思い出野郎Aチーム「Parade」特集|メンバーインタビュー、マコイチ×いとうせいこう対談で紐解く4年ぶりのアルバムに込めたメッセージ (3/4)

高橋一(思い出野郎Aチーム)×いとうせいこう 対談

いとうせいこうはルーツであり、影響を受けている存在

──対談の入り口として、せいこうさんとマコイチさんの出会いから教えてください。

高橋一(思い出野郎Aチーム) 初めてお会いしたのはTBSラジオの「アフター6ジャンクション」ですね。2019年だったと思います。僕らが「LIVE & DIRECT」のコーナーに出たときに、せいこうさんは「国境なき医師団」の特集に出演されていて、そこでご挨拶をしたんですよね。そうしたら「知ってるよ! 聴いてるよ!」とおっしゃっていただいて。

いとうせいこう そうだったね。

高橋 せいこうさんのミュージシャンとしての側面はもちろんですが、「想像ラジオ」のような作家活動にも影響を受けてるので、すごくうれしかったですね。それに当時、僕とせいこうさんは近所に住んでいたんです。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

左からいとうせいこう、高橋一(思い出野郎Aチーム)。

いとう それで俺が引っ越すときに「ウチにあるレコードを持って行ってよ」と連絡したんだ。レゲエのレコードを中心に、ダブやゴーゴー、RCサクセションもあったかな。それをマコイチに引き取ってもらって。

高橋 その中にBob Marley & The Wailersの「Uprising」もあって。「想像ラジオ」の中で印象的に登場する「Redemption Song」を聴きながら、奥さんと「これが実際にせいこうさんがアナログで聴いてた『Redemption Song』か……」と、2人でテンション上がってました(笑)。

──「鳴りが違う」みたいな(笑)。

いとう 2019年末に放送された「テレビ特区」(フジテレビ)で、俺は出演だけじゃなく構成にも関わっていたから、そこで「思い出野郎の演奏でオープニングを!」とスタッフにお願いしたんだよ。

高橋 オファーをいただいたときは「生放送のオープニングが僕ら!?」と驚きました(笑)。

いとう 痺れる演奏だったよ。スタッフもすごく気に入ってくれたので、2回目の放送も思い出野郎になって。それから、S-KENさんというつながりもあったね。

高橋 せいこうさんから「S-KENさんが思い出野郎を聴いてるよ」と聞いたときは、メンバー一同「ええっ!」という感じで。

いとう S-KENさんと俺で「東京ロッカーズ、『TOKYO SOY SOURCE』、という流れの先には、思い出野郎があるんじゃないか」という話をしていて。

いとうせいこう

いとうせいこう

高橋 思い出野郎は「TOKYO SOY SOURCE」への憧れがあるんですよ。

いとう それをマコイチから聞いたときは「若いバンドが『TOKYO SOY SOURCE』を知ってるんだ!」とびっくりした。「TOKYO SOY SOURCE」はJAGATARAとかTOMATOSの間に、俺や(高木)完ちゃん、(藤原)ヒロシが登場して、ラップのライブをやるようなイベントだったし、俺はあの場所から出たようなもんだから、そういう歴史もよく知っていてくれるのはうれしかった。

高橋 僕らは学生の頃にバンドを組んで、東日本大震災の時期に大学を卒業したんですね。だからバンドの方向性が固まっていく時期に、それまでの価値観を転換せざるを得ないことが起きた。実際、震災が起きる前に楽しんでた音楽でも、以降はリアリティを感じなくなってしまったものもあって。その中で「TOKYO SOY SOURCE」の人たちや、せいこうさんの音楽には、ずっとリアリティを感じていたし、過去に発したメッセージも、3.11を越えて意味合いがより強くなっていったと思うんです。だから思い出野郎からすると、ルーツであり、ずっと影響を受けている存在で。

高橋一(思い出野郎Aチーム)

高橋一(思い出野郎Aチーム)

いとう マコイチが俺に影響を受けたように、こんな俺でもずっと前にはカーティス・メイフィールドがいて、ギル・スコット・ヘロンがいるんだよね。ラブソングも歌うけど、同じように社会的な問題も歌う。カーティスでいえば「There's No Place Like America Today」のような作品で世相や社会問題を表現して、ポップスの方面でも注目を向けさせた。その流れはN.W.Aの「Fuck Tha Police」のような表現やアプローチに通底して、現在にもつながってる。そういうリアリティに根ざした音楽が今の日本にはなかなか存在しないし、それを形にしている思い出野郎は当然だけど信頼できるんだよね。

思い出野郎の音楽に感じる、ゴスペル感

高橋 僕からすると、ポップでキャッチーでありながら、社会的なメッセージも盛り込まれている“共存性”みたいなものは、せいこうさんたちが前例として道を作ってくれたのが大きいと思っていて。それこそ(忌野)清志郎さんとか。

いとう だけど俺はマコイチみたいに、こんなに上手に普遍的な詞は作れないよ。特に俺はすぐ具体性のほうにいっちゃうタイプだから。それに対してマコイチの歌詞は、いい意味で聴き流せちゃう強さがあるよね。具体的な固有名詞を出すときもあるけど、基本的にはそれを出さないから、意識しないときは聴き流せる。だけど曲のメッセージが大事になるとき、例えばデモのときに流せば、そこでグッと意味が露出するというか。それが思い出野郎の表現の面白さだよ。

高橋 「Parade」では特にそれを意識しました。直接的じゃないけど、混ぜ込まれているという。コロナ禍の状況もあって、歌詞が全然書けなくなった時期があったんですよね。その中で、せいこいさんの「福島モノローグ」を読んで。

いとう 「福島モノローグ」は震災での経験を中心に、福島の方々にインタビューをしていて。自分の声や主観は全部切った、相手の声だけを残した本なんだけど、皆さん最初は「何も言えませんよ」と言っていたんだよね。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

──登場するのは、いわゆる“市井の人々”ですね。

いとう そういう人たちに水を向けるとさまざまな経験や言葉があふれてくる。その言葉を伝えたかったし、語ってもらいたかったのが、あの本なんだよね。

高橋 そこで「いなくなってしまった人たちが語ったかもしれない言葉や、言ったかもしれない言葉を、引き継いで伝えていくこと」を考えさせられたし、それが自分にとってはニューオリンズのセカンドライン(ブラスバンドを伴ったニューオリンズの伝統的な葬儀パレード)を想起させられて、そこから「日々のパレード」に、そしてアルバム全体のイメージにつながっていったんですよね。最近、ジェイムズ・H・コーンに学んだ榎本空さんの著書「それで君の声はどこにあるんだ?──黒人神学から学んだこと」を読んだら、通じるような話が書かれていて、自分の中でそれらが1つの線でつながっていると思いました。

いとう 「福島モノローグ」は204ページあって、当然、読むのには時間がかかるけど、そのメッセージや思いを音楽は3分間にパックするんだよね。「福島モノローグ」のように、何時間も何十時間もかけて話してもらって、それを言葉として本にまとめることも大事だけど、もう一方では音楽がないと寂しいとも思うんだ。

高橋 僕としては「福島モノローグ」のような本を読むと、「果たして自分に語り得ることはあるのか? 何を歌にすればいいのか?」と悩むんですが、そう言ってもらえると救われます。

いとう 「Parade」は今までにも増して、ソーシャルなテーマを歌っているアルバムだと思うけど、それを“同じような表現”で歌っているのが面白い。普通は奇をてらわなきゃとか、違う言い回しを探すところを、同じ言葉や比喩を使い続けるとかね。例えば思い出野郎には「夜」や「レコード」という表現が多いけど、そうやって同じワードを使いながらも、曲によって1つひとつの言葉が違う色彩を帯びて迫ってくる。これは何に近いのかな?と思ったら、ゴスペルだよね。「ハレルヤ」という言葉が頻出する、もっと言えばそればかりなんだけど、そこには「苦難があっても前に進もう」「今を祝おう」「弱い人に手を差し伸べよう」というさまざまな意味が込められている。その意味でも「Parade」はゴスペルだと思った。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

左から高橋一(思い出野郎Aチーム)、いとうせいこう。

高橋 おそれ多いです。自分は特定の信仰はないですが、ゴスペルからの影響も確かにかなり大きいです。前作はもっとポリティカルなことや、対象に対してハッキリと意見を言わないとダメだと思っていたし、同時に「同じような表現を避けなくちゃ」みたいな意識があったんです。もちろんハッキリと意見を表明することは大事ですが、それが表現として目的化するのは違うよなと。そして、せいこうさんがおっしゃったように、同じことを言っても、同じメロディがあっても、そこで立ち上ってくるものがあるのが、ソウルミュージックだと思うし、それでいいんだなって。

いとう 難民問題だったり、ヘイトだったり、いろんなものを抱えたアルバムで、いろんな景色があるんだけど、それを通底した1つの言葉で歌っているんだよね。そして同じ言葉であっても、いろんなメロディや節回し、演奏がある音楽だからこそ、表現や印象が変わる。マコイチたちがいつ、どこでライブするかによっても違ってくるわけじゃん。

高橋 そうですね。

いとう 普遍的な内容だから、すごく好きな人と聴いてたらラブソングに聴こえる曲も、一方でデモで歌えば、パレードしながら歌えば、関東大震災の日に歌ったら……そこで別のメッセージがあらわになるし、それが伝わる人も多いと思う。その意味でも、すごくプリズム的な色彩があるということだよね。

高橋 「純粋に、ただ歌として、いつの時代もいい曲」ということでは、もう音楽はいられないと思うんですよね。音楽と社会は地続きであると思うし、世の中で起こってることと切り離して、「純粋に音楽なんで」という割り切りをするのは、少なくとも自分にはできない。確かに僕も高校生の頃、マーヴィン・ゲイを最初に聴いたときは、やっぱり単純に聴感として「カッコいい」と思ったんですよ。でも歌詞カードを読んだり、その歴史を知ることで、そこに込められた意味の重さを感じたり、なぜこの音楽が必要とされたかを知ることになって。

いとう 俺も最初は「What's Going On」の本当の凄味には気付かなかったよ。ただ音楽的に好きなだけで。でも、ライブ映像を観たときに、服のボタンを外しながらセクシーに歌い上げて、それに観客が痺れてるさまをみて、衝撃を受けたんだ。兵役や弾圧という社会問題、政治の話なのに、あんなふうに歌い上げることで、ただ政治のことを話すのとは違う説得力が生まれるし、セクシーであることの重要性も感じたんだよね。