ナタリー PowerPush - ニコナタ(音楽) 小林幸子
“ラスボス”が教えるネットと世界の面白がり方
私もお客さんを観ていたニコニコ町会議
──その「お客さん」の差や違いって意識なさいますか? 9月には「ニコニコ町会議」にも出演なさってますけど「町会議」のお客さんは当然今日のコンサートのお客さんとはまた違う層ですよね。
「出て」って言われたから「面白そうだけど、どんなもんなのかなあ」と思って。
──またも動機は「面白そう」だから(笑)。
そうそう(笑)。で、出てみたらすごく面白かったですね。MCの人から「ラスボスって呼んでいいですか?」って聞かれたから「いいよ」って言ったら、もう延々ラスボスコールが続くのね。私、あんなのされたことないからどうしたらいいだろうと思って、しばらくしてから「どうもありがとう」って言ったら、ようやく終わって(笑)。すごく気持ちよかったですよ。それにやっぱりアフリカの動物と同じというか、来てる子たちが私という見世物を観ているように、私もその子たちを観てたんです。今日のショーみたいに年配の方はほとんどいなかったし、それこそ「最強のヒマつぶし」としてニコ動を使っている、ちょっとひきこもりがちだったりする子たちも多かったと思うんだけど、その子たちが「ニコ動のイベントだから」って遊びに来て、しかも私の歌に声援を送ってくれて。最後「じゃあね」って言ったら泣き出しちゃう子たちまでいて。「ああ、純粋な子たちなんだなあ」って思ったし、私の歌がそういう子たちにもちゃんと届いてるっていうのがわかったのはやっぱりうれしかったですね。
「私、なんでこうなっちゃったんですかね?」
──そうやってニコニコ動画の1つの象徴、アイコンになっているのってどういうご気分ですか。
そういうふうに言ってもらえるといいですよね。逆にそう言っていただいているなら、そういうふうにならなきゃいけない。今、ニコ動を観てくださっている子たちの期待にも応えたいし、私のことを応援してくださる年配の方にもニコ動を観ていただくための旗振り役になれたらいいな、とは思いますね。そういう存在ってある意味先駆者じゃないですか。それはそれで「カッコいいじゃん、私」って思いますし(笑)。
──まさに先駆者だと思います。「大物歌手がネットに」というと、ともすれば「テレビに出られなくなったからネットに」みたいな意地の悪い見方をする人もいるかもしれないんだけど、こと小林さんに関してはその見方が通用しない。ウィークデーの昼間の大宮ソニックシティを当たり前のように超満員にして、「NHKのど自慢」のような全国ネットの番組にもコンスタントに出演なさっている。そういうオーバーグラウンドなシーンで活躍し続けるビッグネームでありながら、歌ってみた動画を投稿して140万再生を集めているわけですから。
なんでこうなっちゃったんですかね? 誰かに教えてもらいたいんですよ(笑)。
──あれっ!? なぜ小林幸子はメジャーシーンとインディペンデントなシーンを平気で往復できるのか。その秘訣を聞きたかったんですけど(笑)。
逆に聞きたいですね。やっぱりヘンですよね、私(笑)。
──いい意味でヘンな方だと思います(笑)。
まあ、もし今の活動の振り幅みたいなものを面白がってもらえてるなら、それはそのヘンだからなのかもしれないですね。私、生きてきた年数、要は年齢はもちろん把握してますけど、それと自分の人生の歴史がイコールだっていう認識をしていないんですよ。やってきた職種は歌手だけ。10歳のときから50年間歌だけを歌っていたので。皆さんのようにアルバイトをしたり、会社に勤めたりということを一切なんにもしてないんです。しかも結婚はしたけど子供がいるわけではないから。
──課長や部長、「中学生の子供のお母さん」や「高校生の子供のお母さん」といった肩書きを社会から与えられることでキャリアや年齢を実感させられるという経験が……。
ないんですよ。ずっと一本道。この世界だけでやってきていて。ただだからこそ歌の世界、芸能の世界の流れだけはしっかり眺めてきていて。私がデビューしたときはシングル盤のレコードって300円で、それが500円になり、700円になり、今度はレコードじゃなくてCDになり、そして配信になり。そういう時代の移り変わりとともにやってきてるから、今、ニコ動なんかが地上波に迫らんばかりの勢いでドーンと来ていて、しかもそれを使えばすぐに世界に発信できるっていうんなら、それはそれでやっておくべきだと思うんですよね。
垣根を外すとやりたいことができるようになる
──去年の10月に個人レーベル「SACHIKO Premium Records」を立ち上げたのも同じ理由だったりします? 音楽業界が厳しい状況にあるなら、制作から権利処理まで自ら手がけたほうが、フットワーク軽く活動できるんじゃないか、って考えるアーティストもチラホラ出てきていますけど。
まさにそうですね。歌謡の世界にもけっこう多いんですよ。五木(ひろし)さんもご自分のレーベルを持ってらっしゃるし。本当にね、垣根を外すとやりたいことができるようになるんですよ(笑)。やっぱり面白いことをやりたいから、レーベルも立ち上げたし、ニコ動も使ってるんだと思います。
──そして年末にはその面白いことの集大成であるイベント「ニコニコ年越し!小林幸子カウントダウンLIVE ~オープニングアクト:ダイオウグソクムシ~」がありますけど、今後もニコ動とのお付き合いは続いていく?
いろいろ考えてますね。ウチのスタッフは「ボカロが……」とか言っちゃってますし(笑)、動画の投稿は続けていきたいなって思ってるし、また一から曲選びを進めたりはしてます。「ぼくとわたしとニコニコ動画」に思っていた以上に反応が集まったので、今後どういうふうにやっていけばいいんだろう、って相談しながらニコ動とのお付き合いは続けていこうと思ってます。
- ニコニコ年越し!小林幸子カウントダウンLIVE ~オープニングアクト:ダイオウグソクムシ~
- ニコニコ年越し!小林幸子カウントダウンLIVE ~オープニングアクト:ダイオウグソクムシ~
収録曲
- 茨の木(プレミアバージョン)
- 道(花いちもんめ)
- お母さんへ
- 幸せ
and more
収録曲
- 茨の木
- おもいで酒
- とまり木
- ふたたびの
- もしかして
- ひと晩泊めてね
- 夫婦しぐれ
- 雪椿
- 約束(ロングバージョン)
- 越後情話
- イチマディン~永遠に・・・
- やんちゃ酒(セリフ入り)
- Ribbon
- 大江戸喧嘩花
- 恋桜
- ウソツキ鴎(ボーナストラック)
収録曲
- 蛍前線
- おかあさんへ
- 蛍前線(オリジナル・カラオケ)
- おかあさんへ(オリジナル・カラオケ)
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年生まれの女性ボーカリスト。1963年、9歳で作曲家古賀政男に師事し、1964年シングル「ウソツキ鴎」でデビュー。同曲が20万枚の大ヒットを記録する。1979年1月リリースの「おもいで酒」が200万枚を超えるセールスを記録し、同年末「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たす。以来「もしかして」「雪椿」「越後情話」などヒット曲の数々を引っさげ、現在までに同番組に33回出演し、1980年代末頃からはステージ演出にも注力。NHKホールのステージをフル活用した舞台装置と衣装が年末の風物詩のひとつと目されるようになる。他方、コメディやバラエティ番組、テレビドラマなどにも出演。また映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル」に主題歌を提供するほか声優として登場するなど、その多岐にわたる活動を通じて幅広い年齢層の人気を獲得する。さらに2012年、ニコニコ生放送「小林幸子降臨!『茨の木』夢は捨てずに生放送」「ニコニコ大忘年会2012 in nicofarre」に登場。2013年には歌ってみた動画「ぼくとわたしとニコニコ動画を夏感満載で歌ってみた」を投稿し、イベント「ニコニコ町会議 in 名古屋」「ニコニコ年越し!小林幸子カウントダウンLIVE ~オープニングアクト:ダイオウグソクムシ~」に出演するなど、ニコニコ動画を積極的に活用。ネットユーザーの多大な人気を集めている。