目まぐるしい10代最後の日々
──2015年3月にリリースされた1stアルバム「HAPPY」は、まさに大原さんの多彩な魅力が詰め込まれた内容になりました。
「自分はこんな世界観が好きなんです」とか、「こんな曲を歌ってみたいです」とか、細かく自分の意見を言わせていただきましたからね。このあたりから楽曲制作にもかなり深く関わるようになりました。
──アルバムが出たことで“役柄の呪縛”みたいなものからは解き放たれましたか?
まあ呪縛ってほどではなかったんですけど(笑)、アルバムのツアーでは「理子ちゃん」と呼ばれることはほとんどなくなったような気がしますね。皆さん、ちゃんと生身の大原櫻子を観に来てくださっていたというか。それはきっと、お芝居のほうでも「水球ヤンキース」をはじめ、いろんな作品でいろんな役を演じさせてもらえるようにもなっていたので、「さまざまな表情を持っているのが大原櫻子なんだ」ということが皆さんに伝わり始めたからなのかもしれないですね。
──「映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」での声優初挑戦や紅白歌合戦初出場など、さまざまな“初”を経験した2015年は、大原さんにとって10代最後の1年でもありました。
そうですね。2015年も含め、10代は学業との両立もあったので、ありがたいことに目まぐるしい日々を過ごさせていただいたと思います。自分なりにいろいろな葛藤もあったし、今思うと責任感を持てているようで持てていなかった時期かも。当時、スタッフの方に「櫻子はもっと甘えたほうがいいよ」って言われたことがあって。
──すべてを自分で抱え込んでしまっていたから?
そうそう。性格的に、何事に対しても自分でしっかりやらなきゃと思ってしまうんですよね。そのせいでデビューした当初は考え方が固くなってしまうところもあって、自由な発想力も生まれないという。だから「甘えたほうがいい」と言われたんだと思うんです。でもそう言われると今度はそれを鵜呑みにしちゃって、何をするにも周りの人に頼るみたいな感覚も生まれてしまったんですよ。甘えすぎて自分で発想することもしないっていう(笑)。
──でもデビュー当時から楽曲に対してのアイデアもたくさん出していた印象ですし、柔軟な感性を持って歩んでこられていたように思いますが。
まあ確かに、とにかくしっかりやらなきゃという気持ちだけは常に持っていたようには思います。
大原櫻子、人間臭くなってくる
──年が明けて早々に20歳になった大原さんですが、20代を迎えて気持ちは変化しましたか?
うーん、この時期は舞台からの影響がすごく大きかったかな。自分にとって初舞台となった「地球ゴージャスプロデュース公演Vol.14『The Love Bugs』」は19歳で稽古が始まって、20歳の誕生日に本番の日を迎えたんですけど、そこで関わった方々との出会いを通して考え方がより自由になった実感があったんですよね。厳しいこともたくさん言われましたけど、1つの作品を作り上げていくためにはどうしたらいいのかという部分ではたくさん勉強させていただきました。
──以降も積極的に舞台を経験していくことで、音楽活動にもさまざまな影響が表れていくようになります。
そうですね。デビュー当初の私はポップで明るくて元気なイメージの楽曲を歌うことが多かったんですけど、20歳になって感受性もぶわっと豊かになり、いろんな舞台を経験したことでより人間っぽい表現ができるようになった気がするんですよね。ちょっと強めの歌い方をしたり、ラブソングでは大人っぽい表現をしてみたり。大原櫻子の音楽が人間臭くなってきた時期ですね(笑)。
──その最初の結晶として6月にリリースされたのが2ndアルバム「V」でした。
はい。リード曲をあえて大人っぽい雰囲気の「サイン」にしたりとか、このアルバムでは1つ壁を壊せた、一皮むけたような感覚がありました。
──ここで見せた幅広い表情は、明るくて元気というパブリックイメージへの反発なのかなという勘繰りもあったんですけど、実際はどうでした?
いやいや、私はもともと明るくて元気な性格ですからね。そこに縛られている感覚はまったくなかったですよ。「むしろその通りだし」みたいな(笑)。ただ、私の中にはそうじゃない部分もあるから、そこも見てほしいという欲求が強くなったんだと思います。それまでは大原櫻子の一部分しか見てもらっていなかったから、今思うとそこへのもどかしさがもしかしたらあったのかもしれないです。
──アルバム「V」を引っさげたツアーでは日本武道館公演2DAYSを成功させて、デビュー当初に掲げた夢が約3年で叶いました(参照:「大好き!ありがとう」大原櫻子、歌とダンスで1万8000人魅了した武道館2DAYS)。
いやー、やっぱりすごくうれしかったですね。いろんなアーティストさんのライブを観た場所でもあるし、日本を象徴する歴史のある会場でもありますし。ステージに立った瞬間、ものすごく感慨深い気持ちになりました。
──ファイナル公演のアンコールでは、MUSH&Co.の「ちっぽけなを愛のうた」歌われていて。デビューのきっかけとなった作品への愛を感じた瞬間でした。
うん、あの曲を歌ったときには「カノ嘘」への感謝の気持ちがめちゃめちゃありました。あの日の武道館には映画の監督さん、キャストの方、亀田さんも観に来てくださっていたので、余計にそういう気持ちが強まったんだと思います。ちなみに「カノ嘘」の原作マンガの最終章には理子ちゃんが武道館で歌ってるシーンがあるんですけど、あの絵は私の武道館公演を観て描いてくださったみたいなんです。そのお話を「カノ嘘」原作者の青木(琴美)さんに聞いたときは、ちょっと不思議な感覚になりました。
──ある意味、理子を大原櫻子が追い越したってことでもありますよね。
いやいやいやいや! 全然そんなことはないですけどね。でも理子ちゃんの武道館に私のライブが役立ったのであればそれもまたすごくうれしいことだと思います。
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