橋 僕もアンダーグラウンドだから可能なのかな、とは思いますね。

いとう でも、マコイチの今回の歌詞は、さっき話したゴスペル的な部分が隠れ蓑になっていると思うんだよね。特に今回は直接的な表現はしてないから「いや、別に政治的なことは言ってませんけど?」ととぼけることもできるでしょ?(笑)

高橋 そうですね(笑)。

いとう 飄々としつつ、その実にすごくプロテストな感情を込めることも音楽にはできるから。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

──高田渡の「自衛隊に入ろう」のようなシニカルなアプローチだったり……。

いとう もっと言えば、THE TIMERSで「原発賛成音頭」を清志郎さんが歌ったような褒め殺しのやり方もあるわけで。そういうものは80年代、90年代で消えちゃったと思ってたから、思い出野郎が出てきてくれてよかったと本当に思うよ。

高橋 ソウルやファンクにも、ラブソングなんだけど、社会に対するメッセージが込められているものがたくさんありますよね。「同じ夜を鳴らす」の中では「ラブソングも歌う気にもなれず」と歌いましたけど、今回のアルバムでは「ラブソングだからポリティカルじゃないとは言えない」と考えを新たにしたんです。

いとう 吉本隆明の“対幻想”で言えば、パートナーとの間に築かれる関係性は、国家や社会という“共同幻想”よりも非常にラディカルなものであり、それを歌うラブソングというものは、まさにラディカルでレベル(REBEL)なものだとも言える。だから、どこで聴くのか、誰と聴くのか、どう聴くのかで歌の意味を変えるのは、リスナーでもあるんだよ。

高橋 そうですね。そのうえで思い出野郎としては、「意味がわからなくても踊れる」「楽しめる」ものにはしたいという思いがずっとあって。せいこうさんや「TOKYO SOY SOURCE」の人たちにも、その強さを感じたし、そういった音楽の在り方を、自然に取り入れていたと思うんですよね。

いとう それは大事だよ。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

“それぞれが踊る”音楽を作りたい

──思い出野郎の曲には「ダンス」という言葉が頻出しますが、ダンスは根本的に人間をコントロールや制御から解き放つものであり、管理と抑制を求める「システム」の対極にあるものですね。

高橋 みんなが勝手に、それぞれのビートで踊るから、ディスコは抑圧されるんですよね。

いとう 踊るという統制の取れなさは、ある種の人たちにとっては嫌なことだったりするから必然的にそうなる。

高橋 僕はなんでもかんでも噛み付いたり、常に反権力というスタンスではないんです。でも自分のやりたいこと、ダンスやパーティを追求すると、そういう自由を拒む何かと対決していくことになる。それでも僕らは“それぞれが踊る”音楽を作りたいんですよ。

いとう どんな踊り方だって素敵に見えるときがあるし、どんな形でビートを取ってもいいんだよね。それにダンスミュージックなら、普段は照れて言えないようなことが言えちゃう不思議な力がある。

高橋 パーティに関してもそうで。僕がダンスミュージックを知る前のダンスのイメージは、みんなで同じ振付をして踊るようなものだったんですね。でも、ジャズやファンク、ダンスミュージックを知っていくと、その音楽によってみんながバラバラに解放されるという一種のアナキズム的な“自由さ”と、その場の“連帯感”がごちゃ混ぜになる快感があることを知って、すごく衝撃を受けたんです。僕は運動神経もよくないし、ダンスもうまくないですけど、それでも踊ってしまう、体が揺れてしまう。そしてそういう人が集まれるパーティをやっていきたいんです。

いとう パーティは「おそらく1対1で話したら、考え方が合わないだろうな」という人とも、一緒に体を動かすことになるじゃない。

高橋 それに助けられるんですよね。

いとう その瞬間は体が分断を超えるんだよね。それはすごく重要なことで、分断やヘイトに対して対抗する思い出野郎の音楽を聴いて踊るってことは、そのメッセージに対して少なくとも体は受け入れてるわけでしょ。

──ヘイトや分断を許容したり扇動する側でも、思い出野郎の音楽で踊ってしまえば、そのメッセージに「ノッた」ということですからね。

いとう ノッたかはわからないけど、「でも、まあ踊っちゃってるわけでしょ?」っていう(笑)。そのとき、分断はしてないんですよ。それはすべてのダンスミュージックに言えることだよね。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

まずは自分自身が変わることが大切

──ワードの部分で伺うと、マコイチさんは「あなたを助ける」「救う」といったような、他者を自分の意志で動かすような言葉を使いませんよね。これは心がけていることなんですか?

高橋 ステージに立っていると、何かをコントロールできるような気になってしまうことがあって。それは自分でも抑制しないといけないと思うんです。せいこうさんが「いとうせいこう is the poet」で「社会を変えるにはまず自分が変わる」とおっしゃっていて、僕も常々その通りだと思います。だから、高いところから「こうするべきだ」と発言するより、まず「僕はこうします」と自分が動いて、それに共感してもらえればいいと思うんですよね。自分は日本という国においてマジョリティであるのは間違いないし、そういうマジョリティこそが変わっていかないといけない。それは入管法やウィシュマさんの事件もそうだし、人種差別、LGBTQ+とか、さまざまな問題に対してそう思うんです。踊って楽しい、自由だと感じつつも、そこではいろんな問題が起きているし、それは無視できないことで。

──例えばクラブで自由に、安全に楽しめるというのも、男性だから、マジョリティであるから、という部分もありますね。

高橋 そこに自覚的になって、自分から変えていかないといけないと思う。もちろん「救う」みたいなことを言うのはカッコいいと思うし、それが大事な場所もあると思うんですが、それは自分のやることではないなと。

──最後に、これからお二人がお互いに望むことは?

高橋 個人的には、自分が「この先どうしよう?」と迷ってるタイミングに、せいこうさんの作品が道しるべのように現れるんですよね。だから音楽も著作も、どんどん新作を出してくれればいいなと無責任に思います(笑)。

いとう まずは「福島モノローグ」に続く、東北被災三県を中心に取材した「東北モノローグ」をまとめようと思ってるんで、それに期待してほしい。でさ、表現者としては、俺は迷ったら道が見えるまで探し続けるしかないんだけど、ミュージシャンはカバーっていう手があるんだよね。カバーって面白い表現だよ。他人を自分の中に入れて、消化して外に出すってことじゃない? だから俺は思い出野郎Aチームのカバーアルバムを聴いてみたい。何を選んで、それをどんな形にするのか興味があるよ。

高橋 がんばります。あとはゴーゴーですよね。

いとう ワシントンゴーゴーね。出会ったときから、思い出野郎とはワシントンゴーゴーのバンドを作りたいという話をしてるんですよ。ダンスのことしか考えないバンドがもう1個あるのは、マコイチにとっても、思い出野郎にとっても、いいことなのではないかって思うしね。

高橋 それ言われたときはメンバーも大興奮でした(笑)。

いとう だから、ゴーゴーとカバーを、思い出野郎にはひとまずお願いします(笑)。

高橋 がんばります(笑)。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

思い出野郎Aチーム イベント情報

Soul Picnic 2023 "Parade"

2023年9月2日(土)東京都 ダンスホール新世紀
<出演者>
思い出野郎Aチーム / and more

プロフィール

思い出野郎Aチーム(オモイデヤロウエーチーム)

2009年の夏、多摩美術大学にて結成された8人組のソウルバンド。メンバーは高橋一(Trumpet, Vo)、斎藤録音(G)、長岡智顕(B)、岡島良樹(Dr)、宮本直明(Key)、松下源(Percussion)、増田薫(Sax)、山入端祥太(Trombone)。2015年2月にmabanuaのプロデュースによる1stアルバム「WEEKEND SOUL BAND」をリリースする。2017年にカクバリズムに移籍して同年8月に2ndアルバム「夜のすべて」を、2018年9月には5曲入りCD「楽しく暮らそう」を発表。2019年9月に3rdアルバム「Share the Light」をリリースした。2021年10月に長岡智顕(B)が体調不良で音楽活動を休止することを発表。現在はサポートミュージシャンとしてFukaishi Norio(B)、沼澤成毅(Key)、ファンファン(Trumpet)、YAYA子(Cho)、手話通訳としてペン子、鈴木幸代、水野里香を迎えてライブ活動を行っている。2023年7月に約4年ぶりとなるオリジナルアルバム「Parade」を発表。9月には東京・ダンスホール新世紀でライブイベント「Soul Picnic 2023 "Parade"」を開催する。

いとうせいこう

1961年3月19日生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中からピン芸人としての活動を始動し、情報誌「Hot-Dog PRESS」などの編集を経て、1985年に宮沢章夫、シティボーイズ、竹中直人、中村有志らと演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。1988年に小説「ノーライフキング」を発表し、その後も「想像ラジオ」「鼻に挟み撃ち」などが芥川賞候補となった。ジャパニーズヒップホップの先駆者としても知られ、2009年には□□□に正式メンバーとして加入。現在は、□□□、いとうせいこう is the poetで活動中。テレビ番組への出演など、その活動は多岐にわたる。