思い出野郎Aチーム「Parade」特集|メンバーインタビュー、マコイチ×いとうせいこう対談で紐解く4年ぶりのアルバムに込めたメッセージ (2/4)

いろんな考え方、属性を許容できるのがパーティ

──アルバム収録曲の話をすると、個人的には「機材車」で“集合体”としての思い出野郎Aチームが表現されていたのが興味深くて。思い出野郎の歌詞は基本的にマコイチさんの主観が強かったと思うのですが、ここでは「バンドとしての在り方」がテーマになっています。それは先ほどお話に出たようなバンドとしての危機を乗り越えたからなのかなと。

高橋 そうかもしれないですね。でも、だんだんと書くことがなくなってきて、いよいよハイエースのことまで書き始めたというほうが正確かもしれない(笑)。田我流さんの「センチメンタル・ジャーニー」がすごく好きで、あの曲がツアーやクラブの話なら、俺らはその間の移動の話というめちゃめちゃ狭いところを書こうと思って。

斎藤 そこなら第一人者になれるぞと(笑)。

高橋 クラファンをやったときに地方の友達やDJが「また来てよ」とメッセージをたくさんくれて。そういう思いも感じたことで、ツアーの移動中の情景が浮かぶような歌詞が生まれたんだと思います。

──全体的には、言葉の抽象性が高まっていると思いました。

高橋 「それはかつてあって」みたいな、1曲を通してプロテストする曲は今回のアルバムにはないですね。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

──歌詞の具体的な内容に関しては、いとうせいこうさんとマコイチさんとの対談で言及していただければと思うのですが、「愛とパーティー」の中には「I'll Remember April / 覚えてるあの4月 / 心が砕け散って」という言葉があります。これが何を指しているかは明確には語られていませんし、僕が想像している事象と、マコイチさんがここでイメージしていることは、もしかしたら違うかもしれない。そういう多義性がアルバムの言葉の軸になっていると感じました。

高橋 「Share the Light」を作ったあとに、いろんな学びやしくじりがあって。自分の持つマジョリティとしての加害性を感じる機会も多かった。そういう立場の人間がさまざまな問題に対してどう考えて、どう接するのかを描きたかったんです。

──歌詞はバンド全体の意思表明として受け取られることが多いと思いますが、斎藤さんと宮本さんはバンドの一員としてどう考えていますか?

宮本 自分でも常に思っているけど、うまく言葉にはできないことを、マコイチは歌詞に落とし込んでくれているので詩人として信頼しています。メンバーとしてクリエイターとして、そういったマインドや問題意識を共有している部分も大きいし。

斎藤 僕はバンドとしての表現に“プレイヤーとして乗っている”と思っていて、そこには共感も当然あるし、同時に新しい視点をマコイチからもらう部分もあるんです。

高橋 歌詞は俺1人の一存だし、メンバーに許可も取らないので、「この歌詞は果たして思い出野郎として歌うことが正しいのか?」と迷うこともあります。もしかしたら「いや、俺はそうは思わない」と言うメンバーがいてもおかしくない。そして、そういう問題意識やイデオロギーに関することに対して、「どっち派なんだ?」みたいな会話もしない。でもリハ終わりの酒の席での話や、それこそ大学時代から一緒に音楽を聴いて、そのメッセージに対して共感してるメンバーだからこそ、「この音楽を聴いていれば、少なくともこういう思想は持ってないだろう」「少なくとも差別には反対だろう」という信頼感があるんですよね。もちろん思想集団ではないから、どの政党や思想を支持しても構わない。でも最低限の「こうじゃない?」という部分で、ゆるく信頼し合っているんだと思います。

斎藤 もちろん、メンバー全員の考えが完全に一致するなんてあり得ないと思うんです。

左から宮本直明(Key)、斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)。

左から宮本直明(Key)、斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)。

──それはファシズムだし、思い出野郎の在り方とは対極にありますね。

斎藤 もしマコイチのメッセージに対して納得がいかなければ、意見するなり、反旗を翻すのが真摯な態度だと思うんですよ。思い出野郎はトップダウンの集団でも、ビジネスだけでつながってるバンドでもないから。いろんな思想の人が1つのバンドの中にいて、それを楽しむのが思い出野郎だし、パーティだってそう。いろんな考え方や属性の人がいて、それを許容できるのがパーティだと思う。思い出野郎はそういうパーティについて歌っているので、そこには誠実でありたい。

宮本 「思い出野郎が社会の中でそういう(ポリティカルなことを発言する)役割を担ってる」とまでは思わないけど、自分たちが考えていること、大事なことは言っていかないと。

──ライブでのグルーヴがその証明ですよね。例えば「それはかつてあって」は、ヘイトクライムに対する強烈なアンチテーゼを歌っているけど、踊らざるを得ないグルーヴがサウンドの肝になっている。それはマコイチさんのメッセージを、バンドが演奏でグルーヴさせることで、賛同を表しているからだと思います。

斎藤 共感してなかったら演奏もボロボロですからね(笑)。

高橋 そうだね。ポリティカルな内容じゃなくても、歌詞や内容がいまいちだと、そもそもノッて演奏してくれないから(笑)。

続けることに意味がある

──アルバムは「音楽があっても」で終わります。この曲は“音楽の有り様”と同時に、“自分ではない誰かとの関わり方”が1つのテーマになっていると思いますが、この曲でアルバムを閉じた理由は?

高橋 思い出野郎Aチームは、友達より関係は密だけど、家族ともまた違う。そういう人と音楽を作るとはどういうことなのかを、この3年間は考える機会が多かったし、同じように社会的にも「他者とどう向き合うか」「人とどう関わるか」がキーワードとしてあったと思うんです。思い出野郎にとっては、そこに音楽が介在しているけど、当然音楽が力にならないつながりも、音楽ではどうにもならない関わりも、世の中には存在していて。例えば宮下公園でのホームレスの排除や、コロナ禍での「基礎疾患を持ってる人は切り捨てましょう」という言説、ウィシュマ・サンダマリさんの死亡事件や入管法の問題……マジョリティが支配する社会の中で、勝手に人を“有益”かどうかジャッジして排除するような間違った認識が強まったように感じています。「音楽があっても」は、そういう他者を排除していったり、分断する考え方があふれる中で、「音楽だけがあってもしょうがないよね」みたいな気持ちもあって書きました。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

──「音楽が鳴れば世界が変わる」という夢想的なことを言わない、でも同時に、シビアな現実の中でそれでも音楽に希望を持つという両義性も、今回の作品には強く現れているので、この曲はそれを象徴的に形にしているのかな、と個人的には感じました。

高橋 コロナ禍でバラバラになる中で、僕たちはやっぱり集まりたいと思ったし……。

斎藤 会いたいと思ったからね。

高橋 それが形になったんじゃないかなと思います。

──コロナ禍の中で、さまざまな部分で分断が進んでしまった現在、「思い出野郎が音楽でできること」はなんだと思いますか?

宮本 バンドとしての使命みたいなものは考えたことないんですけど、いい曲を聴くといい気分になるじゃないですか。そういう音楽を作って、いい演奏をして、いいライブをする。単純だけど、それを続けていければ、何かしらの意味になっていくのかもしれないと思いますね。

斎藤 聴いた人の心の中に、何かひと花でも咲かせられたらいいですよね。曲を聴いて、ライブを観て、少しでも楽しい気持ちになって「今日はよかったな」と思ってくれたらそれが一番。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

左から斎藤録音(G)、高橋一(Trumpet, Vo)、宮本直明(Key)。

高橋 「続けることに意味がある」というのは前から思ってたんですけど、その思いは強くなってきました。ただでさえ大所帯でバンドを続けることは難しいし、それぞれの生活や環境の変化もある。その中でもグループを続けることは、より大事になってると思うんです。そして自分や自分たちが当たり前だと思うことを歌ってライブをすることで、「それを続けていいんだ」と思ってもらうこと自体が1つの表現なのかな、と思います。